第16回大会報告

シンポジウム 食べること、生きること ──歴史・生命・表象──

報告:森元庸介

日時:2022年7月2日(土)13:30-16:15
場所:1階120番教室(ハイブリッド中継)

藤原辰史(京都大学)
河村彩(東京工業大学)
星野太(東京大学)
司会:福田貴成(東京都立大学)


食と表象文化論学会、といえば、なによりも稀有のアーティスト/料理人であるジル・スタッサール氏のディレクションによる第12回前橋大会の特別な懇親会が忘れがたい(その詳細については三浦哲哉氏の報告「『聖セバスチャンのうずら』の“痛み”とは?をぜひ参照されたい)──その記憶を呼び起こしつつ、実に3年ぶりとなった対面開催の場で「食べること、生きること」をめぐって言葉を交わす意義、あるいは切実を、しかし決して昂ぶることなく熟練したメートル・ドテルのような穏やかな微笑とともに語る司会の福田貴成氏の挨拶によって、本シンポジウムは幕を開けた。発表者には、学会外からこの主題をめぐってもっとも精力的に研究成果を発表している藤原辰史氏、また学会からロシア構成主義を中心として芸術と社会/生活の複合的な関係を考察する河村彩氏、さらに、雑誌『群像』に連載中の『食客論』によって食をめぐる思考を未聞の地平へ展開しつつある星野太氏、というこれ以上ない顔触れを迎えることとなった(コメンテータとしての登壇を予定されていた磯野真穂氏がご都合によりお見えになれなかったことは返すがえす惜しまれるが、必ずや別の機会のあることを確信する)。

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最初に登壇した藤原氏の発表「縁食論 食権力の歴史と現代」は、メイン・タイトルを同じくする近著のひとつ『縁食論 孤食と共食のあいだ』(ミシマ社、2020年)の最新リミックスというべき、きわめて刺激に富むものであった。とりわけ農業史/農学史の観点から食の問題を考察してきた自身の歩みを振り返りつつ、一方では生態系モデルに依拠しながら、人間を食の一方的な主体ではなく、生産、消費のみならず分解(排泄)をまで含む大きな「フードチェーン」の一環において捉える必要を力説し、他方では政治、戦争、テクノロジーと食の関係をめぐる近現代史にウクライナが占める位置の大きさ(とくに『トラクターの世界史』(中公新書、2017年)でも論じられた軍事技術と民生技術の関係(デュアル・ユース)の問題、ナチスの食糧政策にも大きな影響を与えた30年代の大飢饉「ホロドモール(Голодомо́р)」)へと説き及ぶ前置きが、広大な視野と自在に移動する視点を複合させ、のっけから会場を捉える。

そのうえで、フーコーの「生権力」を踏まえつつ氏自身の提唱する「食権力」をめぐる本篇は、劈頭に示された「食は、ひとを生かすことも、殺すこともできる」という命題によって、シンポジウム全体のテーマ「食べること、生きること」の背面にあるものを鋭く照射しながら始まった。ヒトラーの毒見役マーゴット・ヴェルク(Margot Wölk)の逸話の紹介を経て、シンクレア『ジャングル』(1906年)、マルケス『百年の孤独』(1967年)などの文学作品も参照しながら食品産業(資本権力)がおこなってきた労働者搾取、環境破壊の歴史がたどられ、国家権力の側では、氏の研究の中心的対象であるナチス・ドイツを例として、その成立の背景にイギリスの食糧封鎖が引き起こした第一次大戦中の飢餓の記憶、上で言及したウクライナにおけるホロドモールの「教訓」など、大規模な食料危機が大きく影を落としていることが指摘される。そのかぎりではたしかに「ひとを生かす」ことを目的としたナチス食糧政策は、しかし最終的には、その手段として「ひとを殺す」ことを選び取ったのであり、強制収容所と比べて知られることの少ない「飢餓計画(Hungerplan)」(ソヴィエト・東欧占領地域の住民に対しておこなわれた一種の強制飢餓政策──なお、そこでもっとも重要な戦略目標とされたのは、またしてもウクライナである)は、食をめぐって(我々の)生と(我々でない者たちの)死が表裏一体のしかたで癒合させられた、もっとも残酷な事例のひとつである。

