書評パネル 宮﨑裕助『ジャック・デリダ 死後の生を与える』
日時:2021年12月5日(日)16:00-18:00
宮﨑裕助(専修大学)
柿木伸之(西南学院大学)
清水知子(筑波大学)
乗松亨平(東京大学)
司会:大橋完太郎(神戸大学)
本パネルは2020年1月に刊行され、第12回表象文化論学会賞を受賞した宮﨑裕助氏の著書『ジャック・デリダ──死後の⽣を与える』をめぐって行われた。デリダやいわゆる「フランス現代思想」の専門家ではない研究者たちが登壇したのも、本学会ならではの光景と言えようか。デリダの思想をいかに受容していくことができるのか、という問題意識からの評者の選択であったことが冒頭で司会の大橋完太郎氏から説明された。
以下では、3時間を超えて交わされた濃密な議論を要約することは断念し、報告者にとって特に重要と思われた点をごく簡単に想起しておこう(実際の発表、質疑応答の順序とは異なり、主題ごとに再構成した点はご了承願いたい)。
「死を刻まれながら⽣き残るために」と銘打たれた柿⽊伸之氏の発表では、生き残りと遺産相続という本書の主題を、「翻訳」──死者と共に生き延びることの謂──という観点から丹念に読解し直すもので、柿木氏が熟知するベンヤミンの翻訳論との差異が問われていた。ベンヤミンにおいていわゆる「純粋言語」ないし「神の創造の⾔葉」との関係で問われる翻訳が、デリダでは回避されているのではないかという問いに対し、宮﨑氏は言語を(否定)神学的に語らない慎重さに注意を喚起する。さらに「神的暴力」をめぐる二人の立場の相違をめぐっては「生あるもののため」というベンヤミンの措辞をデリダが見落としたのではないかという指摘を含む柿木氏の議論に応えて、神的暴力をメシアニズムとして捉えず、その痕跡を把握するというデリダの態度を宮﨑氏が確認した。再度、目的論的なメシアニズムを持ち込まないベンヤミンもまた「メシアニズムなきメシア的なもの」を考えていたという柿木氏からの応答は、ショアー等、歴史と対峙する思想の現在地点を考える上で重要な論点を含むものであった。また柿木氏が本書の白眉と呼んだ友愛論はジャン゠リュック・ナンシーの共同体=脱自論に開かれるものでありつつ、その抽象性に留保が置かれたのに対し、宮﨑氏は『無為の共同体』で剔抉された全体主義的「内在」の問題(=「自殺の論理」)に向かうパトス・情動の罠に嵌まらない友愛の問題(「エンパシーではなくテレパシー」)を問うた。
続いて乗松享平氏はいわば現代思想のクリシェでもある「外部」や「他者」を「場違い」という観点から捉え、自らが「場違い」な者として介入するという形で問題を提起=遂行した。本書の主題の「遺産相続」には主体の側に「恣意性の戒め」、「内部性の自覚」が求められるが、他方、『ジャック・デリダのモスクワ』という(いわば周辺的な)テクストが参照され、「応答してくる主体としての他者」としてロシアが位置づけられ、例えば動物論における「猫」のような「絶対的他者」との差異が検討される。場違いな者はいかなる「他者」の場を占めることが可能なのか、またそこでは主体と他者の差異がいかに問われるのか(あるいは主体が他者になりうるのか)、等々、現代世界の至るところで常に問題となり続けている問いを乗松氏はその行為自体において示していたように思われる。議論で取り上げられたように、「脱構築は西洋でしか成立しない」といった型の議論でロシアとの関係が問われていたことは日本におけるデリダ受容の文脈とも共通する面がある。そうした議論にはデリダ/脱構築を西洋圏に囲い込む側面もあるが、宮﨑氏はデリダその人こそが、フランスのアカデミズムにおいても招聘された世界各国でも、徹底して「場違いな者」であり続けようとしたことを確認している。議論の最後では乗松氏から「人間の意志に関わらず自動的に反覆するもの」であるエクリチュールに関し、何をエクリチュールとして、遺産として受け取るのかという遺産相続をめぐる問いが再度提起されていたことを、そこからの「排除」の問題と絡めて記しておこう。
