単著

伊藤潤一郎

ジャン=リュック・ナンシーと不定の二人称

人文書院
2022年2月

一般に専門的な研究の外部では、ジャン=リュック・ナンシーといえば「共同体論」の思想家として評価の相場はおおよそ決まっている。日本でのナンシー受容も、多かれ少なかれこうしたイメージによって制約されてきた。フランス現代哲学に一定の目配りをしつつ色彩や少数派色覚についての思想史研究を行なってきた筆者自身も、ナンシーといえばデリダの影響を強く受けた脱構築派のひとりであり、「共同体論」の代表的論客であるといった、まさに本書が序論で批判的に言及しているような通り一遍のイメージしかもっていなかった。

しかし、このような先入観はナンシーの思想の核心にあるものからわれわれの眼をそらせてしまう。共同体論がナンシーにとって重要な問題であることは間違いないが、そこにいたるまでには彼に先行するさまざまな思想との格闘の軌跡があったはずだからだ。では共同体論に視野を限定することなく、ナンシーの思想の可能性を開示するにはどうすればよいか? そこで本書がとる戦略が、「共同体論者ナンシー」というイメージをいったん括弧に入れ、ナンシーの最初期の思想まで遡行することによって、彼の思想を生成の相において捉えなおすことだ。たとえば本書は、後年に展開されるナンシー思想の多くのモティーフが、ナンシーがキリスト教左派運動・人格主義の諸概念を批判的に摂取していた1960年代からすでに伏在していたこと、60年代から70年代にかけて、アルチュセールとの対決やデリダへの接近を通して次第に脱構築、言語、人称、主体といったものについての考察を深め、言語論に重ね書きするかたちで存在論を練り上げていったこと、そしてついに80年代に日の目を見るにいたった共同体の思想は、人格主義の諸概念をナンシー独自に鋳直した「古名の戦略」にほかならないこと、さらには、共同体論はナンシーの到達点どころではなく、その後もたゆまず自らの思考を更新しつづけていたこと━━等々を豊富な資料とテクストの緻密な読解、大胆な図式化を通して鮮やかに描き出していく。こうした操作によってあらわになるのは、「人称性」「感覚=方向=意味(sens)」「特異性」「分有」「キリスト教の脱構築」といった、これまで共同体論の影に隠れて見えづらくなっていたナンシー哲学のもつ多様な相貌である。

詳しい議論にかんしては本書に実際にあたってみることをおすすめしたいが、ナンシーの思想にあまり馴染みのない素人の一読者として本書を通読して筆者が抱いた最初の印象は、共同体論という枠を取り外してみれば、ナンシーの思想は存外「使いやすい」ということだ。

たとえば、我田引水を承知で言えば、本書が切り拓いた視角からゲーテを含むロマン主義の色/色名についての思考を捉えなおすことも十分に可能だろう。かつてゲーテはこう言った。ドイツ語のGelb(黄)、Blau(青)、Rot(赤)、Grün(緑)の四色は「もはやその起源を思い起こさせない名称」であり、「色彩の最も普遍的な要素」を想像力に提示する、と(ゲーテ(木村直司訳)『色彩論』、筑摩書房、2001年、323 頁)。こうしてゲーテは四原色(四つの色名)から成る体制を普遍性の名の下に閉じようとする。だが本書が指摘しているように、「閉域」とは、「起源」のさらなる「起源」を問うような身振りが禁じられてはじめて成立するものだ(本書102頁)。ゲーテによる四色の色名の「起源」の忘却は、そのような「閉域」を形成する典型的な身振りであると言える。このことは、色覚多数派にとってのものにすぎないはずの特定数の「原色」なるものを、科学の名の下に人類全体にとって普遍的なものとして提示する今日のわれわれのあり方とも地続きである(ナンシーが科学やエピステモロジーに関連して閉域の問題を論じているのは示唆的だ)。

名の起源を問いなおすことなく閉域を閉ざすという暴力に居直らないためには、それを外へと開き、「アナーキーな領野」(=無起源の思考)を開示しなければならない。そこへいたる方途として本書が挙げるのが、終わりなき差異化としての「注釈」(本書104頁)や、いかなる起源にも支配されない差異化の運動としての「書き込み」(本書108頁)だが、なかでもとりわけ具体的かつ実践的なものとして筆者の眼に映ったのが「古名の戦略」だ。それは、ある既存の語を別の語に置きかえたり、新語を造語してそれを既存の名に対置したりすることなく、批判の対象となっている当のシステムとの結びつきを保持している既存の「古名」を「介入のための梃子」として、その意味を変容させ、言語システムを変革する。もしも本書が指摘するように、閉域の囲いが言表行為によって超出されるものなのだとすれば、われわれはゲーテの忘却に抗って、「誰でもよいあなた」へと宛てて色名を差し向けつづけなければならない。そのとき、「黄、青、赤、緑」という「古名」の意味は変容し、新たな共同体が生成することになるだろう。

このように、筆者は「誰でもよいあなた」として本書を受け取り、自らのうちに、おそらく書き手の意図を超えた「意味の変容」を経験した。この事実こそが、本書が「投壜通信」たりえている良い証拠だろう。

(馬場靖人)

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年6月30日 発行