パネル4 映像アーカイブ考察 ──福岡、広島、ソウル、そしてヨーロピアナから学ぶこと
日時:2022年7月3日(日)13:30-15:30
- 地域映像アーカイブとの対話──福岡・広島の事例を中心に/石原香絵(NPO法人映画保存協会)
- 韓国映像資料院(KOFA)との対話──プロアクティブなアジアからの配信とその意義/Kim Joon Yang
- ヨーロッパのフィルムアーカイブとの対話──European Film Gateway に見るデジタルアーカイブの可能性と課題/常石史子(獨協大学)
【コメンテイター】とちぎあきら(独立行政法人国立美術館 国立映画アーカイブ)
【司会】ミツヨ・ワダ・マルシアーノ(京都大学)
絵画、彫刻、建築、映画といった形を問わずいかなる芸術において喫緊の課題となる事柄がある。それは作品として残されたものをどのように保存・修復・収蔵し、そしてそのような行為を経て多くの人々に「開かれ」活用されるかということである。午前中の開催校ワークショップにおける映画の「理論」に関する濃密な討議を経て、同じ講義室にて開催された研究発表4『映像アーカイブ考察──福岡、広島、ソウル、そしてヨーロピアナから学ぶこと』では映画、映像をテーマにこれらを手掛けている様々な「アーカイブ」について、多種多様なケース・スタディーズに基づく報告がなされることによる「実践」の場となった。
本研究発表は科研費基盤研究B「デジタル映像アーカイブの未来研究」(研究代表者:ミツヨ・ワダ・マルシアーノ、2020-2024)の一環として実施されており、研究発表を行った3人は本研究プロジェクトのメンバーである。司会のミツヨ・ワダ・マルシアーノ氏からはまずこのことが触れられたうえで、本パネルの目的が法令、規模、予算、エイジェンシー、人材不足といった様々なコンテクストを踏まえながら、様々なケース・スタディーズに共通のテクストとしていかにアーカイブを「開いた」ものにするのかということを思考することであることが提起された。その中で研究発表者は、地方、国家、集合体という側面からそれぞれにおけるアーカイブの特徴や課題を踏まえた報告を行った。各々の発表の豊饒な内容に比して以下駆け足な報告になることをお許しいただきたい。
まず石原香絵氏(NPO法人映画保存協会)の発表では、地方のアーカイブの事例が取り上げられた。石原はまずスコットランドにおける地方アーカイブの歴史及びユネスコのアーカイブ基準に触れながら、地方アーカイブの4つの条件(①現物資料の収集、②長期保存に適した収蔵庫、③館内上映(映写システム)施設の、④映画、映像、資料の専門家)を提起した。その中で、地方アーカイブとの事例として福岡(福岡市総合図書館)と広島(広島市映像文化ライブラリー)の事例を取り上げているが、特徴的なリスクとして川崎市民ミュージアムのように自然災害等で水没した事例にみられるようにアーカイブの建物の老朽化とそれへの対応策が不透明であることが示された。しかし地方アーカイブならではの特徴として、石原は磁気テープ(VHSやBeta)、収蔵による文化財登録の事例、独自の映画祭との関係、地域映画の上映、映画上映システムの保存(映写機などのアナログ技術の保存)を挙げ、これらの役割が地域アーカイブを豊かな形にしたことを示している。最後に今後地域アーカイブのあるべき姿としてCOVID-19感染拡大以降の変遷を踏まえながら、「開かれた」アーカイブとして①デジタル化による閲覧が容易になること、②映像利用の活発化による人間の交流(作家、研究者、アーキビスト間の交流)が望ましいことが提起され、特に後者に関しては事例としてドキュメンタリーが制作されたことが示された。
次にキム・ジュニアン(Kim Joon Yang)氏(新潟大学)の発表では、国家の事例が示された。その中で韓国にあるKOFA(韓国映像資料院)の事例が取り上げられたが、本発表のきっかけとして神戸映画資料館で発掘された韓国初のカラー長編アニメーション映画『ホンギルドン』(申東憲、1967年)がKOFAによって修復、DVD発売、YouTube公開が行われたことにより現代の観客へと開かれた事例が示された。キムはKOFAの仕事(修復、図書館やKMDb(VOD、ムービーデータベース)、YouTubeによる公開)の在り方から社会との関係が重視されていることを指摘する。