最後に清水知子氏の発表では、まずデリダの定式化した「免疫的民主主義」が、ジュディス・バトラーの言う「可傷性(vulnerability)」と「不安定性(precarity)」および「承認」と「感知」という観点を通じて、9.11以後のアメリカ社会における「人間なるもの」の(再)把握の分析へと接続された。この点から本書第5章の技術論とグレゴワール・シュマニューらの議論を接続しうることも示唆、サスキア・サッセン、サイードら多くの論者との接点が提示された。さらに清水氏はリベラリズムと原理主義を、相互依存的関係を背後にもつ偽の対立とみなすジジェクの指摘を踏まえ、バーナード・E・ハーコートによるデジタル時代の「告白」分析、ボリス・グロイスによるナルシシズムの再解釈を経て、フランコ・ベラルディによる死のスペクタクル化解読を、本書の英語訳の題A Gift of After lifeにおけるGiftの二重性に接ぎ木していく。そこから第2の論点として「「亡霊」とポスト資本主義」が浮上し、マーク・フィッシャーの「憑在論(hauntologie)」解釈が喚起される。資本主義リアリズムの袋小路とは別様に過去との関係を思考することが、オルタナティヴとしての政治を思考/志向するデリダの議論と響き合っているというわけである。最後の論点「動物論をめぐる「人間中心主義」と「人間例外主義」の行方」では、「生きるに値する生」(バトラー)をめぐる議論がハラウェイの動物論へと展開できることが示唆された。宮﨑氏からの応答では、デジタルメディア空間において「此岸の生をいかに死後の生として引き受け直すのか」という問いをめぐり、死に媒介された生を惰性的に押し付けられている現状が争点として指摘された。またデジタルアーカイブのみならず、声も含めた広義のアーカイヴをめぐり、同時性・速度を至上命題とする資本主義そのものが私たちの亡霊的な生とフィットしてしまう点も問題として取り上げられた。動物論をめぐってはハラウェイ的観点から「なぜデリダはさらに踏み込まないのか」という疑問が提起されたが、宮﨑氏は複数のあらゆる他者の間での優先順位はデリダの中でも決着がついていない問題だと留保しつつ、責任の我有化、人間的論理を動物に押し付けることになる危険を指摘して応答している。
司会の大橋氏からもデジタル技術と(人)文学の接続をめぐって、「AI美空ひばり」にみられる「亡霊」の性質、デジタルと非嫡出子性、民主主義と家族の根本的な抵触、等々、具体的な問題をめぐる「遺産相続」の問題系が再度確認された。その後も討論で取り上げられた論点その他をめぐり、会場から少なからず質問が寄せられたことを記して、本報告を閉じることにしたい。
(柿並良佑)
私たちは確かに、誰とも交換不可能な、かけがえのない一回性の生を生きている。だが同時に、その生はたんに特異な出来事であるだけにはとどまらない。それは多数の読解や解釈や翻訳の「暴力」を通じて反復され、汚染され、複数化し、変容するからである。この意味で、「特異性」としての生は、同時に、ある種の「普遍性」を自身のうちに含み持っているのだ。宮﨑裕助『ジャック・デリダ──死後の生を与える』(2020、岩波書店。以下『死後の生』)の核心にあるテーマはこのように素描できるだろう。
宮﨑はカント美学の研究から出発し(『判断と崇高──カント美学のポリティクス』2009、知泉書館)、現在に至るまで、デリダ、ポール・ド・マン、ロドルフ・ガシェといったいわゆる「脱構築」派についての仕事に取り組んできた。『死後の生』は、こうした仕事のうち、デリダに関する論考をまとめた書物である。『死後の生』は、主に後期〜晩年のデリダの議論に寄り添いつつも、宮﨑が問題関心を持つ種々のアクチュアルなトピックを論じており、狭義の「デリダ論」以上の射程を持っている。あとがきで述べられているとおり、宮﨑の企図は「デリダが述べていたこと
*1 宮﨑裕助『ジャック・デリダ——死後の生を与える』岩波書店、2020年、335頁
さて、冒頭に述べた「暴力」が生にとって内在的であるなら、「生(vie)」はつねにすでに「生き延び/死後の生(sur-vie)」であり、すでに「遺産相続」の歴史性に巻き込まれていることになる。こうしたコンセプトは、ここに報告する書評パネルの企画段階でも充分に意識され、反映されていたと言えるだろう。評者たちはいずれもすでに各分野で確固たる実績を持つ研究者たちであるが、必ずしもデリダないしフランス現代思想を専門とする者ではなかった。こうした異質な他者の関与によって、つまり「翻訳」の過程によってこそ、作品は「死後の生」を与えられるだろう。以下に報告する書評パネルは、この一種の理念のもとに形成された「場違いな場」(乗松による表現)である。
