パネル3 大都市に抗する建築 ──建築理論・レトロスペクティヴ・オルタナティヴ
日時:2022年7月3日(日)10:00-12:00
- 空気調整と建築的ロボトミー──1930年前後のアメリカにおける「窓のない建物」をめぐる議論について/印牧岳彦(神奈川大学)
- 大文字の歴史が生まれる前に──マンフレッド・タフーリの設計活動と「都市の建築」/片桐悠自(東京都市大学)
- 大都市の小建築──「貧しいプロジェクト」への理論的考察/大村高広(GROUP)
【コメンテイター】後藤武(株式会社 後藤武建築設計事務所)
【司会】北川佳子(FLOT/S 建築設計事務所)
本研究発表では、20世紀以降の大都市における建築のあり方をテーマとした発表が行われた。印牧氏によるモダニズムと設備技術の関係、片桐氏による戦後の都市論と建築形態の関係、大村氏による現代の労働論というように、扱うジャンル、時期ともに三者三様であるが、コメンテーターの後藤氏が述べたように、本パネルの共通する問題意識は、資本主義のもとで際限なく拡大する都市に対して閉じていくような建築の対抗的な態度である。
印牧氏の発表では、レム・コールハースが大都市の摩天楼の特異性として提起した「建築的ロボトミー」の概念の事例として、空調技術の発展を背景に1930年前後のアメリカ建築界に現れた「窓のない建物」の構想が取り上げられた。都市に抗するイメージの一例を示す「窓のない建物」の構想は、設備技術者たちによる万博パヴィリオン等で注目されるようになり、建築界でも産業建築として実現されていったが評価は曖昧だった。印牧氏は建築界におけるこの評価を分析することによってモダニズムの二面性と功罪を明らかにする。「窓のない建物」は、大開口を有するいわゆる「近代建築」の登場とほぼ同時期に、大都市の過密問題の解決策としてエンジニアたちから提示されたのだが、それはまた閉所恐怖症という、広場恐怖症と並んで近代の大都市形成に伴って現れた空間恐怖症をもたらした。さらに「窓のない建物」の登場は、透明で開かれた空間へと向かうモダニズムの傾向、あるいはアンソニー・ヴィドラーがいう「近代的な空間化の不可避の論理」に逆行する現象といえるものである。最後に、近代化が生み出す建物が「近代建築」ではなく「ジャンクスペース」であるというコールハースの主張に従えば、モダニズムにおける「突然変異」としての「窓のない建物」がそのジャンクスペースの一つの起源として位置付けられる可能性が述べられ、印牧氏の発表は閉じられた。
片桐氏の発表では、主にイタリアの建築史家・批評家マンフレッド・タフーリの歴史と設計の理論が扱われた。まず彼の歴史観と、アルド・ロッシらが提唱する「都市の建築」への志向が論じられる。タフーリは著書においてロッシの建築作品の幾何学的形態の象徴性を評価したことが述べられ、さらに「都市の建築」への志向の例としてジャンウーゴ・ポレゼッロによる「ローマの下院議会新庁舎設計競技案」に対する論評が取り上げられる。タフーリは、ポレゼッロの「窓のない会議場」の全体ボリュームの正三角柱という幾何学的絶対性が、ケヴィン・リンチの唱える「都市のイメージ」に示される上部構造に対抗する、下部構造としての「都市の建築」を示すと肯定的に評価をする。他方で、エントランスの円柱群が設備機能を有することにより、全体の幾何学的象徴性の価値を下げていると批判する。片桐氏はまた、タフーリおよびポレゼッロが言及するピラネージの<イクノグラフィア>(「ローマのカンポ・マルツィオ」)に関して、都市におけるその幾何学形態の状態をライプニッツ的なモナド性として再考することを提起する。このことは「窓のない下院議会案」および「都市の建築」が、資本主義都市の拡張を制限する幾何学的形態のモナド性を有すること、つまりそれらが大都市に抗する建築とみなしうると理解できる。最後に、タフーリがそのキャリアの初期にStudio AUAとして共同設計したトリノの「チェントロ・ディレツィオナーレ設計競技案」が取り上げられた。提案には都市計画学的側面があることが認められつつも、ピラネージの<イクノグラフィア>と類似する平面上の幾何学形態の配置から、その造形要素のモナド性、つまり「都市の建築」的側面を有するという新たな評価が提示された。