関係の重視においては3つの視点が重要であることがキムの報告で示唆されるのだが、それは第一にKOFAが唯一修復・保存ができる組織であるということが故の社会的影響、第二に公共機関もデジタルメディアに参入しやすいという環境の形成、第三に映画祭や修復に関わるフィルムファウンデーションとの関係が挙げられる。そこには国民、とりわけ未来の国民がKOFAにとっての顧客であり、アーカイブが一種の情報資源であるという思想が反映されていることが理解できるという。キムはボルター&グルーシンの「Remediation」(再メディア化)の概念を活用することで二つの軸(1 :透明性、2 :経験)を打ち立てる。前者においてはフィルム保存やデジタル化による再評価が挙げられ(一例として『下女』(金ギヨン、1960年)の再評価を挙げる)、後者においては現代の若いユーザーがデジタルアーカイブされた昔の映画を新たに見ることが可能になることが指摘された。最後に今後のデジタルの課題としてフォーマットの変化への困難さ(修復のレベルをいかなるようにするか)が挙げられ、KOFAが修復によるデジタル化とその公開を拡張させることによるアーカイブの位置取り、アイデンティティの確立に一定成功しながらも、収蔵コレクションの中には女性監督の作品やアニメーション作品が少ないという大きな課題が残されていることが提起された。
最後に常石史子氏(獨協大学)の発表では、集合体のアーカイブの事例が取り上げられた。常石の問題意識としてヨーロッパにおけるまとまりがいかにつくられているかについての見取り図を概観する中で、映像アーカイブそのものが変化しているのではないだろうかということ、現物資料の収集を物理的な機関と共に行う既存のアーカイブからそれらを前提しないデジタルアーカイブへのシフトチェンジが見られる今、両者がどのように共存することが望ましいかということが挙げられる。その中で常石はヨーロッパにおける様々なアーカイブ事例を取り上げつつ、代表的なものとしてEuropean Film Gateway(2008年-2011年の時限プロジェクト)の存在を取り上げる。このプロジェクトはポータルに徹しながら16か国22機関が参加し大規模に動画や静止画、写真に関する情報をアーカイブしたため「デジタルアーカイブの墓場」と呼称されながらも歴史的な位置づけとアーカイブ研究における大きな展望を切り開いたものであったことが示唆された。だが同時に年月が経つにつれ登録されている映像の数が減少していた事実があることがデジタルアーカイブの脆弱さの証左ではないのだろうかという提起がなされた。またこのプロジェクトは集合体が故の弊害として、各国で独自のアーカイブプロジェクトが進まなかった一因にもなってしまったことも指摘された。しかし3年間の中でプラットフォームの技術の向上と、いかなる動画配信サービスが使用に適しているかの厳選が行われたことがあったというメリットもあったことが同時に指摘された(そのうえでVimeoの使用、YouTubeへの不信感が生まれたという)。フィルムアーカイブからのデジタルシフトについて、常石は弱小・中小のアーカイブは参照資料にとどまる映像しか提供できないという事実がありながらも、例外としてオランダのEye Filmmuseum、イギリスのImperial war museumsといった機関がHDや2K画質の映像を提供することにより資料的な価値や映像のすばらしさを積極的に周知し、また教育的でキュレーションシップに基づいたアーカイブの位置を確立したことを指摘した。最後にCOVID-19の感染拡大で物理的な施設の臨時休館等による展示状態の停滞とオンライン上映による「開かれた」アーカイブへのなし崩し的な移行が強いられる現状において現物資料とオンラインアーカイブの両立をいかに行うかに関する問題提起がなされた。その中で常石は、現物資料のキュレトリカルでコレクター気質を持つアーカイブの性質はデジタルアーカイブという網羅性を携えるべきアーカイブにおいては決して理想な状態ではないことを指摘する。同時にYouTubeのような私企業にすべての映像を託すこともアーカイブの持つべき公共的利益と反することを踏まえ、現物資料アーカイブにおけるアーキビストの日常的な活動の延長線上でのデジタル映像アーカイブの姿に持続可能性が見出せることを結論として提起した。