柿木伸之(「死を刻まれながら生き残るために」)
『死後の生』は、生、言語、歴史、政治をめぐって様々な問題を議論するが、その全体の原動力となるのが、最晩年、膵臓癌により死に瀕したデリダがインタビュー(「私は私自身と戦争状態にある」)で語った謎めいた言葉──「生とは、生き延びである」──である。このインタビューでデリダは、自身の展開した「生き延び(survivre)」概念を、ベンヤミンの翻訳論におけるÜberleben / Fortlebenに対応させることで、その両義性を強調している。宮﨑はこの導入によって、「survivre」に、ある生が死を潜り抜けて存続していく「生き延び」(Überlebenに対応)のみならず、ある主体が死に、不在になったあとでも──翻訳されることを通じて──継続する「死後の生」(Fortlebenに対応)の次元を認めるのである。
この意味で『死後の生』の全体のトーンは、デリダのベンヤミン読解によって方向づけられていると言ってよい。ベンヤミンの哲学/美学を専門とする柿木は、ベンヤミン「翻訳者の課題」、「暴力批判論」、「歴史の概念について」を取り上げ、デリダによるその読解を念頭に置きながら、『死後の生』の取り組みを引き受けた。柿木が強調するのは、デリダのいう「遺産相続」が、すでにそこにいない他者たち、すなわち死者たちとの非対称的関係だということである。この点に柿木はベンヤミンとデリダの翻訳哲学=歴史哲学の共通性を見て取っている。宮﨑のデリダ読解の特徴は、「もうひとつの歴史」──「痕跡」を通じてのみ発見されうる、「いわば想起しえない過去の記憶として反復し、つねに絶対的な始まりとして再開するもうひとつの歴史」*2──への志向にある。
*2 同上、279頁
しかし、柿木はいくつかの違和感も提出した。柿木によれば、「翻訳者の課題」、「暴力批判論」それぞれのデリダによる読解は、ベンヤミンの仕事を評価しながらも、「救済」や「神的暴力」といったベンヤミンの語彙を否認しており、その神学的次元を受け付けていないのではないか。宮﨑は後期デリダの議論を特徴づける「メシア的なもの」の次元を詳細に論じなかったが、この点においてこそ、デリダがベンヤミンに接近していたのではないか。
特に後者の問題は、たんにベンヤミンとデリダの比較を超えて、デリダが『マルクスの亡霊たち』以来、「メシアニズムなきメシア的なもの」として定式化した次元を──実際の「政治」の現場に目を遣りつつ──いかに受け止めるべきか、という問いと直結している。この問題に取り組むためには、後期デリダが様々な仕方で主題化した宗教的なものの次元をめぐって、さらに粘り強い読解が継続されねばならないだろう。
乗松亨平
ロシア現代思想を専門とする乗松は、自身をデリダ研究に対する「場違いな者」、ある種の「外部」として規定するところから発表を始める。デリダの最晩年の有名なエピソード──飼い猫に裸を見られ、デリダはそれに恥を感じた──においては、猫は「絶対的他者」として、応答しない「他者」として規定されている。デリダが外部から到来する他者への「応答責任」を強調するとき、実はそのような「他者」自身は──エクリチュールや死者たちのような──つねに「応答しない存在」として、一方的に規定されているのではないだろうか。乗松はそのような立場にある自身がいかにして「応答」するべきか、と自問しつつ、デリダのモスクワ訪問について発表した。
1990年──ソ連崩壊直前──にモスクワを訪問したデリダは、現地の知識人たち(ナタリア・アフトノモヴァ、ヴァレリー・ポドロガ、ミハイル・ルイクリン)と対談し、自身のテキストと対談の文字起こしを『モスクワ往復』(邦題『ジャック・デリダのモスクワ』)にまとめることになる(原著1995)。しかしここでデリダが執筆したテキスト「Back from Moscow, in the USSR」は、「訪問記」ではない。デリダは、エディアンブル、ジッド、ベンヤミンのソ連訪問記を検討し、訪問記の脱構築を狙うのである。
