研究ノート

ホラー映画は人間に向けてつくるものではない──高橋洋インタヴュー

宮本法明

高橋洋
聞き手:木下千花
構成:宮本法明

2021726日から27日(日本時間)にかけて、京都大学とピッツバーグ大学はジョージ・A・ロメロ・アーカイヴァル・コレクションに関連する共同研究会“J-Horror and the Archiving of Global Horror Studies”をオンライン開催した。本稿は、その2日目に映画監督 /脚本家の高橋洋氏を招聘しておこなったインタヴューを再構成したものである。使用言語は英語であったが、聞き手の木下が高橋氏の通訳を兼任した。

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高橋洋氏

──まずはシンプルな質問です。この研究会では高橋さんをJホラーの「黒幕 mastermind」 として海外の方々にご紹介しましたが、ご自身にとって J ホラーとは何なのでしょうか? あるいは何だったのでしょうか?

「Jホラー」というのは、日本のマスコミが与えた名前です。聞くところによると、ヌーヴェル・ヴァーグも作り手が言ったわけではなくてメディアが与えた名前らしいですが。僕たち自身は「日本の何かをやった」という意識は非常に低かったですね。僕たちがやろうとしていたことは大きくいって二つあります。一つは『たたり』や『回転』といった1960年代のアメリカやイギリスで生まれた幽霊譚の映画ですね。当時は極めて実験的で、それらの映画を子どもの頃にテレビで観ていました。そういう身に迫るような怖さがある映画を復興しようという、いわばアングロ・サクソンの皆さんがつくった幽霊文化の復興運動ですね。 もう一つは、僕らの言葉でいえば「心霊実話テイスト」つまり心霊実話がもっているリアル な怖さを映画の表現に取り入れていこうということです。Jホラーは、この二つを意識的におこなう一種の運動だったと思います。

──高橋さんの著書などを読んでいると、小さい頃に観たという『たたり』や『回転』以外にもジョージ・A・ロメロの諸作やジョルジュ・フランジュの『ジュデックス』など1960年代の映画に対する愛着があるように思うのですが、それはなぜなのでしょうか?

60年代から70年代、僕が小学生から高校生くらいまでに観た映画というのは何であれ相当強烈な影響を受けています。いま観てもカット単位で記憶していることに気づいたりするくらい、映画を観ることに対する集中度が高かった頃です。それは僕だけではなくて、 田舎の何の変哲もない中学校で一緒だった映画好きの仲間たちもそうでした。彼らとはロバート・アルドリッチやサム・ペキンパー、ニコラス・レイについて真剣に語り合っていました。そう聞くと、皆さんは田舎の中学校にものすごいシネフィルが集まっていたかのように思うかもしれませんが、当時は難しい映画の本を読んでいたわけではありません。唯一読んでいたのが『ロードショー』という雑誌です。後に作家として語られるようになった監督たちの作品は、映画館や TV で当たり前のように流れていたのです。その中でフランジュの作品やアルフレッド・ヒッチコックの『サイコ』に出会って、強烈な影響を受けました。60年代のスタイルに囚われがあるわけではなくて、自分が表現に向かう中で一番衝動を与えられたのが、その時代につくられた映画だったのです。

──今回はジョージ・A・ロメロ・アーカイヴァル・コレクションに関連する研究会ですので、ロメロから受けた影響があればお聞かせください。

僕の周囲にいた人間も皆ロメロの映画が好きでした。最初に観たのは『ゾンビ』で、皆これに衝撃を受けていました。今も自主制作のゾンビ映画は多いですが、僕の友人も高校時代にロメロから影響を受けてゾンビ映画を撮っていました。トラックで昼寝しているおじさんを撮って、それをゾンビの犠牲者として見せたり、そのようなことがとても楽しかったです。『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』は大学生になってからVHSで観ました。それまでゾンビは怖いと思っていなかったのですが、これを観てイメージが変わりました。特に冒頭の墓地で兄が妹に怖いことを言ってからかっていると、遠くの方から男が歩いてくるシーン。それがゾンビなわけですが、そこで既に「踏み越え」がおこなわれようとしている。 「踏み越え」というのは僕にとって重要なことで、ある決まりきった世界から別の世界に行こうとしている、つまり映画の表現にイノヴェーションが起きる瞬間です。そういうものを孕んだ映画が始まっているという感覚がありました。それはヒッチコックの『サイコ』やアンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『悪魔のような女』を観た時に感じたもので、ロメロも同じことをやろうとしているのだと伝わってきました。

