椎名林檎論 乱調の音楽
彼女の歌を初めて聴いたのは、高速道路走行中の車内だったと記憶している。
ちょうど『勝訴ストリップ』(2000年)が発売された頃、5つ離れた姉が深夜ラジオにハマっており、録音した音源をよく一緒にMDウォークマンで聴いていた。家族旅行帰りの車内、姉から「これ聴いてみて」と言ってイヤホンを渡され、流れてきたのが同アルバムの収録曲「浴室」だった。プロモーションの一環でラジオ番組内で流されたとおぼしきそれは、母親の影響で生意気にもジャズやR&Bばかりを聴いていた当時10歳の筆者にとって衝撃的な出会いだった。オレンジライトがやたら目につく夜の高速道路、耳元から流れる聴き馴染みのないプログラミング主体の楽曲と言葉選び、小さな心臓が早鐘を打っていたことを今でもありありと覚えている。
本書は、映画研究者/批評家の北村匡平が『文學界』(2021年3月号〜2022年4月号)で連載していたものを書籍化した評論集である。これまでスター女優像の変遷や映画・アニメーションの映像批評などに関する単著を上梓してきた著者が初めて音楽批評を行ったもので、本誌掲載時から大きな話題・反響を呼んでいた。
これまで椎名林檎に関する批評がまったくなかったわけではなく、むしろさまざまな媒体で散見された。しかし、著者も指摘するように、多くの場合はセンセーショナルな歌詞や彼女が戦略的に提示してきたエキセントリックな「椎名林檎」像ばかりが言及されてきた。また、彼女のキャリアを考えるうえで間違いなく重要な存在である東京事変に関する批評は、残念ながらまだ数少ないのが現状である。本書では、椎名林檎と東京事変の楽曲、とりわけ音楽にとって大事な3つの基本要素であるリズム、メロディ、ハーモニー、そして歌詞、構成、歌唱などを統合的に論じている──著者自身が積み重ねてきた確かな音楽経験と批評に対する姿勢が、本書の方法論である「実践的な演奏批評」の根幹をなしていることは言うまでもない。
とくに筆者の興味を引いたのは、しばしば誤解を招くがゆえに話題になった──批評より批判が目立った──彼女のMVやライブパフォーマンスを取り上げた第4章と第12章である。前者は音楽-映像批評を架橋する内容であり、著者が映画研究者/批評家として行ってきた仕事を遺憾なく発揮した章である。一方後者は、著者が映画研究者/批評家を志す前に学んできた美術史の影響を強く見出すことができる章だといえるだろう。誤解を恐れずにいえば、本書は著者のこれまでのキャリアを総ざらいできる一冊なのだ。
2023年は椎名林檎のデビュー25周年を迎える年である。記念すべき年を迎える前に、OTKたち(筆者含む)はようやく彼女の音楽を真の意味で味わい尽くす準備が整ったのだ。いやむしろ、これまで彼女から距離をとってきた人たちにこそ読んでもらいたいと切に願う。
(関根麻里恵)