ここでデリダは一貫して、「西側」の知識人がソ連に滞在し、未知の他者を期待し、革命の夢と失望とを滞在記に綴るという構図そのものに懐疑的だった。この警戒は実際の対談にも反映されており、デリダはソ連の知識人たちが西洋知識人に「承認」されようとしている態度を見抜き、それに拒否反応を示すのである。乗松はとりわけこの対談に着目し、「ロゴス中心主義」をめぐるデリダとソ連の知識人たちのすれ違いを描き出した。
ここで乗松の議論は、「自身を他者として現前させる者」に対して一貫してデリダが無頓着だったのではないか、という最初の問題提起に再度戻ることになる。宮﨑は、デリダのロシア語やロシア文化への馴染めなさがすれ違いの原因ではないかと指摘しつつ、デリダ自身がアルジェ出身のユダヤ人として、つまり「場違いな他者」としてフランスのアカデミズムに属していたこと、また後期には、まさに知識人として世界各国を飛び回りつつ、どこにおいても「場違いな他者」として振る舞っていたことを強調した。
だが、乗松の発表では、ロシアという場所の特異性もあり、ロゴス中心主義の内部と外部、「西洋」の内部と外部をめぐるよりセンシティブな問題が浮上している*3。乗松によれば、一方で知識人たちは、スターリニズムによってロゴスが破壊されたソ連において、より「西側」的な知を導入する必要を感じており、脱構築以前に形而上学の庇護の必要を説く。だが、他方で彼らは、自身を西洋に対する他者、「場違いな者」としても提示しようとするのである。この(ボリス・グロイスも指摘した)アンビバレンスに対し、デリダの応答もまた両義的である。デリダは一方では脱構築はつねにその都度の特異な状況に則して実践されねばならない(したがって何にでも適用可能な道具などではない)ことを強調しながら、他方で、スターリンをロゴス中心主義者として見なすことは可能だ、と仄めかすのである。
*3 なお、この議論の過程で、乗松は『モスクワ往復』のロシア語版にのみ掲載されているルイクリンの論考に触れている。この点については、デリダ研究上も重要な資料が紹介されたことになるだろう。
宮﨑はこの点について、「ロゴス中心主義は西洋的なものであり、したがって論理や構築が存在しない非−西洋的とは馴染まない」という一般に流布している考えを批判し──宮﨑は柄谷行人「批評とポスト・モダン」を引き合いに出す──ロゴス中心主義は学問全体にとってより一般的なものであると主張する。さらに現在はグローバリズム化の結果、資本主義や気候変動の問題は世界的なものとなっており、民主主義や動物について後期デリダが展開した脱構築的議論は、そうした普遍的構造に対するものとして、より一般的な意義を持つようになったと説明した。
(報告者はこの点について会場質問を投げたが──それがきっかけでこの報告文を書いている──これについては、ややこの報告文全体と論旨がずれてしまい、また長大になってしまうので、報告文の末尾に補論として配置した。もし興味のある方はご一読いただければ幸いである。)
清水知子
文化理論を専門とする清水は、デリダ最晩年の著作『ならず者たち』が論じられる『死後の生』第三章「自己免疫的民主主義」にフォーカスした。デリダは民主主義の「自己免疫的」性質を論じる一種のモデルとして9.11以降のアメリカを挙げている。その様は「民主主義の自由と平和を掲げた大国が、「民主主義の敵」を厳しく取り締まろうとすればするほど、〔…〕当の民主主義の理念そのものを破壊してしまう」*4という逆説、「友」と「敵」を分断する当の身振りそのものによって、まさにアメリカが自身の「敵」──「テロリスト」たち──に似てしまうこと、によって特徴づけられる。デリダはここから、そもそも民主主義自体が、自己の正当性を保持するために、絶えずその他者あるいは「敵」──テロリストたち、「ならず者国家」たち──をむしろ必要とし、呼び込んでしまうという逆説的構造を抱えていると主張する。しかし他方でデリダはむしろ、この「自己免疫」のもうひとつの側面、「自権性=自己性(ipséité)」に対してつねに到来する他者に開かれていくための条件としての免疫性を肯定し、両義的な分析を行うのだ。
