第15回研究発表集会報告

ワークショップ2 ダストン/ギャリソン『客観性』を読む

報告:大久保遼

日時:2021年12月5日(日)13:00 - 15:00

発表者:
岡澤康浩(京都大学)
増田展大(九州大学)
細馬宏通(早稲田大学)
司会:
大久保遼(明治学院大学)

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昨年待望の邦訳が刊行されたロレイン・ダストン/ピーター・ギャリソン『客観性』(瀬戸口明久・岡澤康浩・坂本邦暢・有賀暢迪訳、名古屋大学出版会、2021年)をめぐる書評ワークショップが開催された。『客観性』はすでに科学史では国際的な評価を獲得し、現代の古典とも呼べる位置づけにある。しかし2007年に刊行された原著は、視覚文化論の第一人者であるジョナサン・クレーリーが編者を務めるZone Booksから刊行されており、またその出発点となったダストンとギャリソンの共著論文はRepresentations誌に掲載されたものである。こうした当時の文脈も考え合わせると、本書は視覚文化論、メディア論などを含む表象文化論の視点から広く読まれうる論点を有しており、そのことでより豊かな議論につながるものと考えられる。こうした視点から本ワークショップは企画された。

まず司会の大久保(明治学院大学)より、企画趣旨と刊行当時の状況の補足がなされた。原著とそのペーパーバック版が刊行された2007年から2010年前後は、日本ではちょうどクレーリーの主著『観察者の系譜』新装版と『知覚の宙吊り』の翻訳が刊行され、またハル・フォスター編『視覚論』やジョン・バージャー『見るということ』『イメージ』、フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』の文庫版や、バーバラ・マリア・スタフォード、ジェフリー・バッチェンの翻訳などが次々と刊行されており、当時緩やかに「視覚文化論」と呼ばれていた、美学・美術史、メディア論、科学史、写真論や映像史などが交錯する潮流のなかで、『客観性』もまた受容されていた側面があった。科学史の古典として読まれる場合、そうした視点が抜け落ちる恐れがあり、もう一度当時の文脈に置き直して検討することが、有益な議論につながる可能性を有するのである。

続いて、訳者の一人でもある岡澤康浩氏(京都大学)より、本書の議論の概要、および科学史とメディア論の接点としての意義について報告がなされた。岡澤氏によれば、ダストンとギャリソンの2人は科学史家として優れた業績を持つだけでなく、Critical Inquiryなどの総合人文誌に寄稿するなど、積極的に科学史の専門家の外に向けて成果を発信してきた。またハーバード大学フィルム・スタディーズ・センターにも籍を置くギャリソンは、科学史のドキュメンタリー映画「Black Holes: The Edge of All We Know」の撮影を行うなど、表象文化論やメディア論とも近接する関心を持って研究を進めている。岡澤氏は本書の要に位置づけられる科学アトラスの図版を紹介しながら、その可能性を「モノによって媒介された協働」と「メディア論的科学史」にあると指摘する。本書の重要な特徴は、科学における図版の使用に注目するだけでなく、科学アトラスを「協働を可能にする装置」、すなわち、異なる専門性や科学理論を前提とする科学者たちが、共に議論を継続することを可能にする対象物として位置づけている点にある。この点が、観察者の主観的な視覚経験に定位するクレーリーの分析とも異なる記述を可能にしていると言えるだろう。また岡澤氏によれば、本書は科学的協働を可能にするメディアや媒介性の問題に焦点を当てることで、メディア論に接続された科学史の豊かな可能性を示しているのである。

次に、増田展大氏(九州大学)より、映像文化論・メディア論の観点から報告が行われた。増田氏はまず原著の冒頭30ページにわたって収録された多彩なカラー図版の魅力に触れ、科学アトラスのイメージ自体が喚起する、科学史にとどまらない多様な関心の重要性を指摘している。増田氏は本書の広範な議論を明快にマッピングした上で、とりわけクレーリー『観察者の系譜』との対比に焦点を当てる。本書とクレーリーの議論は、客観性と主観性、技術的装置の扱い、主体化や写真の位置づけなどさまざまな点において好対照の関係にあり、両者の議論の関連や異動を比較しながら読解することで豊かな可能性を引き出すことができるのである。また本書が取り上げる図版や科学的装置の細部、たとえば現在の写真アプリを喚起させる19世紀の写真の加工技術や、表紙に採用された美しいサイアノタイプの図版は、イメージやそれを可能にする技術と装置が、科学史だけでなく、哲学・思想史、写真論・メディア論と緊密な繋がりを持つことを喚起する。その上で増田氏は、科学アトラスという視覚的対象だけでなく、ソナーなど聴覚的データや科学者の身体性に注目することで本書とは別の歴史記述を行う可能性や、ワーキング・オブジェクトが主体形成とは異なる方法で科学者に働きかける可能性、同時期のアマチュアや大衆文化との関係に注目する意義など、本書を表象文化論へと架橋する視点が提示された。