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食を女性とほぼ排他的に結びつけながら、その労働としての価値を捨象してきた経済/経済学(ホモ・エコノミー)の支配、たとえばモンサントや日本のスミフルによる大規模な生活/環境破壊、ひるがえってそれ自体が産業化と結びついたカウンター・アグリカルチャーの動勢が招来しつつある食のいっそうの工業化、あるいは農の消滅……。今日の状況を眺め渡せば楽観的な展望を抱くことは困難であるようにも思われるが、藤原氏は発表の終盤、そのような現実を冷静に見据えつつ、けれど、他者から切り離された孤食ではむろんなく、しかし斉一的な共食でもない「縁食」がそうした支配的動勢とは別の回路を開く可能性を、さまざまな具体的実践のうちに見出した。兵士の体格改良という目的を淵源とし、否みがたく抑圧的な側面を持ちながら、なお多形的な機能を担いうるはずの学校給食。しかしなにより、貧困の解消とともにお手伝いの場であり、学習の場であり、さらに社会とのコンタクトの場でもある「ばんざい東あわじ」や、カウンター形式を導入して大人と子どものあいだの権力関係を解除しようとする「けやきの木保育園」(付言すれば、ひとが水平に並び、向かい合うカウンターは「対抗」を意味する「カウンター」と語源──ラテン語computare(「ともに数え入れる」)──を同じくする)といった「子ども」食堂。さらにまた、氏自身もコミットした、誰もが食べてよく食べ物を分け合ってよく、寝転がって眠ってよく、録画、録音してそれを分かち合ってよい「仕立て屋のサーカス」……。避けがたい時間の制約もあり、それら多様な試みを紹介するパートはやや駆け足となったが、我々をますます窮屈に取り囲むかのような「食権力」の作用が前もって稠密に分析されてあればこそ、そこに込められた希望の貴さが深く共有されたと感じる。

続けて登壇した河村氏の発表は「初期ソヴィエトの「社会食」とその表象」と題された。「社会食」は(もしかすると「縁食」以上に)耳慣れない単語かもしれないが、これまでの辞書では「公共外食制度」、「公共給食」などと訳されてきたロシア語общепи́т(обще́ственное пита́ниеの省略形)が現実において示した拡がりを勘案しながら、氏がその訳語として今回新たに考案した表現である。言い換えれば、発表は研究上のまさしく新視角を提示する場となったわけだ。以下、拙いながらにその要約を試みよう。

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河村氏はまず、初期ソヴィエトにおける「社会食」を考察するにあたって1革命/戦争後の食料難の解決、2女性の社会進出、3)食の機械化/工業化/ソヴィエト化、4)経済政策と食、という四つの項を挙げ──これが藤原氏の発表とさまざまに呼応するものであることはいうまでもない──、それを解釈上のグリッドとして柔軟に用いつつ、1)戦時共産主義、2)新経済政策、3)第1次5カ年計画という三つの経済政策に即した時期区分をおこない、それぞれについて綿密かつ繊細な分析を展開した。

1)内戦状況に対応した戦時共産主義にとって食糧政策は当然ながら大きなウェイトを占め、パン不足、穀物供給の逼迫への対応の結果、食の公共化が進められることになった。なにより顕著な施策は配給券制度の導入である。そこでもっとも優遇されたのは重労働者であり、企業所有者や商人は最下位に置かれ、そのかぎりで同制度は公式の社会ヒエラルキーを忠実に反映するが、厳格な制度の適用を潜り抜けようとする者が現れるのも世の常であり、闇商売はもちろん、配給券や物品/食料の私的取引(「配給券漁法」、「トランク屋」)が汎くおこなわれる。同時に特筆すべきは、諸種の政治的モティーフやスローガン(たとえば「働かざる者食うべからず」)をあしらった「アジテーション陶器」が登場し、食卓をつうじたプロパガンダが進んだことである。