大村氏の発表では、建築家・理論家ピエル・ヴィットリオ・アウレーリによる建築と労働に関する論文が扱われた。その論文におけるアウレーリは、イタリアの社会運動オペライズモを牽引したマリオ・トロンティの態度に倣って、建築業界の-中で/対抗する (dentro e contro)-態度をとる。まず、建築作品という創造的活動の労働対価と集団作業における作品の著作権の問題が指摘され、その問題解決のために平等な立場の各専門家による協働が提案される。続いてベンヤミンの「破壊的性格」のような空白状態、いいかえれば既成の制度や慣習の刷新をもたらす近代建築としてル・コルビュジエの「メゾン・ドミノ」とハンネス・マイヤーの「コープ・ツィンマー」が取り上げられた。前者は空白の、スケルトン空間が提供された入居者には自らの住空間をつくることによる作者としての感覚が生まれる。後者は無個性の室内に匿名的な可動家具が与えられることで所有の感覚が奪われる。アウレーリは、現在世界中で取り組まれる参加型実践的な建築活動を現状の社会・政治の維持にすぎないものと批判し、上記の建築事例のように空間・建築・土地の所有権の再組織化を提案する。つづいて、周辺環境と厳しく対峙する「絶対的」な状態の建築を意味する「絶対建築」が取り上げられる。アウレーリは批評活動において際限のない都市開発の状態を海に、複数の絶対建築がその都市化に抵抗する状態を群島にみたてている。大村氏はポスト・オペライズモの理論で知られる現代政治研究者サンドロ・メッザードラのロジスティクス空間の労働問題に関する論文を引用しつつ、アウレーリの「絶対建築」の理論との類似性を指摘する。そして建築の「絶対性」、すなわち場を「分離」するという建築の機能を参照することで、ロジスティクスの内部で労働者が自律的なインフラを構築し、抵抗していく可能性を論じる。最後に大村氏は、極限を想定したアウレーリの理論の有効性について疑問を示しつつも、著作権や利用形態などの所有の問題に対する「新たな協働の形式」の提案に建築活動の展望をみて発表を閉じた。
三者の発表が終えられたのちに、コメンテーターの後藤氏による質疑と総合討論へと移った。後藤氏は、三者の発表は「閉じる」ことによって都市にはたらきかける建築の容態を探るところに共通性があると指摘した上で、それらが都市に対して具体的にどのような建築の批評性が発揮されるのかという問いがなされた。直接的な回答はなかったものの、コールハースのいう「ジャンクスペース」の典型であり、消費社会の建築を代表するショッピングモールは窓がなく周辺環境、都市の存在を消していること、またそれはリンチ的な資本主義の『都市のイメージ』が実現したものであること、ポレゼッロの作品の正三角柱という幾何学絶対性は骨格あるいは記号として残り続けるものであること、他方で資本主義に抵抗して現れたと思われるロッシの墓や骨のイメージは70年代のシュールレアリズムに結びついて意味が逆転し資本主義にのみこまれたこと、ミース・ファン・デル・ローエの建築作品の基壇が建築の自律性を示すと同時に都市への接続という両義性を有することなど、共通するテーマのほか、都市に対する建築の関わり方をめぐって活発な意見交換が行われた。
パネル概要
20世紀における建築理論の展開には、「大都市metropolis, Großstadt」という主題が深く関わっている。すなわち、戦間期の前衛運動から戦後の経済成長期における議論に至るまで、その背景には資本主義経済の発展に伴い巨大化する都市に対して、建築はいかに批評的な立場を取りうるかという問題が存在した。本パネルの目的は、20世紀以降の「大都市」と建築理論の関係にレトロスペクティブに光を当て、グローバル化の進展によって更に加速する「大都市」の資本主義リアリズムのなかで、都市に対する建築理論の対抗的価値を問い直すことにある。
本パネルでは以下の三つの題材から「大都市」と建築理論の関係を検討する。印牧の発表では、1930年代前後のアメリカにおける建築と都市の切断の問題を、レム・コールハースによる「建築的ロボトミー」の概念を手がかりに読み解く。片桐の発表では、アルド・ロッシとの関係から、マンフレッド・タフーリの建築設計思想に隠された「都市の建築」への志向を探る。大村の発表では「大都市の建築」の背面にある低予算・低報酬・短時間の建築的実践に注目し、建築理論家ピエール・ヴィットーリオ・アウレーリの労働に関する言説を通して「プロジェクトの貧しさ」を理論化する可能性について検証する。
建築理論を遡及的に踏査することによって、現代都市に対するオルタナティヴとなるような都市理念を描き出すことが本パネルの目標である。
空気調整と建築的ロボトミー──1930年前後のアメリカにおける「窓のない建物」をめぐる議論について/印牧岳彦(神奈川大学)
