抹消された快楽 クリトリスと思考
「ファロス」ないしは「ファルス」、「男根ロゴス中心主義」など、象徴的なものではあれペニスと関連づけられた術語は、私たちが現代哲学、精神分析、フェミニズムのテクストでたびたび目にするものである。けれども、ヴァギナや乳房はどうだろうか。なかでも生殖機能と無関係で、子を養う能力も持たないクリトリスは、たんなる快楽の器官として、あるいは去勢された痕跡を示すものとして、その存在をあまりにも軽く見積もられてきたのではないだろうか。
哲学者マラブーは、本書においてこの不遇な「荒削りでとがった石」を、ペニスやヴァギナとの弁証法や二項対立図式に陥らせることなく、凝固させるような形象化を慎重に避けながら「女性的なもの」へと研ぎ澄ませていく。それは出生時に女性という性別を割り当てられた女性だけを含み込む概念ではなく、あるいはむしろひとつの概念ですらなく、二元論をかたちづくるさまざまな項の隔たりそのものとして論じられるのである。
同時に、マラブーは「クリトリス」という語が背負いつづけてきた記憶を消すこともない。クリトリスをひたすらに抽象化するのではなく、女性器切除や性別転換手術、身体改造などの歴史を引き受けながら、そのなかでクリトリスを思考しようと試みている。
マラブーが「女性的なもの」と哲学の問いについて論じた『差異の変換』(Changer de différence)は現時点で未邦訳だが、その流れを汲みつつ「クリトリス」を最終的に「アナーキー」の議論へと接続する新たなフェミニスト哲学を打ち立てた本書を、まずはぜひ手に取っていただきたい。
(横田祐美子)