*4 同上、125頁
デリダはアメリカの「敵の政治」が、一種のメディア戦略(「メディア劇場化」)を通じて行われたことに着目し、メディア・テクノロジーの問いを提起するが、清水の発表はこれに具体的な像を与え、より一般的問題として開いていくものであった。清水はバトラー、サッセン、ジジェク、アサド等現代の代表的理論家たちを援用しつつ、9.11以降のアメリカがまさにその内部において、「友/敵」の二者択一あるいは「リベラリズム/原理主義」に即したイメージと規範をつくりあげ、その内部で「生きるに値する生」と「そうでない生」を峻別する暴力を(「正義」の名のもとに)行使してきたことを指摘する。ジジェクがデリダと似た姿勢で指摘するように、「リベラリズム/原理主義」の対立は実際には相互依存的(あるいは「自己免疫的」)なのである。
この前提を踏まえて「メディアの劇場化」を分析するならば、現代社会はパノプティコン型(フーコー)というよりはもはや「露出型社会」である。デジタル・メディア時代にある私たちは未だかつてなく、多くの他人たちに公的に自身を暴露し、(フーコーが後期に分析した意味で)つねに「告白」し続けている。清水はボリス・グロイスに依拠しつつ、この時代を「デジタル・ナルシス」と特徴づける。現代に生きる私たちは、他者から欲望されるために自己を客体化することで、自身に「永遠の生」を与えようとするのである。
その意味で、デヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」(1977)のPVに現れるあの三重写しのイメージは、「ヒーロー」が複製されうるフェティッシュ商品としてパッケージ化され、その意味で不滅の存在となったことを意味するだろう(ヒト・シュタイエル)。そしてその他方、「スペクタクルな自殺」(銃乱射や自爆テロなど)によって特徴づけられる「ダーク・ヒーロー」たちは、自身の死をスペクタクル化することによってこそ自身の生を取り戻そうとする。しかし彼らはあくまでも「スクリーンに呪われたる者たち」であって、資本主義的論理のマリオネットになってしまうに過ぎない(フランコ・ベラルディ=ビフォ)。
こうしたメディアをめぐる変転を通じて、現代民主主義の抱える諸問題の背景に「亡霊」のように現れる「真の敵」としての資本主義が浮かび上がる。『死後の生』の民主主義論は、この再解釈(ポスト資本主義、「資本主義リアリズム」の問題系)に通ずるのではないか、と清水は主張した。
宮﨑は、応答のなかで、デジタル・メディア空間における「永遠の生」の問題に関連して、自身の議論との微妙な差異を指摘する。デリダが論じたのは生そのものが受動的に抱える「死」、生そのものの条件であり、言葉上は似通っていても、生を回避したり、単に来世を志向したりする議論とは異なるのである。しかし他方宮﨑は、今後の技術発展によって、たとえばある人間のライフログを収集しビッグデータ化し、死んだ人間についてもその人格を完璧に再現する──「死後の生を与える」──ことが可能になるかもしれない、という可能性に触れた上で、そのような事態は実は人文学研究のうちですでに起きているのではないかと主張する。というのも私たちがある思想に触れ、アーカイヴを通じて思想家の思想を再構成することは少なからず、すでに「イタコ芸」的だからであり、「死後の生を与える」ことだからである。かくして私たちの生そのものが、つねにすでに複数の他者の言語にとり憑かれているとすれば、「死後の生」は必ずしもデジタル時代の問題ではない。
宮﨑が認める人文学の使命とは、他者の言語に触れ、同時にその再構成を通じて既存の秩序を組み直すことである。しかし一方で、こうした学問の制度や出版の制度そのものが資本主義とフィットしてしまうものであることも警戒しなければならない。このことにアイロニカルに居直る「資本主義リアリズム」を避け、生と死の関係を「別様に思考する」努力を続けるべきなのだ。清水が指摘するように、こうした努力はまさに、「亡霊とともに生きる」ための「憑在論(hauntology)」(デリダ/マーク・フィッシャー)と呼ばれるものだろう。
