日本のサイレント映画を「再現」上映する
近年、サイレント映画は独特の「再現」芸術としての定着を見せている。シェイクスピアの戯曲がオリジナルの舞台設定でも現代の舞台設定でも上演されるのにも似て、公開時の歴史的な音楽、21世紀のまったく新しい音楽を伴って上映されることもある。かつてはサイレント映画を音楽や語りとともに上映することを「邪道」と見なす向きも少なくなかったが、1980年代に「サイレント映画リバイバル」*1が起きて以後、近年はますます多様な音楽や声を伴った上映が増加している。
*1 Mervyn Cooke, A History of Film Music, Cambridge University Press, 2008, 37
私はサイレント映画やトーキー初期の音楽・音響表現の研究を行うなかで、2014年頃から他の研究者たちとともに歴史的資料を踏まえたサイレント映画の弁士・楽士付き上映に携わり、2022年には歌舞伎俳優の中村京蔵丈らに協力いただいて旧劇映画『雷門大火 血染の纏』(1916)の「再現」上映を企画した。本稿では、これまでのサイレント映画上映の経験を紹介しながら、あらためて歴史的な音の「再現」がもつ課題や可能性を考えてみたい。
1. サイレント映画上映における〈歴史志向〉と〈現代志向〉の音楽や語り
サイレント映画は公開当時、世界各地の映画館で音楽や語りのライヴパフォーマンスを伴って上映されていた。現代にはその内容が、歴史的な音楽から21世紀の新しい音楽に至るまで多岐にわたるものになっている。こうした〈歴史志向〉から〈現代志向〉までの伴奏音楽の多様化については、すでにK.J. Donnelly とAnn-Kristin Wallengrenの編著Today's Sounds for Yesterday's Films(2016)のような研究書も登場し、具体的な事例にもとづいたそれぞれの可能性や功罪が多角的に議論されている。同書でも2つの章で論じられているフリッツ・ラング監督の『メトロポリス』(1927)もDVDやBlue-Rayで販売されているものは、映画公開時に作曲されたゴットフリート・フッペルツによる大規模な管弦楽を復元した〈歴史志向〉の音楽から*2、1984年の再上映時にフレディ・マーキュリーらのポピュラー音楽も用いてジョルジオ・モロダーが作った〈現代志向〉の音楽まで驚くほど多彩である。〈現代志向〉の上映の極端な例には、人種差別的表現を含むD.W.グリフィスの『國民の創生』(2015)を再文脈化しようとリミックスを試みたDJスプーキーによる『Rebirth of Nation』(2007)もある。差別的表現を含む映画やプロパガンダ映画など再上映には、議論や再考を促すような試みも散見される。
*2 1920年代になると歴史的な伴奏譜のなかには全編を新作する例も増加するが、それ以前は既成曲からの選曲を基礎とする伴奏譜も多かった。こうしたなかで、歴史的伴奏譜を使った「再現」上映を実施するか否かは現代の観客にとって効果的に思われるかどうかという点にも左右される。D.W.グリフィスの『イントレランス』の復元でも楽譜の存在は重要な役割を果たしたが、Joseph Carl Breilの楽譜は既成曲を元にしていることで、現代の観客には効果的でないとして否定的な見方も少なくないようである。Julie Brown, "Audiovisual Palimpsests: Resynchronizing Silent Films with “Special” Music," in David Neumeyer ed. The Oxford Handbook for Film Music Studies, Oxford University Press, 2014を参照。
