書評パネル2 渡名喜庸哲『レヴィナスの企て──『全体性と無限』と「人間」の多層性』を読む
日時:2022年11月13日(日)13:00 - 15:00
渡名喜庸哲(著者/立教大学)
合田正人(明治大学)
福尾匠(立教大学/日本学術振興会)
郷原佳以(兼司会/東京大学)
2022年11月13日、第16回研究発表集会のプログラムの一つである、公開書評パネル2「渡名喜庸哲『レヴィナスの企て──『全体性と無限』と「人間」の多層性』を読む」がオンライン(zoom)にて行われた。本書評パネルは、渡名喜氏の近刊『レヴィナスの企て──『全体性と無限』と「人間」の多層性』(勁草書房より2021年刊行。以下『レヴィナスの企て』と表記)が、第13回表象文化論学会賞を受賞したことを記念し、開催されたものである。以下より当日の進行に沿いつつごく簡単に議論を振り返る。
まず、イントロダクションとして著者である渡名喜氏から『レヴィナスの企て』の概要と議論の趣旨が説明された。当該書では次のことが示されている。レヴィナスには初期から『全体性と無限』(1961年)まで、一貫した「企て」があった。その「企て」とはすなわち、人間的な存在の具体的な存在状態について の現象学的な考察を、レヴィナス自身の手によって書き換え、立ち上げるという営みであった。
本書の特徴は、最初期から『全体性と無限』までのテクストを辿りつつ、そこに「他者の倫理」という一つの伏線を見るのではなく、レヴィナスの思想の持つ「多層的」な構造に注目して読解する点にある。渡名喜氏の示すレヴィナスの「多層性」とは、「欲求」、「顔」、「エロス」という3つの概念を中心としており、これらはどれもハイデガー『存在と時間』の基礎存在論への批判かつ応答だった、とされる。「欲求」は糧の享受という点で世界内存在の、「顔」は倫理・応答可能性という点で言語の、「エロス」は女性的なもの、繁殖性という点で時間的超越に対する批判であり、応答だと本書には示されている。
他方で、本書は、「他者の倫理」を中心として読解する既存研究の通説を覆そう、というものでは決してない。そうではなく、「他者の倫理」という枠組みから見た時、捉えそこねてしまう概念や議論──例えば「〈享受〉する主体」など──を追究した一冊となっている。
渡名喜氏のイントロダクションを受けて、合田氏、福尾氏、郷原氏の順でレヴィナス研究へのインパクトを中心にコメントと質問がなされ、それぞれに渡名喜氏が応答する形で議論が進んだ。
まず、合田氏から、超越論的経験論の具体像、「顔」の位置づけ、スピノザやヘルマン・コーヘンとのつながりにおいて、レヴィナスの「無現象」をどう考えるか、といった質問がなされた。これらのコメント・質問は、『表象』16号に掲載された書評[1]をもととしている。
[1] 合田正人「経験と哲学の干潟──渡名喜庸哲『レヴィナスの企て』書評」『表象』16号、pp. 228-231、 月曜社、2022年
次に、福尾氏からはドゥルーズ研究の観点からいくつかの質問がなされた。「多層性」からレヴィナスの思想や生のあり方を検討する際、いかなる思想的意義や哲学的パースペクティブが浮かび上がるのか、超越の「多層性」に対応する「無限」の位置づけ、繁殖性と「多層性」概念の関係性、レヴィナスとハイデガーの思想的関係などが質問にあがった。また、議論は渡名喜氏の翻訳したグレゴワール・シャマユー『ドローンの哲学』[2]にも及び、レヴィナスの身体論から現代の遠隔技術を論じることの可能性と意義についても意見が交わされた。
[2] グレゴワール・シャマユー著、渡名喜庸哲訳『ドローンの哲学──遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争』明石書店、2018年
最後に、郷原氏から、当該書では初期から『全体性と無限』までに一貫したプロジェクト(「企て」)がある、とする点で、その読解からこぼれ落ちる議論もあるのではないか、といった批判や、レヴィナスの存在概念をめぐる他動詞的な性格を強調した意義、レヴィナスの哲学とサルトルとのつながりなどが質問された。
評者と著者とのやり取りを通して、『レヴィナスの企て』が示したレヴィナス思想の豊かさが現れていたように思える。本書評会によって『レヴィナスの企て』がより多くの読者に届くことを願う。
書評パネル概要
第13回表象文化論学会賞を受賞した渡名喜庸哲『レヴィナスの企て 『全体性と無限』と「人間」の多層性』(勁草書房)は、「捕囚手帳」など近年公刊された新資料も踏まえ、主著『全体性と無限』までのレヴィナスについて、〈他者の倫理〉に収斂しない新たな読解を提示する刺激的な著作である。レヴィナスの企てを世界との接触のセンサーとしての「意味=感覚」の探求に見出す本書は、レヴィナス研究にとどまらない射程を有している。本セッションでは、これまでレヴィナス研究を先導してきた合田正人、ドゥルーズ『シネマ』の新解釈を示した福尾匠、ブランショ研究の郷原佳以がそれぞれの観点から本書を読解し、著者と議論を交わすことによって、本書の多角的な読みが示されるだろう。なお、合田の発表は『表象』16号に寄せられた本書に対する書評に基づくもので、むしろそれに対する著者の応答が行われる予定である。