研究ノート

ロバート・モリスのアースワークにおける自然と人間 ──《天文台》及び《グランドラピッズ・プロジェクト》の分析を通して

報告:松本理沙

ミニマリズムの代表的芸術家として知られるロバート・モリスは、1968年にドワン・ギャラリーで開催された「アースワークス」展において、泥やフェルトなどの素材を混ぜ合わせた作品を発表した。その後モリスは、《天文台》(1971-1977)、《グランドラピッズ・プロ ジェクト》(1974)、《無題(ジョンソン砂利採掘場の再利用)》(1979)など、70 年代まで大型のアースワークを建設している。

先行研究が明らかにする通り、アースワークの制作は、モリスが作品と観客の関係*1に関心を寄せていたことに由来していた。それゆえ、モリスのアースワークは、人々が容易に訪れることのできる場所に建設されている。モリス自身もまた、この点を自身の作品と他のアースワークを区別する特徴として捉えていた。例えば 1979 年のエッセイでは、ロバート・スミッソン、マイケル・ハイザー、ウォルター・デ・マリアらによるアースワークの多くが人里離れた砂漠に位置する、写真でしか見ることのできない作品であったのに対し、自身の作品を含む1970年代初頭のアースワークは、アクセスが容易な場所に置かれたとして両者を区別している*2。また自身の作品について記述する際も、僻地に位置する、写真でしか経験できない作品とは異なると、彼は繰り返し強調していた*3

*1 Gilles A. Tiberghien, “The Time of the Earthworks,” Katia Schneller, Noura Wedell, Investigations: The Expanded Field of Writing in the Works of Robert Morris, ENS Éditions, 2015, Paragraph 4. Available at: https://books.openedition.org/enseditions/3810?lang=en#bodyftn9 (Accessed: 31 January 2022)
*2 Robert Morris, “Earthworks: Land Reclamation as Sculpture,” 1979, Harriet F. Senie and Sally Webster ed., Critical Issues in Public Art: Content, Context, and Controversy, Smithsonian Books, 2014[Kindle version], Retrieved from Amazon.com, Location No. 5148.
*3 Id, “Observations on the Observatory,” Sonsbeek 1971,1971, p.57. Id., “Interview: Robert Morris.” Michigan Art Journal, Vol.1, No.3, September, 1976, p.4.

これはモリスのアースワークを考察する上で重要な論点である。しかし同時に、モリスの アースワークは、僻地に建設されたアースワーク一般と同じく、自然との結びつきもまた有していた。この相反する二つの特徴は、いかなる論理で併存していたのだろうか。本稿ではこの問いに応答するため、《天文台》と《グランドラピッズ・プロジェクト》を考察対象とする。

まずは、《天文台》について検討してみよう。《天文台》は、オランダ、ノールホラント州のフェルセンに建設されたアースワークである。1971 年の野外展覧会 Sonsbeek に際して建設されたこの作品は、直径 230 フィートほどの巨大なアースワークであり、その名の通り、春分、秋 分、夏至、冬至の日の出を枠づけるよう設計されていた。モリス自身が新石器時代や東洋からの影響を明示していることから、先行研究はストーンヘンジと結びつけるなど、先史時代の遺跡を引き継いだ作品として《天文台》を理解してきた*4

*4 Rosalind Krauss, “The Mind/Body Problem: Robert Morris in Series,” 1994, reprinted in Julia Bryan-Wilson ed., Robert Morris, MIT Press, 2013, p.95. Maurice Berger, LabyRinths: Robert Morris, Minimalism, and the 1960s, Harper & Row, 1989, pp.140-141.

一方、本稿が着目するのは、この作品の「天文台」としての機能ではなく、設置場所である。《天文台》は1971年に、海に面し、工業によって栄えたフェルセンに建設され た。Sonsbeek での展示作品は一度解体され、その後1977年に再制作されたものが現存し ているが、こちらは1971年とは異なる場所に設置されている。それゆえ1971年の作品がどこに建設されたのか、その正確な位置は定かではないものの、モリスは Sonsbeek に際して制作した作品の設置場所に関して、以下のように記している。

特定の地理的位置は、ある社会-文化的関係に焦点を絞る際に重要となる。作品は自然のままの地と人が居住している地の緩衝地帯、あるいはインターフェースに置かれている。アイモイデン付近には、2、3キロメーターほどの砂丘が、海と耕作された内陸の間に境界を形成している。作品が存在しているのは、その境界上、砂丘の始まりである ──人里離れた地にあるモニュメントの引き伸ばし写真としてではなく、耕作された地と自然の地の間にあるアクセス可能な場所としての*5

*5 Morris, “Observations on the Observatory,” p.57.