僕たちは幽霊を描く時にゾンビとの違いを意識せざるを得ないのですが、「死体が動く」 とはどういうことなのだろうか、それが表現できたら最も怖い映画がつくれるのではないかと自主映画時代から仲間とずっと話していました。『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』には「死体が動く」ことの驚きが感じられました。しかし『ゾンビ』以降になると、「これはゾンビの動きである」とカテゴライズ・約束事化されていき、「死体が動く」という原点からは遠ざかっていった印象があります。最近のゾンビはそもそも死んでいない、病原体に冒されて凶暴化した生身の人間のように変わってきていると思います。

──今回は海外の方々向けに『霊的ボリシェヴィキ』の参考上映をおこないました。この作品を、これまで話題になった幽霊の表象や死体の動きあるいは演技の問題などに絡めてお話しいただけますか?

先ほどの発表(注;Noriaki Miyamoto, J-Horror and Censorship: The Image of Tsutomu Miyazaki in Hiroshi Takahashi’s Films.”)で J ホラーに対する宮﨑勤事件の影響が分析されていましたが、もう一つJホラーに大きな影響を与えたのがオウム真理教の事件です。あの事件が起きた時、「霊的ボリシェヴィキ」という概念が麻原彰晃たちを突き動かしたのではないかと取り沙汰されました。これは日本の新左翼運動が行き詰まってオカルトに走った時期に生まれた言葉で、そもそもの創案者は武田崇元さんという日本の著名なオカルト研究者なんですが、それを曲解した形で、麻原は「霊的革命」を起こそうとしたのではないかと言われていました。僕は1995年当時この言葉に触れて、何としてでもこれをタイトルにした映画をつくりたいと思っていました。『霊的ボリシェヴィキ』では幽霊をいかに表象するかというよりも、19 世紀の伝統に立ち返って語りや言葉の力だけで霊的な空気をつくりだす一種の降霊会を描きたかったのです。

──時間の都合により、これを最後の質問にして次はフロアから募りたいと思います。高橋さんが監督した、または脚本を書いた映画には、偽アーカイヴ映像すなわち作り物だが実在したように感じさせるフッテージあるいは映画内映画が数多く登場しますが、これについてはどのように考えていらっしゃるのでしょうか?

ホラー映画は単なるジャンル映画をこえて、映画表現の根源に遡るような性質があると考えています。それはつまり映画がマジック・ランタンの時代から見世物であったということです。そういう出自に敏感なのがホラー映画で、偽アーカイヴ映像もそれに関係していると思います。僕が大きな影響を受けたフリッツ・ラングもそうで、フッテージは知的な引用というよりもホラー映画をつくっていると自然に入れてしまうものなのです。ホラー映画は通俗的なジャンルであるにもかかわらず、批評では哲学的な語彙が飛び交う不思議な分野です。僕たちが映画内映画を描く時にいつも感じるのは、ブラウン管であれスクリーンであれキャメラを向けて再撮影すると、うつっている映像が別物に変わるということです。現場では、死んだ平面的なものに再び生命を与えているように感じます。何か妙な、やってはいけないことをやっているような感覚に襲われます。それは自分たちが映画の根源にある禁忌に触れているのではないかという感覚です。

通訳されている間に思い出したのですが、なぜホラー映画が根源的なものに感じられるかというと、それは人間に向けてつくっていないからだと言っていいかもしれません。現実にはお客さんに向けてつくる商品ですが、表現行為というのはホラーに限らず人間の向こう側にいる神々に奉納しているようなものだと思います。観客はそのやり取りを垣間見ているのだと。そういう古代の祭儀が持っていた要素を一番色濃く受け継いでいるのが、ホラー映画ではないでしょうか。少し変な言い方かもしれませんが。

──フロアに開く前に、今おっしゃったことに関してホラー以外のことも少しだけうかがえますか?

