イメージの記憶(かげ)──危機のしるし
タイトルを一瞥して、そこに付されたルビの仕掛け、つまり「記憶」と「かげ」のふたつの意味の交差に、誘い込まれるように読み始めた。
本書は、著者が17年来、雑誌『UP』(東大出版会)で連載をしてきた論考のうち、すでに2冊の書物にまとめたものを継ぐかたちで、近年の著作を中心にまとめたものである。いわば「田中純“イメージ学3部作”」の掉尾を飾る書なのである。扱う対象は、映像・写真・絵画・建築・文学など幅広いジャンルにわたるが、一貫して流れる問題意識は、像(イメージ)がつくり出される「創像」のありよう、言い換えれば、像がはたらきかける効果とそこに潜在する意味のアルケオロジー(考古学)的な探究であろう。そのために、H・ブレーデカンプやG・アガンベン、G・ディディ=ユベルマンら現代の哲学や美学思想が参照される。そして終章で、収録した論考を総括するかたちで提起されるのが、「創像とは“かげ”なる像の“うつろひ”である」という命題である。そしてここから、「像とは、即是、記憶なのである」というタイトルの解題につながる。「表象」の問題系と方法論を問いつづけてきた著者の、ひとつの到達点を言い表す簡潔なテーゼである。
とはいえ、収録された20本近いテクストには、執筆時の折々の関心、とりわけ米国のトランプ現象や世界的なコロナ禍のパンデミックなど、アクチュアルな問題に触発されて執筆したものも多く含まれる。本書のサブタイトルが「危機のしるし」とあるのは、このことを強く意識してのものである。
例えば、20世紀ヨーロッパの最大の汚点とされるホロコーストの表象に関わる問題がある。アウシュヴィッツに代表される大量殺戮の場がイメージとして消費されたり、その存在の否定に逆利用されたりすることを批判した、いわゆる「ホロコーストの表象不可能性」を唱える立場があることは周知のとおりだが、著者はその「イメージの禁止」に抗って、なおもホロコーストの表象可能性を近年の映像作品にさぐっていく。ハンガリー映画『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー監督、2015年)は、強制収容所でユダヤ人として同胞の死体焼却などをさせられた主人公サウルに焦点をあて、彼の視点から子供の死や収容所脱走の顛末を描いたもの。本書はこの作品の制作技法を詳細に分析し、主人公の視点に限定した局所的な「触覚的視覚性」とオフ・スクリーンからの音声や雑音とのずれがもたらすリアリズムを指摘する。それが観者に深い身体的情動を喚起し、ホロコーストという歴史の事象を、違和感や不信感をともなう理解不可能なものとして印象づけるのだという。それはまた、分かりやすい物語を否定した脱ナラティブ化という、ホロコーストの歴史叙述に求められる要件とも通底する。映像による「創像」の可能性に迫るテクストである。
先ほど触れたように、ホロコーストの犠牲者のイメージが戦後メディアのなかで視る欲望に供せられ消費されていったことは「像」の功罪を考えるうえで軽視できない問題だが、そうした状況をも含め、本書には死者の像の尊厳という問題を扱った論考がある。かつて、戦争など惨禍の犠牲者(=他者)の画像に対するイメージの享受者のまなざしについて倫理的な批判を行なったのはスーザン・ソンタグであるが、そのソンタグの亡骸を撮影したアニー・リーボヴィッツの写真を論じたテクストである。2017年11月に表象文化論学会が東京(武蔵大学)で開催した研究発表集会の折、ドイツの写真研究者カタリーナ・ズュコラが行なった講演「死を〈見せる/見せない〉──アニー・リーボヴィッツがスーザン・ソンタグを撮る」にたいし、著者もコメンテーターとして登壇した。この論考は、そのときのコメントが基になっている。リーボヴィッツは、同性の恋人であったソンタグの亡骸を細部のカットから始まるシークエンスとして撮り収め、写真集として出版した。彼女はこのきわめてプライヴェートな自作の写真を他人が転載することをいっさい認めず、しかし逆にソンタグの息子らからは肉親の亡骸を公開したことを激しく非難された。著者はこうした事態について、いったい死者の像(すなわち亡骸の写真)はどこへ差し向けられるのか、と問う。そして、ディディ=ユベルマンの説を引きつつ、この写真の示されるべき「宛先」とは、ソンタグの存在につうじたセレヴな知的共同体でも、家族や親族といった肉親の系譜でもなく、ましてや商業化されたインターネットなどの情報空間でもない、所有の外へと開かれた「死者たちの共同体」にこそあるとする。そこに、死者の尊厳を担保する像の示し先を見るのである。
ソンタグは癌を患っての病死であったが、今般の新型コロナ・ウィルスによるパンデミックは、わたしたちの意識に死の間近さをいやがうえにも刻印した。著者が外出自粛の巣篭もりのなか、インターネット上で出会ったイタリアの思想家ビフォの文章をめぐる小文は、心に沁みるものがある。文章に添えられたエドワード・ホッパーの有名な絵画《二人のコメディアン》と、ビフォ自身の「ウンブラル」という謎めいた言葉をめぐるテクストとのあいだに、著者の思索が紡がれる。ビフォが取り憑かれたように反芻する「ウンブラル」とは、スペイン語で「閾」を意味する語で、個人の死(生死の境という意味での「閾」)と、人類の壮大な歴史を画する現下のパンデミックという「閾」のふたつの意味を重ねあわせて使っている。ちなみに、発音の似た英語の「ウンブラル」にはラテン語起源の「影」の意味があり、著者は、ビフォが言語をまたいで「閾」と「影」を無意識に重ねているのではないか、と推測する。一方、ホッパーの絵画は老境にあった画家が自分と妻を舞台上の道化に仮託して、客席に向けて退場の挨拶をしているとされるイメージで、ビフォ自身が選んだかどうかは不明なものの、図像とテクストのあいだに「閾」と老年における死の洞察の「かげ」とが濃密に織りなされていくのである。そして、「ウンブラル」という語はビフォにとって、「死を想え(メメント・モリ)」に似た、みずからの死を受け入れるための呪いの言葉であり、「致死的な他者」を自らのうちに取り込みつつそれを拒否するウィルス・ワクチンのようなものであったと結ぶ。歳を重ねることによって研ぎ澄まされる世界の不確実性へのまなざし。自らの死とその「閾」の彼方にひろがるパンデミック後の世界に、それでも可能性を見ようとする思考の強度。不謹慎かもしれないが、コロナ禍にまつわるテクストでありながら身を浸す快楽を味わっていた。
読後に、さて自分の畑にここから何を持って帰れるのだろうと考えたときに、ひとつ心に焼きついていたのはイメージ(像)というものの見方である。それを、遠い過去からの記憶をはらんだもの、だがそれ自体は実体のない「無(空ろ)」なものとして、うつろう「かげ」として捉えるまなざしである。造形作家で同様のことを言う人が思い当たる。いましばらく、像のこの位相を考えてみたい。
(香川 檀)