この記述によると、海の近くでありながらも、人々がアクセスしやすいよう、都市空間と隣接する、砂丘地帯に作品が置かれていたことがうかがえる。同時に、モリスは《天文台》の設置場所を自然と都市空間の境界と捉えていたようである。写真でしか確認できないような辺鄙な場所ではなく、アクセス可能な場所であるのはもちろんのこと、自然と人間の手で開拓された地の中間に作品が位置するという点が、モリスにとって肝要であったのだ。

この特性は、《グランドラピッズ・プロジェクト》においては別の形式で引き継がれている。《グランドラピッズ・プロジェクト》はミシガン州グランドラピッズに建設された、芝生が敷かれた丘陵の作品である。中央には二本の通路が交差しており、上空から眺めると Xの形態が確認できる点が特徴的だ。この作品は住宅街の中にあり、地理的には、《天文台》 のように自然的と都市の中間地点に位置するわけではない。

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ロバート・モリス《グランドラピッズ・プロジェクト》近年の様子 Center for Land Use Interpretation Photo

しかし、モリスによるダイアグラムに視線を移すならば、この作品においても自然とこの地を訪れる人々が交わることに気が付くだろう。このダイアグラムは、作品が完成した 1975年にグランドラピッズ美術館から出版された小冊子『グランドラピッズ・プロジェクト』に掲載されたものであり、ing 形で書かれた様々な単語が、作品の外観である X を形作るというものである*6

単語による X は、左上から右下にかけて羅列された語群と、右上から左下にかけて羅列された語群から構成される。《グランドラピッズ・プロジェクト》が二本の通路から成るように、このダイアグラムも、二本の語群から成るのである。左上から右下にかけての語群は、 「浸食している」、「雪が降っている」、「成長している」など、気候や土地を表す語、右上から左下にかけての語群は、「登っている」、「走っている」、「止まっている」、など人間の行為を表す語となっている。

モリスにとって鑑賞者の存在が重要であったことは、すでに述べた通りである。しかしそれと同時に、彼のアースワークは「地形、光、温度、季節の変化」*7からも切り離されることはない。地面に生えた芝が成長していく様子や、土地への浸食、作品全体を飲み込む気候などの自然もまた、この作品に必要な要素だったのである。この二本の語群は中間地点で交わる(二本が交差する地点の単語は crossing である)ことに鑑みれば、《グランドラピッズ・プロジェクト》は、気候や土地といった自然と人間の行為が交差する作品と考えられるだろう。

*6 Grand Rapids Project Robert Morris, Grand Rapids Art Museum, 1975, p.17.
*7 Morris, “Earthworks: Land Reclamation as Sculpture,” Location No. 5213.

以上の考察から、《天文台》は自然と人間が居住する地の中間に位置付けられ、《グランド ラピッズ・プロジェクト》は自然と人間の行為を交差させるものであることが明らかになった。すなわち彼のアースワークは、自然と人間の双方を取り込むものと結論付けられるのである。最後に、これが意味するところについて、モリスの論考をもとに検討したい。

モリスは 1989 年の論考で「大地と空、天国と地獄、精神と身体の間で常に選択しなければならない、うんざりする西洋の二元論的現実世界を示す地平」*8を批判的に捉えている。 それゆえ人間的なものと自然のいずれの要素も作品に取り込むという態度は、二項のうちいずれかを選択しなければならない西洋的二元論の棄却を意味するものであったと考えられるだろう。自然素材を活用したアースワークでありながらも、モリスが自身の作品を、ス ミッソンやハイザー、デ・マリアによる僻地でのアースワークと執拗に区別し、アクセス可能な場所に建設した背景には、このような思想が控えていたのである。

*8 Id, “ Three Folds in the Fabric and Four Autobiographical Asides as Allegories (or Interruptions),” 1989, reprinted in Robert Morris, Continuous Project Altered Daily: The Writings of Robert Morris, MIT Press, 1993, p.263.

(松本理沙)

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年3月3日 発行