映画の登場人物は、生身の人間というよりも神話上の存在として描かれていると思います。例えば、ジョン・ウェインは神話の中の人物だったと思います。だけど、段々コンテンツ化していく中で観客と等身大の人にならざるを得なくなっていった。ただ、ホラー映画には古代の儀式みたいな根源的なものが残っているのではないかと思います。

──ありがとうございます。それではフロアからの質問を取り上げていきます。

(質問者1)1960年代の外国映画からの影響を語ってくださりましたが、同時期の中川信夫に代表される新東宝の怪奇映画についてはいかがですか?

子どもの頃、TV で流れているのは洋画が多かったです。新東宝の怪奇映画を観るようになったのは大学に入ってからでした。もちろん衝撃は受けましたが、もうその時点で表現の根っこにあるものはできあがっていました。いわば、知的な受容をしたということです。

(質問者2)今回参考上映された『霊的ボリシェヴィキ』のロケ場所がホラー映画の舞台として非常に力強く効果的に感じられたのですが、あの場所をどのようにして思い描き、選択したのでしょうか?

あそこは撮影当時もう使われていなかった給食センターですね。僕はあの場所を見つけた時に小躍りして、ここで絶対に撮るぞと決めました。かつて何かが製造されていたけれど、今は廃棄されているという空気が漂っている場所が、あの映画にはふさわしかったと思います。あとは天窓がたくさんあって、光線が存分に注がれる点がよかったです。暗がりではなくて、光が降り注ぐ中でホラーをやりたいという気持ちがありました。

(質問者3)『霊的ボリシェヴィキ』の中で、心霊実験の主催者が引いたトランプカードの絵柄を主人公が次々に当てるシーンがあります。あの場面でカードの表裏をどういう角度から撮ってどう観客に見せるかという演出が、幽霊を画面にどの程度映すかという問題と関係しているように思います。そして段々とカードを引くスピードがあがっていくにつれて、何か深淵に触れているような感覚すら覚えます。あのシーンについての考えをうかがいたいです。

あれは『リング』の千里眼実験をトランプカードに置き換えたものです。『リング』では、 霊能者が伏せられた文字を透視して百発百中で当てるというシーンを描きました。実は、鈴木光司さんの原作小説やその元ネタとなった実話では、全然当たらないがゆえにインチキだと非難され自殺してしまうのですが、僕が脚本を書く時にはそれを逆さまにしたのです。 どんどん的中するからこそ、人々はおびえて化け物呼ばわりしたのだと。そうした方が、超能力者の悲劇性が高まると思いました。

今度の『霊的ボリシェヴィキ』では、それをトランプカードでやってみようと。僕が非常に気に入っているシーンです。あそこで描きたかったのは、霊的な磁場が高まると確率に異常が生じるということです。もう一つは、偶然ですが2017年に撮影された『霊的ボリシェヴィキ』がロシア革命100周年記念作品になったからです。せっかくだからロシアネタを入れたいということで、アレクサンドル・プーシキンのホラー小説『スペードの女王』を取り入れてみました。

──高橋さん、本日は長時間にわたってお話しいただきありがとうございました。

謝辞;このインタヴューをおこなうにあたって、アダム・ローウェンステイン氏やチャールズ・エクスレー氏をはじめとするピッツバーグ大学ジョージ・A・ロメロ・アーカイヴァル・コレクションの関係者の方々、明治大学のリンジー・ネルソン氏、ジョージ・A・ロメロ財団日本支部のノーマン・イングランド氏、国際ファッション専門職大学の福田安佐子氏、 聖学院大学の畠山宗明氏に協力していただきました。改めて御礼申し上げます。

(聞き手:木下千花、構成:宮本法明)

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年3月3日 発行