もやもや日本近代美術 境界を揺るがす視覚イメージ
本書は日本近代美術史を専門とする研究者たちによるアンソロジーである。執筆の背景には、早稲田大学において長く「その他」美術史を講じた丹尾安典の門下、またその門の周辺において、宴会──古代ギリシャのひそみにならえば饗宴・シンポシオンを愛した人々の集いがある。もちろん過言だが、筆者の経験を前面に出せば、ゼミを開き学会に参じそして宴会をひらく、老幼男女等しく卓を囲み、酒精の強弱を問わず美味しく杯を傾ける、その宴会学の長年の成果が本書である。
多くの場合、美術史は日本東洋西洋、古代中世近世近代(現代)という専門の分かれ方をする。ここにあって「その他」とは、そのどれでもなくどれでもあり、自らの関心に従って地域と時代の境界をこえ、〈美術〉という境界もこえ視覚イメージを取り上げる姿勢である。この背景には、80年代以降のニュー・アート・ヒストリーの潮流がある。この時期以降、日本近代美術史そのものが、西洋や伝統の下流に過ぎぬという評価や、夭折の天才と画壇の巨匠が主役のロマン主義的史観から離れ、〈美術〉の成立を検証し、政治と社会を積極的に検討しながら議論されていった。
本書の各論考は、こうした背景のもと、一点物の作品のみならず商品や複製印刷、象徴やメディア、行為や身ぶりを縦横無尽に対象としながら、造形表現と人々および社会を考察する。分析の対象となるのは具体的な視覚イメージである。これらの視覚イメージは、時にナショナリズムと相互作用して〈日本〉の境界を、文明観芸術観の変遷とともに〈近代〉の境界を作ることに荷担している。イメージのうちに生成しつつある境界も検討しながら、〈美術〉のみならず〈日本〉と〈近代〉もおのずと問い直すのが本書の特徴である。
本書におけるさまざまな執筆者たちによる探究は、時間の境界のむこうに遠ざかるかつての誰かとの対話のこころみである。境界は両者から揺るがされる。編者のひとりであった志邨匠子さんは、2020年に若くして幽冥の道を去られた。いっとき結ばれた研究の縁も移り変わる。そのように読むことを許されるならば、本書は幽冥の境界をこえた対話の可能性にもひらかれていよう。
(向後恵里子)