最後に、細馬宏通氏(早稲田大学)から、協働的なインタラクションや映像分析の視点から本書の議論を拡張する報告がなされた。細馬氏はまず実体顕微鏡の操作やそれを用いた図版製作のプロセス、生物学徒として出発した自らの経験に触れながら、本書が記述する科学アトラスの製作が実際にいかなる身体的経験であるかを詳細に解き明かす。顕微鏡による観察の映像化とは、立体視を単眼的な平面に変換することであり、動的で時間的な焦点移動によって得られる像を静的で単一の平面に固定することであり、情報の縮退と理想化を含まざるを得ない。細馬氏は、本書に登場するエルンスト・ヘッケルのイエナの生家を訪れた際の経験から、ヘッケル自身の水彩画や家に飾られたパノラマ画など芸術への関心と、同じイエナを拠点としたカール・ツァイスとの交流や光学機器への関心に見られる観察装置へのこだわりが、ヘッケルの進化発生学、形態学に共に流れ込んでいることを指摘する。このように、本書でやや類型的に弁別される3つの「客観性」は、一人の科学者のなかで分け難く融合している場合がある。また細馬氏は、自身が現在取り組んでいるソフトウェアELANを使用した協働的な映像分析の実践を紹介し、動画から任意の静止画を抽出する際に不可避につきまとう代表性の問題や、分析の成果を論文という文字と静止画ベースの形態で共有せざるを得ないことがもたらす課題を指摘した。これは本書の最終章「表象から提示へ」が扱う、現代の科学者が直面するプレゼンテーションの問題とも関連する論点であると言えるだろう。

『客観性』が描き出す大きな見取り図と豊かな細部に触発された充実した報告が続き、会場からは訳者を代表して瀬戸口明久氏(京都大学)にも科学史家の立場からそれぞれの報告に対しコメントをいただいた。その後のディスカッションにおいても、人文科学と自然科学の協働の可能性や、ブリュノ・ラトゥールの科学人類学、ハーバード大学の映像人類学との関わり、実際にギャリソンが製作した科学映画の実験的かつ理論的な側面、表象文化論的なイメージ分析への応用可能性など、多岐にわたる論点が俎上に載せられた。オンラインでの開催ではあったが、終始100名以上が参加し、超過時間ぎりぎりまで続いた議論にも半数近くの方が継続して参加するなど大変な盛況となった。個人的な感慨になるが、昨今、異なる専門知の対立や分断を煽るような議論に辟易することも多いなか、今回のワークショップの報告とディスカッションは、それぞれの専門や知識を持ち寄って行われる束の間のセッションのような、新たな関心を触発される非常に充実した時間であった。改めて、異なる専門性や前提を持ちつつ、対象を共有しながら議論を続けていくことの重要性(それは本書のテーマの一つでもある)を実感する機会となったように思う。

今回のワークショップやディスカッションで提示された論点が、科学史と表象文化論、メディア論や視覚文化論との間で横断的な議論を続けていく契機となれば幸いである。最後になるが、対象も時期もきわめて広範にわたる本書の翻訳を成し遂げられた訳者の皆様に記して敬意を表したい。


ワークショップ概要

本パネルでは、今夏に邦訳が刊行されたロレイン・ダストン+ピーター・ギャリソン『客観性』(名古屋大学出版会)を取り上げる。
2007年に出版された原書は、英語圏の科学史を牽引する二人の科学史家が、「客観性」という科学の根幹にかかわる概念の史的生成について取り組んだ成果として、各界に大きなインパクトを与え、科学史における現代の古典となった。しかしながら、視覚文化論の第一人者であるジョナサン・クレーリーらが編者をつとめるZone Booksから原書が出版されていることからも分かるとおり、本書の射程は狭義の科学史にとどまらない。「科学アトラス」(科学的図像要覧)における表象技法といった視覚的な実践を通して、客観性の歴史を辿り直し、さらには客観性の担い手である科学的自己の生成をも描き出す本書は、クレーリーの視覚文化論的な業績を引き継ぐものと言えるだろう。本パネルでは、ダストンとギャリソンの『客観性』を出発点に、本書が視覚文化論やメディア論を含む表象文化論に対してもちうるインパクトについて議論を行う。
最初に訳者の一人である岡澤氏より、科学史とメディア論の接点としての本書の意義について報告いただく。続いて、視覚文化・映像メディア論の視点から増田氏に、モノを介した協働的インタラクションの視点から細馬氏に報告いただくことで、本書が表象文化論や関連領域に対して持ちうる可能性を明らかにしたい。

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年3月3日 発行