以上のような議論を通じて、デリダの哲学の輪郭は改めて明確化され、更なる論点の広がりを見せたように思われる。ここで実際の書評パネルでなされた非常に豊かな議論の全てを拾い上げ紹介することはできなかったが(例えば、司会の大橋完太郎から提出された「家族」の問題)、その一部だけでも伝えられたように思う。
また興味深いのは、いずれの評者も、デリダにおける「応答責任」の問題に触れていたことである(清水の議論は時間の関係で手短に述べられたので報告文中では省略した)。死者への応答責任(柿木)、自ら応答する者への応答責任(乗松)、動物への応答責任(清水)。このいずれにおいても、デリダは乗松が指摘したように、「応答しない他者」(死者、動物、エクリチュール、そして神)を想定しているのではないだろうか。「他者への責任」というキャッチフレーズで簡単に理解されがちなデリダの責任論は、現代においていかなるリアリティを持ちうるだろうか。この問題意識が、『死後の生』の読解を通じた評者たちに共有されていたように思われる。
最後にこの書評パネルで言及されなかった点について一言述べておく。『死後の生』と宮崎の初期の仕事(カント美学の読解)の連続性は気になるところである。『判断と崇高』は『死後の生』の註の所々に登場するが、その関係は必ずしも明確には言語化されていない。この隠された連続性をたどり直すことで、宮﨑の議論のうちにデリダ研究を超えて、「美と政治」、「感性的なものと政治的なもの」をめぐるいっそうラディカルな問題系を発見することもできるだろう。しかしここでは最低限、『判断と崇高』における宮崎のカント読解そのものが(デリダを参照しているという以上に)、そもそも「美と政治」をめぐる脱構築的プロジェクトとして遂行されていたことのみ、指摘しておきたい。これまで宮﨑の論考に触発され、教えられ続けてきた読者のひとりとして、今後のさらなる動きに期待する。
*報告者の質疑(補論)
報告者が乗松の発表を通じて触発され、提出した問いは、「ロゴス中心主義にもしある種の境界線があるとすれば、それはどこか(たとえば東洋にロゴス中心主義/哲学はあるのか)」というものである。というのも、デリダはソ連にロゴス中心主義があると述べたが、非−西洋(中国や日本)にはないと述べていたように思われるからだ。
この質問に対し、宮﨑は、乗松への応答を報告者に対して再度反復する形で、「ロゴス中心主義/哲学は思考のより一般的な性質を示すものであり、また、大学制度など様々な知の枠組みがグローバル化する今日にはとりわけ、ある意味で特別なものではない」と説明し、この質問を「現在では無意味になった」、「よくある誤解」と一蹴している。しかし、報告者の見立てでは、これは単なる「誤解」で済むほどに単純な問題ではない。というのも、デリダ自身、実際に前期から後期まで一貫して、非−西洋にはロゴス中心主義はない、と明確に述べていたからである。
実際『モスクワ往復』でもデリダは、一方でロゴス中心主義が、「それと深く結ばれた諸権力を通じて世界的に波及」したことを認めつつも、自身が「ロゴス中心主義が普遍的なものであると主張したことは決してな」く、ロゴス中心主義は「元をただせばギリシアに発する思考態度」であって、「ロゴスに依拠するすべてのものと関係する思考から生まれたヨーロッパ的、西洋的な形成物」であることを認めている*5。さらにデリダは、この箇所で、肉声に権威を付与する音声中心主義は普遍的だが、それに対してロゴス中心主義はヨーロッパ的であり、この両者を「区別して考えたい」という、(ともすれば問題含みの)発言すら残しているのである。
*5 『ジャック・デリダのモスクワ』土田知則訳、夏目書房、1996年、187-188頁
