アセンブリ──新たな民主主義の編成
ネグリ=ハート『アセンブリ』(原著2017年)は、2010年代のグローバルな社会運動のサイクルとその後の潮流を踏まえて、新自由主義的統治に対する対抗戦略を提示しようとする野心的な理論書である。本書を理解するための重要な前提は、2010年代の運動サイクルの中核を構成したアラブの春(体制変革運動)、オキュパイ運動(反資本主義運動)が、水平的で「指導者のいない(リーダーレス)」運動として、社会運動の中で新たな直接民主主義のあり方を先取り的に展開するような「予示的運動」であり得たにもかかわらず、その後、巨大な障害に直面し、それ以前よりも悪しき統治体制の到来を帰結してしまった、という点にある。そのような事実を踏まえて本書は、彼らがそれまで唱えてきた社会運動理論の大幅な刷新を提案している。
『〈帝国〉』から『叛乱』に至るまでのネグリ=ハートの理論は、ドゥルーズ=ガタリの「主体集団」、「リゾーム」概念を念頭に置きつつ、マルチチュードの自己組織化、その創造性、横断性、水平性を一貫して称揚してきた。それに対して『アセンブリ』は、「垂直性を追い払って、ただ盲目的に水平性を崇め、耐久性のある社会構造の必要性を無視してしまうの[は]、ひどい誤りである」と述べて、マルチチュードの水平性に対する指導(リーダーシップ)の垂直性を再導入する。しかしそれは、水平性を重視する現代の社会運動に伝統的な指導概念(カリスマ的指導者、指導者評議会、前衛党)を再導入せよ、という意味ではない。むしろそれは、純粋な群衆性によって社会運動を展開することはできないがゆえに、適切な時期、適切な局面で意思決定を行う主体が必要になる、という意味でしかない。こうした対抗運動の戦略/戦術をめぐる政治的考察は、本書の第一部、第四部で展開されるだろう。
ここからネグリ=ハートは、フーコー『生政治の誕生』における新自由主義解釈を全面的に踏まえた上で、そこには存在しない新自由主義への対抗戦略を提起する。彼らは、新自由主義のアイコン的形象である「起業家」(アントレプレナー)という概念を戦略的に逆用し、権力よりも常に創造的な仕方で抵抗するマルチチュードこそが「起業家」なのだと喝破する。その意味で、ドゥルーズが『フーコー』において(イタリアのアウトノミア派の理論を念頭に置いて)述べたように、「抵抗は権力に先立って存在する」のである。マルチチュードの対抗戦略を支えるこうした経済的考察は、第二部、第三部で展開されるだろう。その意味で本書は、「日本語版への序文」が述べるように、「政治的な殻」と「経済的な核」からなっており、両者は切り離し難い形で本書の議論を構成している。
ジュディス・バトラーにも同じく、2010年代の新自由主義的社会状況と、それに対する社会運動の展開をより存在論的に考察した『アセンブリ』(原著2015年、佐藤嘉幸・清水知子訳、青土社、2018年)という書物が存在する。両者を読み比べれば、現代の新自由主義的統治とそれに抵抗する「アセンブリ(集会=集合形成)」の展開をさらに深く理解できるに違いない。
(佐藤嘉幸)