武満徹のピアノ音楽(叢書ビブリオムジカ)
本書は、武満徹(1930-1996)のピアノ曲《遮られない休息》、《ピアノ・ディスタンス》、《ピアニストのためのコロナ》、《フォー・アウェイ》、《閉じた眼》、《雨の樹 素描》を考察の軸に据えることで、「愛」、「音」、「一音」、「関係」、「夢」、「水」という六つの概念から浮かび上がる作曲技法と美学の連関を明らかにするものである。
武満は、楽曲を制作しながら執筆活動も精力的に行った音楽家であった。こうした芸術家の作品分析を行う際、しばしば、その芸術家の執筆物と作品との結びつきを解明することが求められる。しかし、作品と言説の内的関係を明らかにすることはそれほど容易ではない。筆者が指摘する通り、武満のように修辞的な文章を好む場合、それはより一層困難なものとなる。十分な検討を行わないまま、武満が紡ぐ魅力的なことばに楽曲を重ね合わせてしまうからだ。
これ対し著者は、楽曲と武満の言説双方に仔細な分析を加えることによって、この問題を乗り越えていく。例えば、第四章「《閉じた眼》と「夢」の美学」では、まず《閉じた眼》の楽譜を分析することで、連結・堆積された形でのモティーフの反復が、「脈絡なく現在時に呼び起される」ような効果を聴き手に与えることが指摘される。続いてエッセイ『夢の引用』の考察を通して、武満が夢と映画は共通して、「現在時に思いがけず」呼び起される断片という時間性を持つと考えていたことが明らかにされる。その後、同名の楽曲《夢の引用》の分析を経由することで、筆者は、《閉じた眼》におけるモティーフの操作に、『夢の引用』と共通する時間性を呼び起こす効果があることを指摘するのである。
本書では、このような細かな楽曲分析と、それを踏まえた上での武満の言説の検討が各章で展開される。それによって、作品を単なることばの比喩として象徴的に理解するのとは異なる、楽曲と言説の連関が描き出されるのである。対象を仔細に検討することの重要性を改めて我々に思い起こさせる本書は、音楽研究のみならず、作品と言説の双方を扱うあらゆる領域において読まれるべき一冊であろう。
(松本理沙)