日本でも近年、サイレント映画が多彩な音や声を伴って上映されている。サイレント映画伴奏の専門家たちが継続的に上映を行うのみならず、菊地成孔や大友良英など様々な音楽家たちによる上映も人気を博している。また日本ではサイレント時代、映画説明者や弁士などと呼ばれた語り手が外国語による欧米の映画を日本の観客に効果的に伝えることを大きな役割として活躍したが、現代の弁士のなかには、現代と価値観のズレが大きくなった古典作品にも現代に通じる側面を見出し、新たな語りで再文脈化を図る者もいる。近年は、本職の弁士たちだけでなく、お笑い芸人、アイドル、声優も参加する例も増加しており、〈現代志向〉の上映は次々と新たな展開を見せている*3。
*3 もちろん、海外でも日本でも、何らかの歴史的資料を参照したうえで語りや音楽伴奏が試みられることは少なくない。その点で多くの上映は歴史的音楽と無関係な新しい音楽を一方の極に置き、歴史的資料による歴史考証を踏まえた上映を試みるもう一方の極の間に位置するといえる。本稿では、さしあたり後者の極に近い、日本映画においてどのような歴史考証を踏まえた上映が可能であり、そこにどのような意義があるかを考えることとしたい。
2. 1920年代の日本映画上映の「再現」:ヒラノ・コレクションの調査と活用
もっとも、日本映画について〈歴史志向〉の上映、公開当時の歴史的資料にもとづいた語りや音楽の「再現」には長年大きな困難があった。サイレント時代の日本映画は現存が極めて少なく、楽譜や台本に至ってはほとんど残っている資料がなかったからである。幸い早稲田大学演劇博物館へ収蔵されたサイレント映画伴奏譜資料「ヒラノ・コレクション」の共同研究が2014年に始まってから、1920年代の映画館の楽譜資料を用いた上映も一部可能になり*4、筆者も白井史人氏や紙屋牧子氏と共にこの楽譜の研究と上映に携わってきた*5。
*4 2015年には日本音楽学会の2015年度支部横断企画として公開研究会「日本映画の音楽・音響研究の現在」(2015年9月5〜6日)を開催し、『軍神橘中佐』(三枝源次郎、1926)の楽譜を用い、湯浅ジョウイチのギター、丹原要のピアノ、片岡一郎の映画説明で上映を行った。同企画の筆者による報告、1日目の中村仁氏による傍聴記(http://www.musicology-japan.org/activity/project_2015)、および『Repre』Vol 26における白井氏による報告(https://repre.org/repre/vol26/topics/02/)も参照されたい(いずれも2023年1月10日確認)。
*5 この共同研究は演劇映像学連携研究拠点の2014-2015年度の公募研究「無声映画伴奏楽譜:ヒラノ・コレクション:無声映画の上演形態、特に伴奏音楽に関する資料研究」および2016-2017年度の公募研究「楽譜資料の調査を中心とした無声期の映画館と音楽の研究」(いずれも代表は長木誠司)として進められた。同コレクションについては、紙屋牧子・白井史人・柴田康太郎 2015 「一九二〇年代半ば以降の日活直営館における無声映画伴奏:「ヒラノ・コレクション」からみる伴奏曲レパートリーの形成と楽譜配給」『演劇研究』第39号, 15-55を参照。
ただし、これらの楽譜に『メトロポリス』におけるフッペルツの壮麗なオーケストラ音楽のようなものを期待すると肩透かしを食らうことになる。日本では弁士がいたこともあり、楽譜資料があるといっても欧米のような映画全編に合わせた楽譜はなく、楽団編成も小規模で、楽曲も基本的には既成曲から選曲したものだったからだ。しかも上映に関しては弁士の台本も現存するわけではないのだから、「ヒラノ・コレクション」を踏まえた日本映画の「再現」上映を行ったとしても、個々の作品の封切時の音が「正確」に再現されるわけではないのである。
