異文化社会の理解と表象研究
本書は、パンデミック直前の3年間(2017〜2019年度)に専修大学社会科学研究所で行われた特別助成研究「多文化社会と視覚表象研究の可能性」の成果である。その研究の射程は、本書タイトルに掲げられた「異文化社会の理解」と「表象」という二軸の交点を縦横無尽に移動させつつ、多様な地域と時代、そしてメディウムに及んでいる。
下澤和義「映画・エックス線・精神分析のクロスメディア──ジャン・クレールの1895年論による変奏」、根岸徹郎「オードリー・ヘプバーンとアメリカ映画の中のヨーロッパ」、井上幸孝「アステカ社会における神話・歴史の表象──絵文書・石彫モニュメント・神殿ピラミッド」、マーク・ノーネス「アジア映画における「書」の字幕化──書と映画と映画字幕の美学」、劉文兵「越境する「カイジ」──福本伸行漫画に基づいた日中の実写版映画にかんする比較研究」、秋山珠子「時空を越えた飛び火──小川紳介とアジア」、土屋昌明(整理・解説)「中国インディペンデント・ドキュメンタリーの生成と日本──野中章弘氏へのインタビュー」と「精神病棟の画家と王兵のドキュメンタリー──趙銀鴎氏へのインタビュー」、土屋昌明「王兵『鳳鳴』の再解釈と夾辺溝の問題」と「人新世における趙亮のドキュメンタリー──『行くあてもなく』をめぐるインタビュー」、山口俊洋「王兵『タアン』──戦争難民を追ったドキュメンタリー映画の知られざる背景」。その多岐にわたる対象と方法に共通するのは、いまだ多くの分析の余地を残す、各メディウムの記譜法・表記法における文化間の差異を、所与のものとして静態的に把握するのではなく、複数の地域やメディウム間の移動に焦点を当てることによって、その生成と変容のさまを動態的に捉えようとする試みである。
それにしても、これらリストと「まえがき」を振り返って改めて意識させられるのは、本書がパンデミック以前の研究環境の色濃い反映となっていることである。フランス、アメリカ、メキシコ、中国、台湾、韓国、日本の各地域で展開された個々の研究者による豊富な現地調査やインタビューだけではない。「まえがき」に詳述されているように、本研究グループは2ヶ月に1度程度の公開研究会を開催し、メンバー内外の成果報告と意見交流を積極的に推進してきた。
中国語圏のインディペンデント映画を主な研究対象とする評者にとってとりわけ印象深いのは、成果公開の一環として、見る機会の限られた20作余りの中国語映画が、しばしば監督やプロデューサー、被写体、研究者ら国内外の多彩なゲストを招いて上映されたことである。おもにドキュメンタリーからなるそれら作品群の約半数は日本未公開作品であり、研究代表・土屋昌明と有志らの手により、初めて日本語字幕が付されたものである。さらには、ゲストの一人である中国人監督・趙亮が招聘を機に行った日本取材からは、原発事故後の世界を描くドキュメンタリー映画の新たな構想が生まれ、カンヌ映画祭でのプレミア上映を経て、東京フィルメックスで披露されてもいる。近年日本が、アジアのインディペンデント映画へのアクセスのしやすさにおいて稀有な場であることに改めて注目が集まっているが、本書は、そうした場の形成にアカデミズムと文化実践の相互促進的な交流が与っている事例の記録でもある。
パンデミックに入って3年目。本研究が前提としてきた活発な交通の中断や停滞、また移動をめぐる政策の各国・地域間の差異の拡大は、こうした場やこれからの「異文化社会の理解」にいかなる作用を及ぼすのだろうか。本書は従前の研究が享有していたものを前景化し、パンデミック時代の「表象研究の可能性」を探るうえでも、極めて興味深い材料を提供しているように思われる。
(秋山珠子)