単著

金井 直

像をうつす 複製技術時代の彫刻と写真

赤々舎
2022年12月

シャルル・ボードレールは1846年の「なぜ彫刻は退屈か」において、彫刻ではその多視点性や偶然に射す光などにより唯一の美しい視点の呈示が不可能であるのに対し、それを専制的に示すことのできる絵画に優位性を置き、絵画と彫刻のパラゴーネを説いた。他方で同じ時期、カロタイプの発明者であり、『自然の鉛筆』を著したウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボットは、その第一巻(1844年)における《パトロクロスの胸像》の写真の箇所で、多視点性を彫刻の積極的側面として捉えており、ボードレールとは対照的な見方を示している。被写体を様々な角度から観察しその都度の発見の喜びを享受していたと思しきトルボットにとって、彫刻に対するそうした肯定的なまなざしは至極自然なことと言えるかもしれない。本書は、写真黎明期における両者の交叉を端緒として、オーギュスト・ロダンとメダルド・ロッソ、コンスタンティン・ブランクーシ、デイヴィッド・スミス、ジョゼッペ・ぺノーネにおける彫刻と写真との互恵関係を描き出すものである。

それぞれの章を通じて読み取れるのは、なにより彫刻作品における写真の拡張性についてである。彫刻の制作プロセスに彫刻写真がさまざまな仕方で介入することによって、彫刻それ自体に写真独自の表現が次第次第に浸潤していくように思えるのである。それがたとえ彫刻家の実際の目論見でなかったとしても、著者金井直による彫刻と写真の相互関係の丹念な記述によって、写真を通じて自作が拡張されることに喜悦する彫刻家の姿がありありと浮かび上がってくるのだ。

このことは実際に本書を手に取って堪能してもらいたいが、一例として第三章の主題であるブランクーシの彫刻/写真実践を挙げよう。彼は生涯にわたり自作の撮影を他者に委ねず自分自身で行った。《空間のなかの鳥》の作品写真では暗い場所に置かれた彫刻の頭頂部に眩い光が射しており崇高な雰囲気が演出されている。あるいは、《エヴァ》や《新生児》などの複数の作品が一つのグループとして組み合わされ撮影されたものでは、諸作品を関係づけることによって一点の作品呈示とは異なる彫刻のあり方を試みていることがはっきりと読み取れる。こうした表現から、ブランクーシは写真という複製技術に感銘を受け、写真による自作のイメージの刷新に大きな喜びをもって取り組んでいたように思えるのだ。そしてその新たなイメージは次なる作品制作に影響を及ぼしていたのではないだろうかと図らずも想像させられるし、あるいはまた、一枚の写真に収める組み合わせを念頭に置きつつ制作に取り組むこともあったのではないだろうかと推察させられたりもする。このように、本書全体を通して、自作の作品写真を扱う彫刻家の手つきをさらに深く追求する欲望が掻き立てられるのである。

写真技術が一般に普及しはじめ、彫刻家が写真と彫刻との関係性について考え巡らすことが可能になったときから、作品生成の場には、彫刻家と作品、彫刻家と写真との発見の喜びを伴うダイアローグがあった。近代彫刻の超克の要諦は、彫像がいつしか台座から引きずり下ろされノマド化したということにとどまらない。もとより近代彫刻において写真は彫刻家のまなざしに浸潤していたということ、そしていみじくも著者が言い表しているように、台座から彫像を切断しそのノマド化に拍車をかけた媒体こそ写真であったということ。本書は、ノマド化に至らしめたこれらの事実を見据えつつ、いま一度、近代彫刻の歴史を丹念に紐解いていくことの重要性をわれわれに教えてくれるのだ。

(大澤慶久)

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、髙山花子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年6月30日 発行