翻訳

レジス・メサック(著)、石橋正孝(監訳)、槙野佳奈子ほか(訳)

「探偵小説」の考古学 セレンディップの三人の王子たちからシャーロック・ホームズまで

国書刊行会
2021年7月
複数名による共(編/訳)著の場合、会員の方のお名前にアイコン()を表示しています。人数が多い場合には会員の方のお名前のみ記し、「(ほか)」と示します。ご了承ください。

1970年代に牧神社から刊行された全3巻の「全集」のおかげで、レジス・メサック(1893-1945)の知名度は今日なお、本国フランスでよりもむしろ日本での方が若干高いくらいかもしれないのだが、いずれにせよ、「知る人ぞ知る」作家であることに変わりはない。この「全集」は、作者生前に刊行された数少ない小説が同系列の未発表小説と合わせて1970年代のフランスで復刊されたのを受け、それらをそのまま日本語に移した企画であり、表紙も元版を踏襲していた。舞台が未来であれ、孤島であれ、そこでは暗澹たるディストピアが描かれているため、メサックはもっぱらSF作家として知られることになった。

だが、彼が自身の名において最初に公刊した書物は、本書の元版に当たる博士論文であった。1929年のことである。その9年後、わが国では江戸川乱歩がいち早く本書に注目してフランスから取り寄せたのみならず、晩年に至ってそれを大学院生に翻訳してもらい、構想中の世界探偵小説史のベースにしようとすらしていた。結局この構想が実現しなかったこともあって、メサックの二つの顔はこれまで分裂状態にあったとおぼしい。事実として、乱歩はメサックがS F的小説も書いていた事実をまったく意識していなかったようだ。

それも無理からぬところで、フランスにおけるアカデミズムの作法に則って堅実周到に書かれた本書は、アイロニカルとはいえ極めて論理的かつ明晰な文体に終始しており、当然ながらディストピア小説の徹底したペシミズムとは一見相容れない。本国ではこの十数年、メサック友の会が旺盛な活動を展開し、いずれも小部数であり、書店ではほぼ見かけないものの、既刊書の復刊は元より、未刊行のテクストを次々に単行本化、ようやくこの作家の多面的な文業の全貌が浮かび上がりつつある。それは大まかに言って、推理小説、SF、そして反権威的な政治論争の三分野に跨り、いずれにおいても理論と実践の両輪が貫かれている。

ということはすなわち、メサックを正当に評価しようと思えば、作品だけではなく、「夜と霧」囚人としてドイツの強制収容所で非業の死を遂げるに至った彼の人生も踏まえた総合的な理解が不可欠ということである。そのことを強調した上で、やはり本書が最も「総合」に近づいた代表作であると断言してよい。比較文学史、科学史、メディア史の少なくとも三分野を横断する本書は、様々な関心に対して同時に開かれており、そのうちの比較文学史に乱歩が興味を示したのとほぼ時を同じくして、パリに亡命中だったヴァルター・ベンヤミンは、本書に引用されたロカンボールシリーズから想を得て「パリ神話」の概念を編み出したロジェ・カイヨワにおそらくは刺激されて本書を繙き、『パリ・パサージュ論』のためのノートにメディア史の観点から抜き書きをしていた。その時代的制約も含め、本書にはいまだ多くの鉱脈が埋もれている。

(石橋正孝)

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年3月3日 発行