3人の発表の後にとちぎあきら氏からアーカイブが「開かれる」ということに3つの意味付け(①扉を開くこと:役割の分散、②どのように開け閉めするのか:どのようにまたどのくらい公開するのか、③どのくらいの年単位で考えるのか:復興というアーカイブの特質を踏まえたうえで時間というものをどのように考えるのか)を踏まえたうえで各々の発表に対するコメントがなされた。まず石原の発表に対しては①教育機関と映像アーカイブの連携不足による教育機会の減少、②映画制作(フィルムコミッション)と映画アーカイブの結びつきが少ないことによる、③コミュニティシネマとアーカイブの結びつきが少ない音による上映活動の不活発化、④映画祭との結びつきが映画祭の消滅等によって閉ざされてしまったことが指摘したうえで、これらの問題への取り組みが映像アーカイブの存在意義を高める基盤となり更なる潜在性を持つことが提起された。次にキムの発表に対しては、「修復⇒活用」という図式からアーカイブを考えるキムのアプローチを評価したうえで、ボルタ―とグルーシンの概念から生み出された二つの概念を物質性と没入性として考えるべきではないだろうかというコメントがなされた。この二つの相反する概念をもってデジタルアーカイブを再定義することが可能であることをとちぎは指摘している。もう一つ、修復の議論について、とちぎは「複製芸術」や「タイムベース」に基づいた表現活動において古典的な修復理論が適用できる範囲を見定める余地があることについてキムの留保に賛同しつつ、修復について手動修復を、デジタル化についてはグレーディングについて検討する余地がないだろうかということが提起された。最後に常石の発表について、ファイル化における様々な問題(解像度、素材、選別、著作権など)を踏まえて相反する4つの傾向(①上映や展示活動の間の差異化、②上映展示とデジタルアーカイブの共存、③商業利用と公共性、④キュレーションと非キュレーション)があることを指摘した。その中でとちぎは、こうした二項対立が存在しながらもキュレーションしつつ文脈を複数化させることが、動的なものとしての資料のマテリアリティや出所や来歴の情報を有用化させることへとつながること、これらがどのようにネットユーザーとのコネクティビティを活発化させるかを思考するためのキーワードとなることを提起した。
豊饒な内容の発表、コメントに応答するべく会場内からは多数の質問やコメントが寄せられた。以下一部の紹介にとどめるが、アーカイブとして認知されることが少ない事物(例としてブルーフィルム)においてはいかなる風に考えるべきかというコメントは重要であったと言える。また「未来」という観点において教育との関係は重要であり、敷居が高いとみられているフィルムを教育で活用するためにはどうするべきなのかという質問は本パネルの活性化には重要な質問であったと言えるだろう。
最後に少し私の個人的な体験と絡め合うことで本報告を締めることをお許しいただきたい。COVID-19感染拡大以降、デジタルアーカイブで映画を閲覧する機会が増えた一方で、現物資料を扱うアーカイブについて無知に近い状態であったこともあり、発表を拝聴する中でアーカイブを見学する必要性を感じていた。
本報告の執筆時故郷である広島に滞在していた私は、石原氏の発表で触れられた広島市映像文化ライブラリーを特別に見学する機会を得た。広島大学の学部時代に何度も映画を鑑賞しに行ったことはあるものの内部まで見学することは無かったため、今回初めて資料収蔵庫や映写室などを拝見する機会に恵まれた。2022年度の要覧を拝見する中で分かったこととして、本施設はもともと視聴覚教育の普及を目的として設立された機関であり、特徴として名作映画(本施設の収蔵対象は日本映画に限定されている)フィルムの収蔵本数768本に比して教育文化映画が3840点(全媒体合計)と圧倒的な本数であり、視聴覚教育ライブラリーとしてのアーカイブの在り方を見据えていたことがうかがえる。ビデオが普及していない1980年代から16ミリフィルムやフィルム等を上映するための機材を個人(市民)のために貸し出しを行い市民に開く立場を堅持する本施設の在り方は他の地方アーカイブとも一線を画している。フィルム上映そのものが衰退している中で上映機材を貸し出す本施設は、市民への、上映行為の技術の継承という貴重な役割を果たしていると言えるのではないだろうか。1998年生まれの私は、フィルムはおろかVHSやBetaを使用することすらもほとんど経験がない人間であり、現物資料としてのフィルム、テープがどのように保存・収蔵されているかを収蔵庫の内部を見学することで今回初めて知ることができた。それら収蔵されたコレクションの中で状態の良いテープ、16ミリフィルムを市民の手に貸し出すということにより、映像にはとどまらない上映や再生の技術を継承することも本施設の「開く」行為なのではないだろうか。テープを再生する機材もライブラリーの中には5台設置されており、その維持にも細心の注意を払っていることを聞くと、この持論にますます確信を抱くことができる。