実はこの区別への欲望は、デリダ思想の全時期にわたって一般的である。たとえば『獣と主権者』講義(2001-2002)では、ロゴス中心主義をギリシア的ロゴスと一神教的伝統のふたつの系譜によって特徴づけつつ、音声中心主義の普遍性に対するロゴス中心主義の地域性を強調し、さらに、その考えが『グラマトロジーについて』以来一貫していることを自ら示唆している*6。京都・大徳寺における磯崎新・浅田彰との対談(1992)でもデリダは同様のことを述べているが、注目すべきは、浅田がこの「ある種の比較文化論的な観点」*7に警戒を示し、西洋と東洋の差異を認めつつも、デリダによる過剰な定型化に反発している点である。このタイプの批判は遡れば、英訳版『グラマトロジーについて』(1976)にスピヴァクによって付された長大な序文にも認められる。ここでスピヴァクはすでに、デリダのこの「地理的定型化」を問題としつつ、「
*6 『ジャック・デリダ講義録 獣と主権者Ⅰ』西山雄二/郷原佳以/亀井大輔/佐藤朋子訳、白水社、2014年、428頁
*7 ジャック・デリダ+磯崎新+浅田彰「ディコンストラクションとは何か 「ポスト・シティ・エイジにおいて」」(『Any: 建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008』所収、鹿島出版会、2010年)85-86頁
*8 ガヤトリ・C・スピヴァク『デリダ論 『グラマトロジーについて』英訳版序文』田尻芳樹訳、平凡社ライブラリー、2005年、191頁
確かにグローバル化──デリダが「世界ラテン化(mondialatinisation)」と呼んだ事象──が加速する現在において、「ロゴス」と無関係な文化があるとは言い難いという宮﨑の指摘そのものは正しい。ある知的制度(大学など)に関係した「哲学」が各文化圏において「普遍的に」存在していることは否定しえない事実である。また一方、もはや政治的な課題が各国家を超えて、地球全体を巻き込むものとなっていることも明らかである*9。だが考慮すべき問題はその当たり前の事実ではなく、後期の仕事においてこうしたグローバルな問題を盛んに論じつつも、しかし一方でロゴス中心主義を西洋文化に固有の問題としてその峻別を保持し続けた、デリダの奇妙な身振りではないのだろうか?
*9 しかし、宮崎が述べたこの論点について、先述した対談で浅田はむしろ、デリダの議論に捕捉すべき事項──「資本主義のディコンストラクト」──として批判的に言及している。浅田と宮﨑の結論は似ているにもかかわらず、注目に値するコントラストがある。浅田は「ロゴス中心主義」を西洋に固有なものと見るデリダの議論においては資本主義の普遍性(その脱構築の必然性)が見えなくなってしまう危険を指摘する。宮﨑は逆に資本主義の脱構築(の必然性)をデリダから引き出しうる論点として捉えている。このコントラストは、デリダの議論自身が抱える両義性として受け止めるべきかもしれない。
この一連の議論は瑣末なものではない。というのも、この文化的差異の問いは、『死後の生』の通奏低音として響く「翻訳」の問題に直結しているからだ。たしかに個々の固有語(イディオム)は単純に「翻訳不可能な」特異=単独なものではなく、歴史の過程で、ある種の一般性──「死後の生」──を獲得してしまう。しかし一方でこの固有語の特異性=単独性を前提としなければ、「翻訳」が成立しないのもまた事実である。デリダの問題関心は、一貫してこの普遍性と特異性の絡み合いにこそ向けられている。その具体的な事例として、デリダが井筒俊彦に宛てた手紙が思い出されるだろう。ここでデリダは「déconstruction」の翻訳は原理的には不可能であると述べたが、一方でこの語が翻訳され、それを通じて各言語体系が触発されることで、別の言葉が発見あるいは新たに発明されることをも望んでいた*10。デリダはいくらグローバルな状況にあってさえ、「哲学」がいかなる歴史をもった空間/場所でも普遍的に存在している、と語ってしまうことを警戒し、そして、それでもなお、ある種の「翻訳」を通じた協働あるいは共闘の関係を断念したわけではなかったのである。
*10 デリダ「日本の友への手紙」(『プシュケーII』所収、藤本一勇訳、岩波書店、2019年)
少なくともデリダに──機械的に脱構築の公理を適用するのではなく、個々の文化、個々の歴史、個々の状況において「その都度、戦略を編み出していく」*11ことに脱構築の理念を見出していたあのデリダに──忠実であるならば、各文化や各言語に根ざした「戦略とスタイル」を無視したかたちで、「グローバル化の今日」に乗じて、まったき「普遍的ロゴス」や、それに随伴する「普遍的脱構築」のようなものを想定することはできない(それはまさに言語に根ざした差異にとり憑かれているのだから)。