それでも実際に歴史的楽譜を演奏してもらった際には、たとえばSP音源の残っている時代劇用の伴奏曲を、当時の映画館の編成による和洋合奏で現代の音楽家に演奏してもらうだけでさえ、その曲がSPレコードとは異なる新鮮なサウンドで響き、そのもとで時代劇が鮮やかに立ち上がってくることに気づかされた。その新鮮さは古い録音との音質の違いだけでなく、演奏技術も演奏習慣も現代のものであることに起因しているだろうが、こうした現代の演奏を聴いていると、サイレント時代の和洋合奏がもっていた「歴史性」のもつ新鮮さを再体験しているようにも錯覚させられた。
1920年代の日本映画がまとっていた音楽は、江戸期以来の日本人の邦楽的な耳が次第に西洋音楽の影響を受けて変容する時代のものである。そうした時代の特徴をもつ音楽を現代に再提示することによって改めて、欧米の映画や音楽を吸収しようとしていた日本映画とその上映が位置していた「歴史性」を効果的に体験し、また理解できるように思われるのである。その意味で、日本のサイレント映画の「再現」上映で試みうるのは、具体的な映画館で響いていた音を正確に「再現」することというよりも、歴史的な語りや音楽の「上映様式」とでもいうべきものを「再現」することだと考える方がよいように思われた。
3. 1910年代の日本映画上映の「再現」:『雷門大火 血染の纏』(1916)上映
1920年代の日本映画の「再現」上映を試みたあと、私は2019年度以後さらに時代を遡り、1910年代のより古い日本映画の「再現」上映を模索してきた*6。もともと1910年代の日本映画は、「映画的」な表現に至る前の「演劇的」な映画群として否定的に捉えられてきた。「旧劇映画」と呼ばれる歌舞伎に則った日本映画の場合、女性役は女形によって演じられ、演技の要所では見得を切る所作もあるが、この時代の映画は現存する映像だけを見ると、台詞の字幕もないので筋が理解できず、退屈にも感じられるのは確かである*7。ただし、それは公開当時には歌舞伎の「型」に則った語り(声色弁士と呼ばれた複数の弁士たちの掛合による語り)や音楽とともに上映・鑑賞されていたためでもある。こうしたなかで、私はこれらの映画公開当時の「上映様式」、あるいは当時の映像に刻印されてもいる視聴覚的な「型」を再現することで、この時代の映画の価値がより効果的に理解できるのではないかと考えたのである。
*6 2021~2022年には勤務先であった早稲田大学演劇博物館の演劇映像学連携研究拠点の取り組みとして同館所蔵の新派映画『うき世』『生さぬ仲』と旧劇映画『雷門大火 血染の纏』を上映・収録する機会を得たほか、2021年度には同拠点の共同研究チームの取り組みとして国立映画アーカイブの旧劇映画『五郎正宗孝子伝』の上映を実施した。
*7 1910年代の日本映画は、台詞字幕もないため、映像だけでは主人公の名前さえ示されず、引きのショットが多いので登場人物の同定に戸惑う場合も少なくない。2021年に日活向島作品『うき世』を上映した際にも準備段階では、ある場面に登場する人物が誰であるのか特定できず、弁士の片岡一郎氏との議論のなかでこの同定と物語の理解が進んだ。この時期の日本映画はそれほどに映像テクストに向き合うだけでは物語の理解さえ困難なものなのである。
