編著/共著

今井瞳良久保豊長門洋平、ほか(分担執筆)、志村三代子 、ヨハン・ノルドストロム、鳩飼未緒(編)

日活ロマンポルノ 性の美学と政治学

水声社
2023年1月
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団地映画の研究をしていると、「団地妻だね、いいよね、ロマンポルノ」と言われることがある。ある種の気恥ずかしさを伴ってなされるこの表明に、私が引っかかりを覚えるのは、団地=団地妻=日活ロマンポルノという連想のせいではなく、ロマンポルノが「いい」という前提にである。団地妻シリーズを見ていくと、当たり前ではあるが、「面白くない」ものにも遭遇する。退屈なポルノを見るという経験は、ロマンポルノを「いい」などと言う気を無くさせるものである。

それは出来不出来という問題なので構わない。しかし、『日活ロマンポルノ 性の美学と政治学』の序で鳩飼未緒が指摘するように、「作家」に基づいた芸術性・物語性によって「いい」と自明視されてきたロマンポルノは、男性観客に照準が合わせられており、その女性の性意識の表象には多分に問題を含んでいる。そのため、本書にはロマンポルノの前提を問い直す論考が収められている。

鳩飼は谷ナオミの「SMもの」、ヨハン・ノルドストロムは「スウェーデン・ポルノ」、今井瞳良は「団地妻シリーズ」といった、いわゆるシリーズものを取り上げている。作品・作家論的なアプローチとは異なり、有名シリーズの有名無名作から、「スウェーデン」や「団地妻」といった言葉が喚起する社会的なイメージ、あるいは、谷ナオミのスターイメージとロマンポルノとの結びつきを解き明かし、そして、その変遷までも辿っている。

志村三代子は田中登、長門洋平は神代辰巳といったロマンポルノを代表する「作家」を取り上げるが、ともに人形浄瑠璃というモチーフ、アフレコというロマンポルノの条件に注目することで、映画史的意義を明らかにしようとしている。また、それぞれ『㊙女郎責め地獄』(1973年)と『女地獄 森は濡れた』(1973年)の分析では、中川梨絵が果たした役割に言及しており、作家=監督に限らない視点が共通している(ちなみに、本書のカバーと本表紙は、谷ナオミと中川梨絵が占めている)。

キルステン・ケーサ(名取雅航訳)は、1972年から1980年の判決確定まで8年を要したロマンポルノ裁判の弁護側の戦略を、従来のわいせつ裁判と比較しながら論じる。製作者の責任を分散させる弁護側の戦略によって無罪を勝ち取るが、それはロマンポルノの「作家性」を削ぐものであっただけではなく、表現の自由の問題から切り離すものであったことを指摘している。

ロマンポルノの「男性中心の異性愛主義」を切り崩す試みとして、菅野優香はレズビアンとしてショーを演じ、ロマンポルノにも出演したストリッパー桐かおる、久保豊はスクリーン内外のゲイ男性に注目する。ともに表象分析だけでなく、劇場及び映画館という場、雑誌を用いた観客の分析を組み合わせたクィア・リーディングを展開し、さらにはロマンポルノに限定されないレズビアンあるいはゲイ男性の映画(館)史への志向を共有している。

また、ノルドストロム論文末には「スウェーデン・ポルノ」の関係者であったクリステル・ホルムグレン、ヤン・ヴァルデクランツ、巻末には女優の白川和子、映画プロデューサーの岡田裕、映画監督の根岸吉太郎、日活の谷口公浩、金山功一郎、高木希世江のインタビューが収録されている。

(今井瞳良)

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、髙山花子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年6月30日 発行