また広島ならではのフィルム収蔵方針にも触れておく必要がある。年間10本程度フィルムを収蔵する本施設の特徴として、広島ならではの作品の収蔵に力を入れていることが言える。地方アーカイブならば、所在する都市に関わる作品を収蔵することに力を入れるのは当たり前だと言えるかもしれないが、地方の複数のアーカイブが助け合ったことで映画が救済された事例を一つ取り上げておく必要があるだろう。石原の発表でも触れられたように、川崎市市民ミュージアムは2019年の東日本台風で水没し多くの収蔵品が失われた。その収蔵品を巡って現在レスキュー活動が行われているのだが、収蔵品の中に川崎と広島にしか存在しない作品がある。今回そのような作品の一つが広島市映像文化ライブラリーのフィルム貸し出しによって修復され、新たな35ミリフィルムとしてお目見えされるという(詳細は以下のリンクを参照https://www.kawasaki-museum.jp/event/26139/)。特異な事例でありつつも、広島の収蔵方針がもたらした光明=未来であると言えるのではないだろうか。
見学した日はちょうど広島国際アニメーションフェスティバルが再編される形で今年初めて開催された「ひろしまアニメーションシーズン2022」の開催期間中でもあり、ライブラリー見学をしながら私はASの作品も一観客として鑑賞した。映画祭では、1980年代以前に作られた古典アニメーション映画を入場無料もしくは広島市映像文化ライブラリーとの連携により安価な価格で上映を行っていることが見られ、これまでの映画祭の方針に加えて古典映画再考を目指す映画祭のキュレーション方針の変化を感じ取ることができた。終了した映画祭を再編することの難しさに加え、新たな映画祭との交流も決して容易ではないことが想像に難くない。しかし、新たな映画祭が映画祭のレガシーと共に古典映画を上映しアーカイブと共闘することは、入場者に若い観客も多くいた様子を見ていると新たな観客を生み出すことに十分与していたと言える。
凡庸な限りで容赦いただきたいのだが、偉大な映画作家であるゴダールも「私たちに未来を語るのは“アーカイヴ”である」と主張していたことを思い出す。本発表は映画を保存・修復するというノスタルジア的な振舞だけではなく、「開く」ことによってそれこそ映画の「未来」を実践的に考えさせる貴重な場であるとともに、このパネルが「未来」について語ることにより、デリダの表現を拝借するならばアーカイブが「完全で終結しうるものではない」(『アーカイヴの病』(福本修訳)、法政大学出版局、2010年、87頁)ことを宣言する場であったことを改めて強調しなければならない。
パネル概要
本パネルは、映像アーカイブの未来を考えるため、幾つかのケース・スタディーズに焦点を当てながら、そこから見える問題点や可能性を考察することを目的とする。
映像を収集・保存し、映画祭や一部の専門家たちの要請に応じてのみ作品を見せる、いわゆる「閉ざされた」アーカイブの在り方はすでに終わろうとしている。むしろ、自分たちがどの様な映像を有しているかをアピールし、より多くの利用者に活用してもらうことを目標とする「開かれた」新しいアーカイブの在り方に私たちは気づいているだろうか。また、アーカイブの在り方の変化は、技術の変遷──特にデジタル技術の進化──に深く結び付いているだけではなく、各国・各地域の法制度や行政規制の違い、経済格差といった要素によっても大きく異なっていることに注視してきただろうか。
本パネルでは、日本における望ましい映像アーカイブの在り方を考えるため、各地域の異なる例に見受けられるアーカイブ事情、アーキビストを中心とした現場との対話、オンライン空間で提示されるコンテンツ・イメージの分析及び解読をおこなう。四人の発表者は、国内(福岡、広島)、アジア(ソウル)、ヨーロッパ(ヨーロピアナ)の映像アーカイブに注目し、これら各アーカイブの現実を見つめながら、アーカイブ相互間で重なり合う問題点や新しい取り組みに光を当てる
地域映像アーカイブとの対話──福岡・広島の事例を中心に/石原香絵(NPO法人映画保存協会)
