ベンヤミン メディア・芸術論集
『ベンヤミン・コレクション』(ちくま学芸文庫)をはじめとして複数のベンヤミンの翻訳があるなか、なぜさらにあらたな翻訳を刊行するのか。この問いは、10年前の『ベンヤミン・アンソロジー』のときに強く意識していたことだった。
この『ベンヤミン メディア・芸術論集』では、二つ目のアンソロジー企画ということもあるが、メディアと芸術論に収束するこの論集の意義を強く感じていた。
テクストの表層に現れ出ているものは、ある主題の切断面によって露出したベンヤミンの思考の地層でもあるが、メディアと芸術という同じ主題圏であっても、切り口が少しずつ異なることによってそこに現れる地層はさまざまな表情を見せる。しかし、それらのうちに何度も繰り返し現れる模様によって地層全体の構成を感じとれることもあれば、ある特徴的な現れ方に対して、他の箇所の現れ方から説明がつくこともある。
そのような読みの経験は、テクストを読むという行為のなかで多くの人がたどることではあるが、翻訳することはやはり特別な意味をもつ。「翻訳は最も親密な読みの行為である。翻訳するとき私はテクストに降伏する。」(スピヴァク)翻訳されたテクストからそのような経験をたどることを思い描くのは、あまりにも無謀な期待というものだが、翻訳アンソロジーを編むという企てはそのような期待と絡み合っているのかもしれない。
(山口裕之)