単著

芳川泰久

バルザック×テクスト論 〈あら皮〉から読む『人間喜劇』

せりか書房
2022年4月

同じせりか書房から『闘う小説家バルザック』(1999)の仕事もある著者による、新たなバルザック論である。『あら皮』を中心として、バルザックの小説のある種の不純さ、あるいは間テクスト性が語られる。近代小説における前近代小説的意匠(〈あら皮〉の魔術的性格)、ジャーナリスティックなエッセイの小説への流用、同時代の科学的知見との交通、「人物再登場」の手法を超えたテクスト同調……トピックからトピックへと巡り歩きながら、著者が試みるのは、「一見、まったく異なって見えるもの」に等価性を見出し、相互に変換可能とするための視点の提示、つまりは「構造変換」(250頁)の実践である。

全体にわたって、「わたし」を主語とする一人称的記述に貫かれている。なかでも特徴的なのは、しばしば「わたし」の個人的体験や霊感から、論が説き起こされていることだ。「(......)の注を参照したとたん、わたしは一つのことを思い出した」(22頁)、「(......)を思い浮かべているうち、とつぜん、わたしは奇妙な感覚に襲われた」(167頁)。著者にとって、このような私的読解こそが「テクスト論的」読解であるという。テクスト論的読解とは構造変換の実践であり、つまりは新たなパースペクティブの提示だからだ(「おわりに」)。だがそれだけではないだろう。すなわち、バルザック論である本書が同時に、「わたし」がバルザックを読み、発見し、論じることについての「私小説」でもあること、さらに言えばバルザックを通した自己発見の物語でもあることを、私性の強調は伝えているだろう。そしてこれもまた、テクスト読解に対する、人文学研究に対する、ひとつの構造変換なのだろう。

(鈴木亘)

広報委員長:増田展大
広報委員:岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年10月23日 発行