2)市場原理を部分的に導入した新経済政策=ネップ(НЭП)は、食の面でも上記の戦時体制に対する揺り戻しをともなう。私営企業の復活とともにレストランが再開され、帝政風メニュー(たとえば、表記にフランス語を混在させた「ロシア風お粥(каша à la russe)」)が供されもする。同時に、こうした新しい風俗は新聞紙上では諷刺の対象となる。いや、そればかりでなく、1925年の中央統制委員会大会ではネップマンとの会食、そもそもレストランの利用が批判の対象となり、その名称が「消費者組合有料連合食堂」に置き換えられたりもした。こうした私営企業に対する闘争にはたとえばロトチェンコ、またマヤコフスキーも加わり、両者は共同で国営企業や協同組合の宣伝をおこなった。同時に公共食堂の充実が図られ、食と味覚の「革命化」が進み、そこでいわばエンジニアとして雇用された女性たちの社会進出を導く。さらに、これと相即しながら、キッチン機能を縮小して公共食堂への集約化を図る公共住宅が建築されてもいった(紹介されたさまざまな図版を再掲できないことが惜しまれるが、氏の著書『ロトチェンコとソヴィエト文化の建設』(水声社、2014年)でそのいくつかを参照することができる)。

3)続く第1次5カ年計画(1928-1932年)は顕著な引き締めの時期であり、コルホーズが象徴するとおり食糧生産・流通についても統制が強化され、そのことがまた、深刻な食糧危機を招き寄せもする(繰り返すまでもなく、ホロドモールはこの時期の出来事である)。とはいえボルシェヴィキ(=スターリン)の公式宣言(1935年)によれば計画は「成功」したのであり、以降、この宣言を後追いする(というよりも後追いせざるをえない)しかたで「豊かさ」の実現(とその表象の構築)が追求されるようになる。食糧政策面を主導したのはボルシェヴィキの大立者アナスタシス・ミコヤンであるが、かれがとりわけ注力したのは、いみじくもハンバーガー/ハンバーグとアイスクリームであった。アメリカの生産工場を実地に視察もしたミコヤンはかくして食の大量生産=大衆化を先導するが、他方では食品産業人民委員会をつうじて食の規格化(ブルジョワ的か否か)を推進し、斉一的な「ソヴィエト料理」を成立させることになる。

以上を踏まえ、河村氏は暫定的な総括として、ソヴィエト「社会食」の成立が決して孤立した現象ではなく、工業化、平均化、外食化といった志向を資本主義圏と深く共有していること、しかしまた、配給制度をつうじた生政治の実践という側面を持つこと、さらに今日「ロシア料理」として受容されるものの実体が多分に「ソヴィエト料理」(作られたナショナリズム)に見出されうることを指摘しつつ、「社会食」がひとびとの望む食のかたちであったかどうかという点を大きな問いとして提起し、発見に満ちた発表を閉じた。

最後に登壇した星野氏は「食の規範性をめぐって:ブリア=サヴァラン『味覚の生理学』とふたつの逃走線」というタイトルのもと、ブリア=サヴァラン、ロラン・バルト、シャルル・フーリエを取り上げつつ、藤原・河村両氏の発表に対して思想史の側から、みごとなカウンター・パートを演じた。