こうしたなかで、2022年には旧劇映画『雷門大火 血染の纏』(1916)の上映を実現することができた*8。この作品は2019年にも現代の3名の弁士(片岡一郎、山内菜々子、山城秀行)による声色掛合と、歌舞伎の下座音楽に則った邦楽による響きでの映画上映の「再現」を試みたことがあったが、今回は歌舞伎俳優による語り、囃子鳴物の邦楽、拍子木やツケの音を伴う、より歌舞伎の舞台に則った上映を試みた。この上映では、語りを歌舞伎俳優の中村京蔵丈、邦楽演出の附師を杵屋五七郎氏、作調を堅田喜三代氏、演奏を小輪瀬光代氏(三味線)、堅田氏(鳴物)、鳳聲月晴氏(笛)、狂言方を井口祐好氏といった面々に担当いただいた。リハーサルで声と音楽が響いた瞬間から、その音の佇まいにはひたすら圧倒された。動きがなく感じられてしまう1910年代の日本映画が、驚くほど生き生きと立ち現れたからである*9。
*8 もちろんこれは私個人だけで実現されることではない。2021~2022年には勤務先の早稲田大学演劇博物館の演劇映像学連携研究拠点の取り組みとして同館所蔵の新派映画『うき世』『生さぬ仲』と旧劇映画『雷門大火 血染の纏』を上映・収録する機会を得たことにくわえ、2021年度には同拠点の共同研究チームの取り組みとして国立映画アーカイブの旧劇映画『五郎正宗孝子伝』の上映を実施したものである。
*9 上映は2022年11月8日に早稲田大学小野記念講堂で行われたが、弁士が本職ではない方に歌舞伎の上演と異なるパフォーマンスを全編通して実施いただくことは容易ではないと判断し、当日は非公開で上映することとし、映画3巻それぞれを分割する仕方で収録することとした。上映後には、中村京蔵丈、堅田喜三代氏、演劇博物館副館長の児玉竜一氏、活動写真弁士の片岡一郎氏、そして筆者によるトークが行われた。これらの上映とトークの模様は筆者の上映解説とともに2022年12月27日~2023年1月31日に演劇博物館演劇映像学連携研究拠点のウェブサイトでオンライン公開された。
今回の上映では、2019年の上映時に片岡一郎氏が作られた台本をもとに*10、歌舞伎俳優の中村京蔵丈に歌舞伎での経験を踏まえて加筆修正を依頼した。この修正では、歌舞伎であれば存在しない台詞以外のト書き部分が削られ、歌舞伎らしい台詞廻しによる台詞が増やされたが、これによって、実際の上映時には登場人物たちひとりひとりの動きや語りが歌舞伎の舞台のように際立ってくることになった。また、この語りと呼吸の合った邦楽の囃子鳴物、拍子木やツケの音が入ることによって、サイレント映像では間延びして感じられるような見得等の所作、長廻しによる映像が効果的に立ち現れることにも想像以上で驚嘆させられた。しかしこれは、たんに舞台の複製映像を舞台らしく上映したということではない。映像そのものも野外撮影から場面のショット構成まで様々な「映画的」手法が試みられているが*11、上映後のトークで片岡氏も語っていたように、この上映では野外撮影された実際の海を背景に、「舞台的」な太鼓の様式的「波の音」がくわえられ、実際の海とも舞台の海とも異なる仕方で「映画上映」の海が視聴覚体験に提示されていたことは象徴的だったように思われる。約110年前の大正初期の映画館では、舞台にも親しんでいた観客たちが、従来の舞台との差異も強く意識しながら鑑賞していたのだろう*12。
*10 片岡氏の台本は『活動写真雑誌』(1916年5月号)所収の筋書などの資料にもとづいて、現存フィルムの筋書に含まれない部分、合わない部分を整合的に書き直したものとなっている。2019年の台本は、2017年に演劇博物館の「エンパクシネマ」で上映された際の台本をもとにしている。
*11 板倉史明「「旧劇」映画における物語叙述のスタイル再考――『雷門大火 血染の纏』(1916)を分析する」『演劇博物館所蔵映画フィルムの調査、目録整備と保存活用」(平成21年度~25年度)成果報告』早稲田大学演劇映像学連携研究拠点テーマ研究「演劇博物館所蔵映画フィルムの調査、目録整備と保存活用」、2014年2月.
