第15回研究発表集会報告

シンポジウム 線画の教育=教訓(レッスン)──キャラとイラストの表象文化論

報告:鯖江秀樹

日時:2021年12月4日(土)15:30-17:30
場所:京都精華大学木野キャンパス黎明館L201

登壇者(敬称略):

小田隆(京都精華大学)
田中祐理子(神戸大学)
松下哲也(京都精華大学)
森田直子(東北大学)

司会:鯖江秀樹(京都精華大学)


2019年の第14回研究発表集会(東京工業大学)以来となる当番校会場でのシンポジウム開催となった。本会は、司会からの趣旨説明に次いで、小田隆、田中祐理子、松下哲也、森田直子による発表が行われた後、登壇者間でのディスカッション、zoomウェビナー参加者との質疑応答が行われた。

2000年代以降評価を高めてきたジャパニメーションやオンラインゲームの存在を背景に、留学生にも高い人気を誇るキャラクターデザインを、歴史的かつ理論的に捉え直すことが本会の目的であった。しかし、こうした世界的受容とは裏腹に、「キャラ」や「イラスト」を蔑称と見なすファインアート側の態度も根強い。こうした分断を克服する手立ては、両方を下支えする造形的要素として「線」と、その認識の刷新にあるのではないかと、鯖江は問題提起した。

「キャラクター造形における古生物復元と美術解剖学」と題された小田氏の発表では、専門とする古生物の復元図、動物画、さらには大学講義での美術解剖図など、自身の制作した豊富な実例を介して複数のトピックが手際よく示された。化石から現存しない生物を復元するとき、研究者と協働して生物を細部の特徴を把握し描写する作業のことは「キャラクターを拾う」と呼ばれるという。また、美術解剖学では人体の筋肉を深部から浅部へとレイヤー毎に図示しながら説明するという。その基本的な内部構造を把握することで、たとえば、動画で人物キャラクターに動きを与えるという応用が可能になる。そうした生物学的な構造理解は逆説的にも、架空のキャラクター(有翼のプットー、ガチャピン、ポケモンまで!)の骨格を「リアルに」想像させることもできる。

田中氏の発表タイトルは「誰でもないのに誰でもある 解剖図の<キャラクター>について」であった。氏の専門とする医学史では定番の文献で、その挿絵図が対称的であるヴェサリウスの『ファブリカ』とベレンガリオ・ダ・カルピの『小解剖学(Isagogae breves)』を取り上げた。前者では皮膚を一枚ずつめくるように表面から深部へ身体のメカニズムが明るみにされる。それを見ることで、読者は解剖医のまなざしを分有することになる。他方、後者では、一人の男が表情を都度変えつつ、シール式の着せ替え人形のようにみずからの腹部をめくり見せている。しかし両者に共通するのは、もともと(おそらくは重い罪を犯した)特定の固有の身体であった、ということだが、それが医学書で表象されることにより、彼らは、教本として普遍的なプロトタイプと化す。個別性と普遍性、その両極の綱引きのさなかにじわりと立ち上がってくるのが、キャラクターというものではないか。

松下氏は「キャラクターの概念は美術アカデミズムの産物である」というタイトルのもと、キャラクターという概念と美術アカデミーの不可分性が17世紀から19世紀のヨーロッパに探った。各国のアカデミーで絵画の最高位にある「物語画(istoria)」の制作においては、多くの登場人物=キャラクターをそれぞれに描き分ける技術と教養が求められた。またキャラクターの性格(静の観相学)と感情(動の観相学)を的確に示すことで、彼/彼女らを「見た目で判断」させなければならない。こうした人物像のある種のデザイン化はアカデミックな絵画の世界から、市民社会の到来とともに出版業界へと波及していく。それはカンパ―の顔面角を経由し、カリカチュアや物語漫画へ、そして現代にまで連なっている。その意味ではキャラクターデザインは紛れもなく、美術史学の脇腹から生まれてきたのである。

松下氏からバトンを引き継いだ森田氏は、その物語漫画の父とされるテプフェールを専門としている。「ロドルフ・テプフェールにおけるキャラクター制作」というタイトルで、森田氏は特に人物表現と、その線画の特質を紹介した。テプフェールは同じ登場人物をコマ割りして何度も描くという新機軸を打ちたてた。その制作と並行して創作論も構築していた。テプフェールは、実在の人物との図像的な類似性に依拠しない人物の典型(type)を、描線記号(signes graphiques)と呼ぶ線画の絡み合いのなかに見い出そうとしていたのではないか。

質疑応答の全容の要約は控えるが、些細なようでいて印象的だったのは小田氏の質問、すなわち「西洋では伝統的に人物表現において鼻を大きく描くが、日本のキャラクター表現ではそれがほとんど描かれないことの背景はあるのか」であった。これに対して松下氏は、日本における西欧アカデミズム受容史を持って応答した。それによると、先述のカンパ―の理論は、鴎外を介して白樺派の内部(とりわけ岸田劉生)で共有された一方で、その同時代的現象として、大正モダニズムの少女表象が出現したという、それは、萌え絵や美少女キャラといった現代キャラクターデザインの花形にまで連なる、アールヌーヴォー風の「装飾としての身体」であった。ここでもまた、現代のキャラ表現に連なる歴史の経脈が示唆されることとなった。

司会を務めながら、登壇者の刺激的な発表とコメントを聴いていて、要所要所で各氏の見解やコメントが絶妙な響き合いを演じていることに感服した。それはキャラクターやイラストレーション、そして線画というテーマが、隣接する領域にまたがる文化的厚みを有しているからではないだろうか。その探索がますます本格化することを期待したい。

(鯖江秀樹)


概要

かつて非難の語であったゴシックやバロックが時代様式の名として定着したことを思えば、わたしたちはいま、のちに「キャラクター様式」と呼ばれることになる時代を生きているのかもしれない。メディア・ミックスと動画配信サービスが視聴覚経験の中核を担う新たな局面において、哲学や人類学でも議論の絶えない「人間(像)」とも深くかかわるキャラクターをいかに思考すべきか。表象文化論学会は、これまでもアニメーションやマンガについて多くの議論を交わしてきたが、本シンポジウムでは、キャラクターの制作(デザイン)を歴史のなかで据え直す。解剖図やカリカチュア、アカデミズムと現代の美大教育を往還しつつ、補助線としてイラストレーションという問題系を設けることで、この文化現象を議論したい。キャラクターはいかにしてイラストレーションに宿ってきたのか。

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年3月3日 発行