発表は、タイトルが示すとおり、18−19世紀フランスの著作家ブリア=サヴァラン『味覚の生理学(Physiologie du goût)』(1825年──一般には『美味礼讃』で知られる)の読解から始まる。いうまでもなく、日本語話者にもなじんだ「ガストロノミー=美食(gastronomie)」という表現を人口に膾炙させた名高い書物であるが、星野氏はその本文冒頭で、伝統的な五感に加えて「生殖ないし肉体的な愛(le génésique ou amour physique)」(なお、génésiqueの語は当該著作が初出とされている)の重要性が強調されることに注意をうながしつつ、著作全体を貫くブルジョワ=異性愛的な規範性を明快に剔抉した。この規範性はまた人間を動物一般から種別し(「動物は食うが、人間は食べる(Les animaux se repaissent, l’homme mange)」)、かつまた人間の内部にも、食卓(会食)の作法を身につけたものとそうでない者という階層を導入する。その特権的なトポスとなるのは新しい発明としてのレストランである。レストランは敏速かつ清潔に食事を提供する機構として高く評価されながら、他方でその弊害も指摘されるのだが、弊害とは畢竟、「孤食」である。レストランにおいてひとは他者への配慮を忘れて自分の食事に専心し、結果として利己主義を助長されてしまうというのだ。優雅な会食を理想化することは、かくして孤食の排除へ向かう(藤原氏『縁食論』を引きつつ星野氏がいうように、孤食に(も)認められてしかるべき価値が捨象されてしまう)。

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ただ、ブリア=サヴァランに見られる以上のような規範性を批判することはあまりに容易い、氏はそのように指摘し、むしろ、それに対するふたつの「逃走線」の可能性をロラン・バルト、シャルル・フーリエのふたりに求めていった。鍵語となるのは「一時間」である。

『味覚の生理学』劈頭の箴言で、ブリア=サヴァランは「食卓こそは、少なくとも最初の一時間は退屈せずに過ごすことのできる、唯一の場処である」と述べていた。同著作の新版(1975年)に序文を寄せたバルトは、そこで、この「一時間」を「新奇さ」──たとえば供される料理の珍しさ──に対する驚きの儚い持続を指すのだと解釈している。あるいはまた、1977年のコレージュ・ド・フランス講義『いかにして共に生きるか』では、ブリア=サヴァランのテクストを微妙に改変し、その快楽が「はじめの一時間しか(elle ne dure que la première heure)」続かないのだと述べる。テクストの細部に窺われる微妙な距離感の背景には、とりわけ後者で繰り返し言及される「イディオリトミー」の概念がある。「同じ(idio-)=リズム(-rythmie)」を意味するこの概念は、字義的には斉一的なリズムの共有を肯うかに見えるが、星野氏は(バルトも参照したであろう)ジャック・ラカリエール『ギリシアの夏』(1976年)を引きつつ、そこで指し示されるものが(アトス修道院を範例とする)共同性と個別性の両立の可能性であったことを指摘し、さらにバルト自身、共生の「対抗−イメージ」として家庭と並べてレストランを挙げていたことに言及した。

食卓を共にすることにおける、しかし保たれてあるべき個別性という「逃走線」がバルトへの参照をつうじて示唆されたのだとすれば、振り子を反対に振り切った先には、やはりバルトによって「いついかなるときもブリア=サヴァランの「そばに控えている」」と評されたフーリエがいる。「ガストロミー」ならざる「ガストロゾフィー=美食学(gastrosophie)」を提唱しもしたフーリエにとって、食の問題は恋愛と並んで、その誇大妄想的でもあるユートピア構想の鍵であった。「文明世界」──とはフーリエにとって、来たるべき「調和世界」のはるか手前で錯誤のうちを踏み迷う混迷状態の謂であるが──なるほど食もまたそこでは恐ろしく単調で均質的で、だから「滑稽きわまりない」営みであるほかない(「サロンたるや〔……〕晩餐を待つ死ぬほど長い小一時間」)。『四運動の理論』(1808年)で提示されたこの認識は、ブリア=サヴァラン『味覚の生理学』に対する先駆けた批判となっているが、ひるがえってフーリエが「調和世界」に固有の「複合美食術(gastronomie combinée)」として提案するのは、「共食者」が絶えず入れ替わり、とりわけて常に「外国人」の姿が見られるような、徹底して可変的な場である(星野氏が示唆したとおり、このモデルは『愛の新世界』が提唱した極限的に自由な恋愛=性愛のありようと共振している)。