*12 上映後のトークで話題にされたとおり、サイレント時代の映画館で歌舞伎のように語った弁士(声色弁士)や囃子方は今回の上映に参加してくださったような舞台の最前線で活躍するような者たちではなかったことには注意が必要である。なお、実際にこの時代の映画を上映してみると、長廻しの場面は声色弁士の語りに合わせた様式とされてきたが、たとえば立廻りの場面などは長廻しであるが声色弁士の台詞が入るような場面ではないことや、長廻しの固定ショットが続くと却って台詞の入りのきっかけがつかみにくいことも分かった。また、今回協力いただいた舞台の方々からすると、映画の展開は非常に速いと感じられるようで、全体に語り続け、ツケを打ち続けることになることも違いとして指摘されておられた。
こうした上映の「再現」は、それ以外の上映様式の歴史性や現代の上映様式のあり方も対比的に考えさせるものでもあった。たとえば、歌舞伎俳優による語りが登場人物の役柄を演じるものだったとすれば、現代の弁士による語りは、より弁士個人の語りとしての性格を感じさせるものだったと気づかされた。これは無論、芸の種類の問題である。もともと弁士の語りは、1920年代に映画が1910年代的な演劇の影響を脱し、演劇と異なる独自の芸術を志向するなかで誕生したものである。時には弁士には、役に入り込まない落ち着いた語りを要求し、台詞ではなくト書き的な語りを重視する意見さえあった。現代の弁士の語りもまた、こうした時代を経て展開してきたものなのである。もちろん、前節で触れた1920年代の音楽の歴史性も同様である。西洋音楽と日本の劇音楽の伝統の中間に位置する和洋合奏の音楽も、このような1910年代の日本映画の上映を前史とすることで、その歴史的な新しさの位置づけを再認識した*13。
*13 なお、2021年には共同研究の取り組みのなかで、旧劇映画『五郎正宗孝子伝』(1915)を1920年代に作られた同作の説明台本と1920年代の「ヒラノ・コレクション」による伴奏譜で上映するという試みを行ったこともある。選曲準備には私が当たったものの、歌舞伎の型に則った演技が映し出される場面に、西洋音楽的な伴奏音楽を付すことに戸惑いがあり、実際の上映でも、見得を切る所作などと音楽は無関係に進んでいくことには一定の違和感がぬぐえなかった。しかしその他の場面では(私の選曲のあとでそれをさらに使用楽曲を整理したサイレント映画伴奏の第一人者である湯浅ジョウイチ氏の手腕もあって)思いのほか自然に観られることも分かった。ただし、音楽は相対的にいって、西洋音楽の方が感情表現としての性格が強くなり、またより「映画的」であるという印象を受けた。もちろん、歌舞伎の舞台との対比でもあるし、また現代には西洋音楽が映画音楽の標準語法になっているのだから当然でもあるだろう。
なお、この映画の上映時には現存する同作の説明台本をもとにしたが、現在のサイレント映画上映の通例どおりに映画を12fpsの映写速度で上映すると、この台本が読み切れないことが分かった。サイレント時代には映写機が手回しだったから、映画上映は弁士に合わせて変更されていたことが知られている 。映写速度の変化は映画の作り手が想定している場合もしていない場合もあったから事態は複雑だが、いざこのような事態に直面すると、私たちが等速映写された映像を「正しい映写方式」のように鑑賞していたのはどういう振る舞いだったのかと考えてしまう。
もちろん、こうした歴史志向の再現上映は歴史を理解することを目指すものではない。映像そのものに刻印されていた「型」を改めて呼び起こしながら、歴史的な映画とその鑑賞体験の魅力を引き出し、その可能性を広げるものである。こうした上映様式の再現が、今後の日本におけるサイレント映画上映の選択肢を増やし、その魅力を引き出す一助になることを願っている。
おわりに
語りや音楽をともなった上映によって過去の映画を現代に上映することは、過去の映画と現代の観客を架橋することである。この架橋は、現代志向の上映のように現代の観客に向けて過去の映画を鑑賞しやすく近づけるようなアプローチも、逆に現代の観客を過去の実践に近づけていくアプローチの両方を含みもつ。歴史志向の上映は、現代と異なる音楽・音響実践の広がりに気づかせてくれるとともに、その歴史性を踏まえて音楽・音響実践を理解するための手掛かりをも提示する機会となるように思われる。とはいえ、1910年代の日本映画の上映様式は『雷門大火 血染の纏』で試みたような上映様式以外にも、義太夫、琵琶、浪曲などを伴うものがある。こうした実践を交えた「再現」も今後さらに取り組んでいきたいと考えている。こうした試みが、この最も古い時代の歴史的映画がもつ魅力の再認識につながることを祈っている。
※本稿はJSPS科研費22J01209の助成を受けた研究成果の一部である。