映画フィルムなど映画資料の収集・保存およびアクセス提供(とりわけ館内上映)を使命とする国内の地域映像アーカイブには、(1)福岡市総合図書館/福岡フィルムアーカイヴ、(2)広島市映像文化ライブラリー、(3)神戸映画資料館、(4)京都府京都文化博物館/映像・情報室、(5)川崎市市民ミュージアム(2019年10月の台風19号による浸水被害のため、現在休館中)、(6)山形ドキュメンタリーフィルムライブラリーがある。運営母体(公共図書館・博物館、文化財団、NPO法人)や設置経緯は異なるが、(3)を除く5機関の設置時期は1980〜90年代に重なり、とりわけ(1)と(2)は、全国的に自治体の文化予算が減少、もしくは横ばい傾向にあるなか、施設の老朽化や再開発にともなう改修または移転計画に加え、職員の世代交代、長らく連動していた国際映画祭の終了といった共通の問題を抱えている。
一方で、2011年頃を境に映画の上映方式の主流がDCP(Digital Cinema Package)に移行し、さらにコロナ禍への対応を経て、所蔵資料のデジタル化の要請は高まるばかりである。昨今では、デジタル化による公開(活用)を優先し、現物資料の保存を検討しないプロジェクトも「映像アーカイブ」と呼ばれ、旧来の映像アーカイブの必須条件だった(低温度・低湿度の)映画フィルム専用収蔵庫や35mmフィルム映写の意義は揺らいでいる。本発表では(1)と(2)の事例を中心に現状を報告し、地域映像アーカイブの再定義を試みたい。
韓国映像資料院(KOFA)との対話──プロアクティブなアジアからの配信とその意義/Kim Joon Yang(新潟大学)
韓国映像資料院KOFAのアーカイブ政策およびその活動に関する本発表は、KOFAが韓国初のカラー長編アニメーション『ホンギルドン』のフィルムプリント(日本語吹き替え版)を2007年に日本の民間アーカイブから入手し韓国語版として「修復」したことをきっかけとしている。修復後の『ホンギルドン』はKOFA所蔵の他の映画と同様に、映画祭での上映、DVD発売、会員制の館内映像図書館(或いはKMDbウェブサイト上)でのVOD (Video On Demand)、YouTube上のKOFA専用チャンネルでの配信などを通して現代の観客との再会を果たし続けている。さらにシナリオ/録音台本、1960年代軍事政権下の審議・検閲文書など様々な関連資料をデジタル化し、一般市民が館内で閲覧可能な映像ライブラリーを運営している。
このようにKOFAは、アーカイブの保存という役割だけでなくその利活用を積極的に進めており、それによって映像アーカイブの存在意義に対する市民からの理解を広く獲得しているように見える。一方、映像素材の利活用には映画業界、著作権者、所有者といった様々なステークホルダーの異なる立場がある種のハードルとして浮上する。
本発表では、KOFAの映像修復チームのキム・ギホ氏、学芸研究チームのジョ・ジュニョン氏、情報資源開発チームのユ・ソングァン氏ら担当スタッフへのヒヤリング調査から、その活動の細部と方向性について判明したことを報告する。
ヨーロッパのフィルムアーカイブとの対話──European Film Gateway に見るデジタルアーカイブの可能性と課題/常石史子(獨協大学)
「映像アーカイブ」という言葉が意味するのは、第一義的にはフィルムなりビデオテープなりの現物資料を保存する機関であろう。だがそうした機関も今日では積極的にデジタル化を推進しており、各種の動画配信サービスをはじめとする、現物資料や保存施設の存在を前提としないさまざまな「デジタルアーカイブ」と入り混じっている。そうした中で、少なくとも利用者にとっての「映像アーカイブ」像は、次第に「デジタルアーカイブ」と等しいものとなりつつあるように思われる。
本発表は、そうした流れを形作ることになったごく初期の取り組みの一例として、Europeanaのパートナー・プロジェクトという位置付けで2008年に立ち上がった映像ポータルサイト、European Film Gatewayに着目する。現物資料を保存する機関であったフィルムアーカイブは、本プロジェクトによってデジタルアーカイブの側へと最初の一歩を踏み出すことになったが、その過程でさまざまな課題に直面した。そうした課題の整理を通じて、現在ではあまりにも当たり前になって顧みられることの少ない、デジタルアーカイブの問題性にあらためて光を当てる。そのうえで、その後の十数年で急速に進行した映画産業全体のデジタルシフトを受け、フィルムアーカイブのデジタルアーカイブ化がどのように進行したかを検討し、コロナ禍以降、より一層加速するこの流れにどういった展望を描くべきかについて考察する。