ブリア=サヴァランが呈示するブルジョワ的共食のモデルに対し、一方ではそれを刳り抜きながら「個」の次元を注視したバルト、他方ではそれを限界まで拡張してほとんど破裂に至らしめたフーリエ。規範とそこからの逃走線を犀利に描き出した星野氏は、最後に問題系を包括的に検討する理論的なフレームとして、飲食、会話、性愛を貫くような「口唇的感性論」の豊かな可能性を示唆して発表を締め括った。

その後ただちにおこなわれた質疑については、登壇者の発言を中心に要約的に記すことにしたい。

1)19世紀前半「生理学(physiologie)」の位置、またその学問的な規範性について──星野氏からは、生理学という語が同時代に汎く用いられた語であることはたしかであり、ブリア=サヴァランにおいても(疑似)科学的な記述をそこかしこに見いだせるが、総じて遊戯的な印象が強いという回答がなされた。また、藤原氏は農学への化学の導入を押し進めたユストゥス・フォン・リービヒの著作『化学の農業と生理学への応用』(1840年)を挙げ、栄養素、さらには旨味を無機物に還元しながら説明するその姿勢に、当時の農学において生理学が持ち得たインパクトが看取できることを述べた。

2)食の規範化という趨勢がたしかに認められるとして、そのカウンターはどのように構想されうるのか──これについてまず、河村氏から、他の両氏の発表を承けつつ、たとえば学校給食においても、抑圧的な管理の実践と同時に縁食的なものを可能とする積極的な意義が認められることを強調する旨の発言があった。また、藤原氏は、ナチス・ドイツを事例に、国家がナショナリズムを旗印として食の統制を進めたことはまちがいないが、にもかかわらず食のありかたが根本的に変わったわけではなかったという同時代の証言のあること──規範化が現実においてそのまま貫徹されたわけではないこと──を指摘した。また現代の日本について、鳥取のある「子ども食堂」では子どもと同時に高齢層にもアピールをしたのだが、思うような成果を挙げられず、あるとき「子どもを助けて」というメッセージを発したところ、老人たちが集まるようになったという事例もあり、試行錯誤をつうじた規範形成のありかた──カウンター・モデルというよりも生成モデル──を重視したいというコメントが添えられた。さらに星野氏からは、フーリエやバルトの空想的なモデルが現実の規範とは別の回路を開く可能性が言及された。

3)大連のアウトソーシング・センターが集中する地域では「子ども食堂」の大人版のようなものが実現され、所属を異にする多様なひとびとが共通の食堂でインフォーマルな交流をおこなう場となっていた──この点をめぐっては、藤原氏から、食事を重視する企業文化の存在(たとえばアメリカ西海岸)、また、評価は分かれるだろうがシンガポールなどにおける屋台の集約化(ホーカー・センター)、さらにドイツでは日本における「子ども食堂」が「母親食堂」と呼ばれていることなど、多様な事例の紹介がなされた。

4)生態系モデルに依拠するとき、食をめぐって人間と動物は同一平面に置かれるのか、あるいはなにかしらの境界があると考えるべきか──まず、星野氏から「トス」として、藤原氏の『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社、2019)を参照しつつ、なぜ食べる側が上で食べられる側が下なのか、という問いが補足され、これに対して藤原氏は以下の二点をつうじて応答した。1)一方で、人間と生物一般との食物連関をめぐる考察はなお不十分であり、実践面──たとえば、いかにしてフードロスを解消するのか──をも見据えたいっそうの掘り下げが必要である。2)それでもなお、人間と動物を同一平面に置くことはできないと考える。具体例を挙げるなら、たとえば人間の文化は性をクローズドなものとする一方で食をオープンにしたが、ゴリラにおいてそれは逆転している。こうした差異に根源的な人間性を考えるヒントがあるのでないかと考える。また、ブリア=サヴァランが「動物は食い、人間は食べる」と述べたのだとして、ナチス・ドイツにおいて「食う(presten)」とされたのは外国人である。さらに、麦やイモは人間の食料であると同時に家畜の餌でもあり、結果、飢饉においては「人間と豚の戦争」が生じ、そのことはナチスの飢餓計画においても認められる。このような非対称性を考えることが必要であろう。最後に、河村氏からは、食文化研究と生態学的研究のミッシング・リンクを埋めるような研究の必要性を強調する、シンポジウム全体の総括ともいえるコメントがなされた。

