EAA国際ワークショップ「石牟礼道子を読む──世界と文学への問い」
2021年11月14日(日)13:00~17:00
東京大学駒場キャンパスI KOMCEE WEST K303 & Zoom
基調講演
池澤夏樹「みっちんの魂──みなさんのお話を聞きながら」
研究発表
建部良平(東京大学大学院博士課程)
「苦海を吹き抜ける風──石牟礼文学における風の描写について」
徐嘉熠(清華大学大学院博士課程)
「石牟礼道子文学における中国古典イメージの研究」
池島香輝(東京大学大学院博士課程)
「もだえ神たちのかなしみ──『椿の海の記』を読む」
コメンテーター:鈴木将久(東京大学)、山田悠介(大東文化大学)
司会:髙山花子(EAA特任助教)
石牟礼道子は代表作とされる1969年発表の『苦海浄土』さえも「苦界浄土」というふうに「海」の字を「界」に取り違えて書かれることが絶えないほどには、その知名度にくらべてテクストそのものが実際には読まれていないことがどこまでもうかがわれる作家であるが、彼女の作品がこの1969年の『苦海浄土』にはけっしてとどまらないことはなんど強調してもしたりないだろう。以後、断続的に書き継がれた『苦海浄土』第2部「神々の村」、第3部「天の魚」、さらには当初第4部として構想されていた『流民の都』、あるいは雑誌『サークル村』に連載された「奇病」をはじめとする『苦海浄土』の萌芽となっていたテクスト群はもちろんのこと、自身の子ども時代を主題にした『椿の海の記』、天草四郎を主人公とした歴史物語『春の城』、新作能の原作『不知火』や『沖宮』にまで彼女のめくるめく筆致は及んでいる。藤原書店からの全集出版と河出書房新社の世界文学全集への『苦海浄土』3部作の収録によって、到底つかみとれないこの作家の全体像にそれでもなお迫ろうとする手筈がはじめて整ったように思われるが、まだなにもかもが序章にあるといっても過言ではない。
そうしたなかでどのように石牟礼道子を読むことができるのか──答えのない問いを抱きながら、わたしは勤め先の東京大学東アジア藝文書院(EAA)で2020年6月から隔週で石牟礼道子を読む会を当時の同僚の宇野瑞木氏とともに主宰し、1年かけて『苦海浄土』を読み終えたあと、2021年度春以降はおもに古典芸能と石牟礼の関係を探りつつ、同時に『苦海浄土』以外の作品読解をひろげるために有志のあつまりを継続した。1年目に開催した2回のオンラインワークショップの経験を踏まえ(第1回報告、第2回報告)、早い段階で、若手研究者による国際ワークショップを開くアイディアが生まれ、はたして作家であり詩人の池澤夏樹氏を北海道から駒場キャンパスにお招きすることがかなって実現したのがEAA国際ワークショップ「石牟礼道子を読む──世界と文学への問い」(2021年11月14日開催)である。
新型コロナウイルスの状況が落ち着かず、小規模かつ使用言語も日本語のみとなったのだが(できれば翻訳をテーマに据えたかったがそれは叶わなかった)、オンラインとはいえ清華大学で石牟礼についての博士論文を用意している徐嘉熠氏から中国古典イメージをめぐる濃密な発表をいただけたことは大きな刺激となり僥倖であった。当日の記録は論文集という形にまとめこちらにすべてオンライン公開しているので、興味関心のある方にはご覧いただければ幸いである(髙山花子・宇野瑞木編『石牟礼道子を読む2──世界と文学を問う』(東京大学東アジア藝文書院、2022年)。
わたしは司会という役回りだったのだが、ワークショップを開いてとりわけよかったと思うのは、予定とは順番が変わってしまったとはいえ、若手研究者3名の発表のあと、池澤氏による「みっちんの魂──みなさんのお話を聞きながら」が、基調講演というよりは、そのタイトルに即してそれぞれの発表に応答するゆるやかな語らいに展開したことである。池澤氏は、あらかじめお渡しした3名の予稿すべてに目を通したうえで、石牟礼の孤絶した魂の放浪について、おもに『椿の海の記』を読み直すかたちで四歳の女の子みっちんの姿に寄り添いながら、石牟礼をめぐる新しい言葉を紡いでくださった。詳細については宇野氏による当日の報告を参照されたいが、「ああシャクラの花のシャイタ……」(「天の魚」第4章「花非人」より)といった言葉のてざわりを声でたどる時間も共有し、あらためて『苦海浄土』第1部以外の石牟礼のテクスト読解がひろがる契機になったのではないか、と思う。
わたし自身は、石牟礼道子を読む会への参与を3月末に一区切りしている。今回だけでなく、前回のワークショップのディスカッションでも浮上した石牟礼道子のポリティクスとでも言うべき問題系に取り組むためには、少なくとも自分には、絶対的に孤独に深く読みこみ思考することが必要不可欠であると感じているのがひとつの理由である。彼女のあちこちに散らばり強固なまでに偏在している共闘と集団への鋭い批判精神を、21世紀も四半世紀を迎えようとするいまどのように引き受けられるのか。鍵となるのは、たとえば当初はサークル村で活動を共にしながらも決定的な分岐を見せた谷川雁による石牟礼批判を再読することや、完成までにもっとも時間の費やされた第2部が井上光晴主宰の雑誌『辺境』に連載されていた時代性を精緻にたどり直すこと、彼女とチッソと近代天皇制との結ばれかたを多角的に検証することになるだろう。そしてそうした作業に時間を費やすことを惜しまずに積み重ねなければ、彼女の魂の孤絶の次元に真に近づき、ときに無垢に思われる神話的要素の奥底にたゆたう残酷なまでの生命世界の暴力性に触れることはけっしてできないだろう。テクストをまともに読むこともなく(読んでいないことを恥とすらせず)石牟礼にとっての政治あるいは石牟礼の政治性というタームをウィルディなおもちゃのように振りかざし通りすがりに論じようとする軽薄なアイディアを断固として拒絶するためには、たとえば下記のようなディスクールを見逃さない態度が求められる。
市民会議の力の限界を補強する、もうひとつバネのきいた行動集団を、いよいよ発足させねばならぬ時になっていた。組織エゴイズムを生ましめない、絶対無私の集団を。その集団は、燈明な水のような法則を持って、流れてゆかねばならない。流れの上に患者たちの「いっ壊(く)え船」を乗せ、その船のみを浮上させねばならぬ。支援者たちは、船ばたに隠れてみえぬ舟子(かこ)たちでなければならぬ。いっさいの戦術は、この国の下層民が、いまだ情況に対して公けに表明したことのない、初心の志を体し、先取りしたものでなければならぬ。水俣病事件の全様相は、たんなる重金属中毒事件というのにとどまらない。公害問題あるいは環境問題という概念ではくくりきれない様相をもって、この国の近代の肉質がそこでは根底的に問われている。これにかかわるとすれば、思想と行動とは、その人間の全生涯をかけたある結晶作業を強いられる。そのような集団をつくれるだろうか、つくらねばならぬ、とわたしはおもっていた*1。
*1 石牟礼道子「神々の村」、『苦海浄土 全三部』藤原書店、2016年、463頁。
かくして徹底的にエゴイズムを斥けなければ、斥けようとしなければ、もっとも有名な「ゆき女きき書き」にある言語を奪われたすべてを奪われたゆき女のことば、「人間な死ねばまた人間に生まれてくっとじゃろうか。うちゃやっぱり、ほかのもんに生まれ替わらず、人間に生まれ替わってきたがよか」という声なき声を聞き届けることなど、到底叶わないのではないだろうか。
(髙山花子)