ビデオランド レンタルビデオともうひとつのアメリカ映画史
私たちは映画のブラウザーだ。PCやスマホでNetflixやアマゾン・プライムの膨大なラインナップをブラウズすることが日常になる前からずっとそうだった。私たちはレンタルビデオ店でぶらぶらとそぞろ歩きしながら映画をブラウズしていた。目的を定めて新作コーナーやジャンル別・監督別の棚を探すこともあれば、これといった当てもなく棚を眺めながら手に取ったり戻したり、あれこれためつすがめつ結局何かを借りたり、逆に何も借りずに出ることもあった。手製のポップを読んだり、顔なじみの店員とおしゃべりをすることも。ビデオを離れてゲーム機で遊んだり、併設の書店やカフェをひやかすことも。映画と観客を結んでいたのは、スクリーンや画面上での鑑賞という直接的な体験に加え、その表面や周辺をブラウズする間接的な習慣だった。
『ビデオランド』は、1980年代から2000年代にかけて栄えたレンタルビデオ店で長い時間を過ごした人々の、無為のように思えたブラウズを再評価する。ビデオは映画を手に取れる形あるメディアに変え、それにより映画はその他の日用品と同様の商品に位置づけられ、観客はより選択的な消費者となった。また市場の拡大にともない、ビデオレンタルは映画の配給の重要な経路となり、アート系映画のレーベルが生まれ、メタデータが整備されてマーケティング向けに利用され始めた。メディア研究や映画産業史の知見を取り入れ、映画とアメリカの消費文化の接近をこのように整理しつつ、本書の著者ダニエル・ハーバートはビデオ店を、映画を借りる以上の、もっと不定形で拡散的な場としてとらえる。
本書の中核をなすビデオ店のフィールドワークにおいて、著者は大都市や大学町の専門店から田舎町の兼業店までを訪ね歩き、それらの店が映画文化をローカライズし、映画を供給するだけでなく、知識を蓄積し普及する文化資本であったことを明らかにする。ビデオ店とは映画の趣味を形成する場だった。著者が生き生きと描き出す「趣味の地勢図」、すなわちそこで交わる人々やビデオが織りなす生きられた空間としてのビデオ店の例からは(『ハイ・フィデリティ』のレコード店員たちを想起させずにおかないオタクたちの生態を含めて)、かつて7泊8日の友を渉猟した映画ファンならばきっと相通じる記憶を見いだすはずだ。私たちの趣味は、ビデオ店で映画をブラウズすることで涵養されたのだ。
ブラウズとは、原義をたどれば、草木の新芽や若葉のことであり、それらを好む草食動物の食性を意味した。良質の植物を選んで食べ歩くシカやヤギが広い山林や草原を必要とするように、ビデオ店をさまよい、棚から棚へと目移りしながらつまみ食いして空腹を満たした私たちにとって、ビデオランドとは映画を供給する文字通りの肥沃な土地だったのだろう。
(丸山雄生)