単著

渡邊英理

中上健次論

インスクリプト
2022年7月

那覇の街を歩く時、大通りから一本裏手に入り、さらに導かれるようにしてその奥深く分入っていくと、地権・所有権が複雑に入り組みすぎていて再開発不可能地域として取り残されている場所が、細い筋道にこびりつくようにして点在していることがわかる。屋根はもちろん、壁もまたトタンで覆われた家々が連なる風景は、さながら即席のバリケードのようでもある。それは、戦後の貧困を生き抜くために人々がこじ開け占拠した場所であり、即席どころか78年に亘ってそこに存在し続けてきた風景である。

沖縄のことを考え、それを研究対象にしている私にとって、中上健次はずっと気にかかる存在であった。「路地」こと新宮市春日地区をトポスとして拓かれるその世界は、人を容易に近寄らせない厳粛さとともに、どうしようもなく人を惹きつける蠱惑的な力を持っている。

渡邊英理『中上健次論』は、その「路地」が破壊され、山が切り崩され、地ならしされていく過程を見届けた作家の痛み・惑い・苦しみが渾然一体となった情念が凝縮された『熊野集』に収められたテクスト群と、そののちに渾身の力を込めて書かれた『地の果て 至上の時』を主な分析対象としている。「(再)開発文学」として中上のテクスト世界を解釈し、再構成するこの本は、中上の作品世界に立ち現れる空間感覚とも言うべきものを見事に描出している。ここで「空間」とは単に物理的なものを指すだけではなく、「路地」という場所を交錯点として行き交ういくつもの権力関係、人間関係、そして資本の蠢きの配置をも示している。

本書が焦点化する「(再)開発」とは、近代以降日本という国家が「二元的秩序」(p. 8)に基づいて推し進めてきた「開発」と、現代において「越境的」かつ「投機的」「消費的」(p. 9)に展開される「再開発」という、二つの運動を包含する概念である。「(再)開発」は「部落」に注がれる視線を雲散霧消させるための「積極的差別是正措置(アファーマティブアクション)」である一方で、中上にとってそれは「差別の「改善」に過ぎず、さらには路地の「取り壊し」という荒廃であって、差別からの「解放」ではない」ものとして目に映る。街から追いやられるようにして祖先が棲み始めた「路地」は、劣悪な「〈立地的条件〉と〈居住条件〉」(p. 128)に規定されながらも、中上においては「国家に抗い資本に抗う、脱国家的かつ脱資本的な志向性をもつ社会として構想されていたと言えるだろう」(p. 177)と筆者は論じる。

本書は中上のテクストのみならず、そこに深く関わるものとして佐藤春夫、大江健三郎、レヴィー・ストロース、フランツ・ファノン、といった様々なテクストを交錯させ、それらを立体的に描き出すことを試みている。本文で繰り返し言及される「層生活(レイヤーライフ)」(坂口恭平)に宿る「仮説」的な力動が、この本を貫く力として働いている。

(崎濱紗奈)

広報委員長:増田展大
広報委員:岡本佳子、髙山花子、福田安佐子、堀切克洋、角尾宣信、居村匠
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年2月22日 発行