*11 『ジャック・デリダのモスクワ』、157頁
おそらくグローバル化(あるいは、もっと古くから進行していた世界の「西洋化」)は、どの文化圏でもまったく同じような仕方で進行してきたわけではないし、資本主義への抵抗それ自体も、どの文化圏でも同様の仕方で機械的に行われるのではない。だとすれば(宮﨑自身、乗松への応答のなかで一言だけ触れていたように)、むしろ各個別の歴史−文化と「ロゴス」の関係、「ロゴス」の在り方、そして程度の問題が、ますます問われねばならない系譜学的・地政学的問題として残余するのではないか。柄谷行人はまさにこのことを課題として引き受けていたように思われる──「われわれは日本における「構築」が何であるかを問わねばならないし、さもなければ〝世界的〟ではありえない」*12。柄谷は「日本的構築」の独特の在りようを問うべきだ、と主張しているのであり、日本に「構築」や「制度」がない、などとは(宮﨑の要約に反して)一言も主張していないのだ。
*12 柄谷行人「批評とポスト・モダン」(『批評とポスト・モダン』所収、福武文庫、1989年)20頁
もちろん、報告者は宮﨑の指摘するような、ロゴスは特殊西洋的なものなのだから日本においては無関係である、という態度を肯定しているわけではない。しかし、だからと言ってもはや「今日」ロゴスは「普遍的」なのだ、と結論するのは、それもまた行き過ぎている(それを言うためには、さらに繊細で慎重な注釈が不可欠だろう)。私見では、実際にアクチュアルな課題は、この二つの結論のあいだにしかない。この意味で、そもそも明治維新以来、伝統的に日本の知識人たちが指摘してきたような「構築の不在」あるいは「日本的構築」(柄谷)の問い──これはまさにソ連の知識人たちが直面したものかもしれない──は、再度、真摯に引き受けられるべきである。少なくともそれは、単純な「誤解」として、あるいは「今日」もはや時代遅れになった問題として、斥けられるものではない。
もちろん、宮﨑とのやりとりは非常に限定的な場所──ZOOM会議──で、きわめて短時間でなされたものに過ぎず、報告者の質問の意図が充分に伝わっていたとは思えない。だが、少なくとも課題は明らかだろう。すなわち、デリダにしては驚くほど具体的に決定されていたかもしれない歴史的・地理的・文化的差異(西洋と非−西洋、「哲学」と「非−哲学」)、さらに音声中心主義とロゴス中心主義の関係について、今後ますます批判的に考察し、そして、資本主義と国家主義の共犯的癒着に対する各個別の抵抗戦略を練り上げることである。
おそらくこの忠実ゆえに不忠実な仕事は、繊細かつリスクを伴う仕方で行われるだろう。しかしこれこそ、デリダの死後、その思想を「批判的相続」する私たちが引き受けるべき翻訳者の課題ではないだろうか。
(森脇透青)
パネル概要
宮﨑裕助『ジャック・デリダ 死後の生を与える』は、「死後の生」をひとつの中心概念に置いて、国家や政治、動物的生と人間の生、あるいは共同体と友愛など、デリダの思考における主要問題系を縦横に論じた書物である。本セッションでは、フランス哲学という文脈の縛りから若干離れて、隣接領域の研究者による諸考察を通じて、本書の理論的価値について考えてみたい。たとえば、ベンヤミンらドイツ批評理論との関係において、本書が提起した「死後の生」という概念とその応用はどのように理解されるのか(柿木)、デリダを源流のひとつとする人間/動物論が──たとえばバトラーを経由して──いかなる文化理論として展開されうるのか(清水)、デリダも訪れた「モスクワ」も含む広いロシア的体制のなかにみられる「死後の生」の異なるあり方や、ロシア現代思想の展開は、デリダの思考との対置においてどのように考えられるのか(乗松)といった観点が考えられるのではないだろうか。横断的かつ多角的な視点からなるこの書評会を、ある思想や概念の「死後の生」をめぐるパフォーマンス的営みとも捉えることができよう。