以上、「報告」というにはあまりにも冗長な内容となったと承知しているが、きわめて多岐にわたるトピックをできるかぎり紹介したいと考えた結果ではある。必然として誤解や短絡の多々あることも免れがたいはずだが、それについてはご叱正を俟ち、せめて今後のさまざまな研究展開に向けた最小限のインデックスのようなものを提供できていればと願う。

動物論、植物論などの展開とリンクしながら今日もっともホットなトピックであるといえるだろう「食」の主題をめぐり、歴史学、芸術学、思想史がみごとに溶け合ったシンポジウムは、本学会の特色をよく示しながら、(冒頭に福田氏が強調したとおり)なお許されてはいない会食を、けれども夢と現のあわいに実現するようなきわめて滋味豊かな饗宴の場となっていた──なくもがなの一言ではあるが、司会を務められた福田氏、登壇者である藤原氏、河村氏、星野氏の闊達なホスピタリティを賛嘆の念とともに思い起こしつつ、どうしてもそのように書き添えておきたい。

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シンポジウム概要

食は私たちひとりひとりの生の持続を可能にする。それら無数の生の絶えざる連鎖が人類の歴史を紡いできたのだとすれば、食とは歴史の条件のひとつである。食はまた人と人とを繋ぐ。食卓を囲み、時にたわいもない会話にひたりながら同じ食べものに興ずることで、「共に生きる」私たちのありようの欠くべからざる部分がつくられる。このような意味で食とは、歴史を可能にし、また共同体を可能にする時空間的な「メディア」である、とひとまずは言えるだろう。

いまだ収束のみえない新型コロナウィルスの世界的な流行は、そうした「メディアとしての食」のありように、根本的な疑義を突きつける事態であった。マスクの装着はいつか日常化し、それを外さないことには成立しない「会食」という文化は、公衆衛生の名のもと、その存立可能性の困難に直面したまま今日を迎えている。今回3年ぶりに完全対面で実施される表象文化論学会大会も例外ではない。かつては皆でテーブルを囲みつつ談笑した夜の懇親会の時間はプログラムから抹消され、代わりに設けられた歓談会も、マスクの着用そして飲食物の不在を条件にして実施される。

そこにあるのは「口」という器官の不在、身体と外界との境界をなす器官の徹底した不在だ。飲食と呼吸と言語とがともに生きられる「口」という器官を互いに晒しあうことが注意深く退けられたまま、いたずらに経過してしまった時間としてのコロナ禍。その禁忌の時間とは、食のメディア的性格をわれわれの生の前提とすることそれ自体が、徐々に相対化されてゆく時間でもあったと言えるだろう。いや、感染症の問題はきっかけに過ぎなかったのかもしれない。「孤食」が社会的に問題化されるようになってからすでに長い時間が経過し、また口を経由せずに栄養を摂取して可能となる生の姿も、21世紀の社会においてはけっして珍しいものではあるまい。冒頭に記した「メディアとしての食」の姿とは、なかばは不在をめぐるイリュージョン、あるいはノスタルジーに過ぎないのかもしれない。

ロラン・バルトを参照しつつ、ここであためて問い直そう。
われわれは、いかにして共に食べ、いかにして共に生きるか。

今回のシンポジウムでは、食にまつわる思考を固有の専門性から深めてきた歴史学者、美学者、美術研究者、そして人類学者による議論を通じて、このきわめて現代的であると同時に本質的な問題を、複数の視点から捉え直してみたい。そこから浮かびあがるのはおそらく、食と共生のユートピアへの郷愁とは一線を画した、「メディアとしての食」のあらたな相貌となることだろう。その相貌の断片のいくつかが、ここに久しぶりに集ったひとりひとりの生になんらかの刻印を残すことを期待したい。

広報委員長:増田展大
広報委員:岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年10月23日 発行