1978年の『錯乱のニューヨーク』において、19世紀末から20世紀初頭にかけてのマンハッタンのメトロポリスの生成を描き出したレム・コールハースは、「大都市」の建築としての摩天楼の特異性を表すものとして、「建築的ロボトミー」と呼ばれる概念を提起した。これによって示されているのは──そこで用いられている脳外科手術の比喩のごとく──建物の内部と外部が切断され、都市環境から切り離された内部空間において純粋な人工環境が成立するような状況である。
本発表では、「大都市」への建築的対応としてのこの「ロボトミー」概念を一つの手がかりとして、1930年前後のアメリカの建築界における一つの新奇な提案、すなわち「窓のない建物(windowless building)」をめぐる言説と表象についての検討を行う。大恐慌の発生を契機とするニューヨークの摩天楼文化の転換点でもあるこの時期、空気調整をはじめとする設備技術の発展を背景として新たに現れてきた「窓のない建物」という試みは、外部との完全な無関係という点において「建築的ロボトミー」の極端な例を示しているともいえる。このような試みが提案された背景とその根拠、そしてそれらにどのようなイメージが与えられたかの分析を通して、「大都市の建築」としてのその位置付けと問題性を明らかにすることが本発表の目的である。
大文字の歴史が生まれる前に──マンフレッド・タフーリの設計活動と「都市の建築」/片桐悠自(東京都市大学)
20世紀を代表する建築理論家マンフレッド・タフーリが、そのキャリアの初めに建築設計・都市計画を行ったことはあまり知られていない。本発表では、タフーリの1960-70年代のテキスト分析を通して、彼が社会改良主義的な都市計画へと接近し、のちに批判へと至ったプロセスを明らかにする。
1970年代の彼の「階級建築(解放された社会のための建築)は不可能である」というテーゼは、同時代人アルド・ロッシが『都市の建築』(1966)で論じたような資本主義都市の枠組みに包摂された社会改良主義=モダニズム批判を参照している。実際、タフーリは、『コントロピアノCONTROPIANO』誌への寄稿を通じて、歴史家として超越的な歴史概念を醸成する。こうしたタフーリの大文字の歴史への信条は、著作『建築のテオリア』(1968)『設計とユートピア』(1973)における建築家の計画思想への批判としてよく知られている。
しかし、1960年代前半に彼がStudio AUAとして設計した都市計画は、複数のメガストラクチャーを組み合わせた計画として、大都市を「改良」する意図をもっていた。本論は、タフーリのモダニズム的都市計画への共感を踏まえ、彼の設計思想における「都市の建築」への志向を明らかにする。特に建築家ジャンウーゴ・ポレゼッロによる「窓のない下院議会」案への批判(1968)を考察する。そしてタフーリが、大都市の中の単一の建築的モノリスによって資本主義都市の拡張を制限するという可能性を見ていたことを論じる。
大都市の小建築──「貧しいプロジェクト」への理論的考察/大村高広(GROUP)
巨大化する都市の背面には、低予算・低報酬・短時間の建築的実践──いわば「貧しいプロジェクト」が存在している。とりわけ新自由主義の落とし穴が明らかになった2007年の経済不況以降、建築プロジェクトの際限のない縮小は世界の建築家の喫緊の課題であり続けている。
こうした状況を背景に、本発表ではピエル・ヴィットリーオ・アウレーリの建築論を取り上げる。アウレーリは、建築物の個別性・完結性が周辺環境(都市空間およびその統治形態)と厳しく対峙する状態を「絶対的な absolute」という形容詞で表現し、際限のない都市開発に抗して単体の建築物がもちうる批評性を様々なかたちで論じている。通底しているのは、「労働」への批判的認識である。建設に関わる労働のみならず、1950-60年代にイタリアで展開したオペライズモ(労働者主義)、居住空間における性別分業など、彼の労働に関する記述は多岐にわたる。
本発表は、アウレーリによる労働と建築の関係を規定するいくつかの概念を取り上げ、今日の建築家が直面している「プロジェクトの貧しさ」に対し、彼の建築論がもちうる有効性を精査することを目的とする。アウレーリの議論の再検討は、これまで交換可能とされてきた──それゆえ建築家の原作者性(authorship)を担保してきた──労働の問題を、ふたたび交換不可能なアクションとして検討し直すための契機となるだろう。