アニエス・ヴァルダ 愛と記憶のシネアスト
本書は、アニエス・ヴァルダの作品について、映画批評、美術批評、映画研究、文学研究、写真研究といった、様々な領域で活動する執筆者が、多面的に検討した論集である。この多面性は、写真、映画、現代美術を横断するように創作活動を行なったヴァルダの全貌を明らかにすることに寄与している。ヴァルダの映画を文化史的な文脈から論じた吉田悠樹彦が「アニエス・ヴァルダは前世紀においては自らを“フィルム・メイカー”とし、今世紀は“アーティスト”と名乗った」と記したように、ヴァルダは、写真家としてキャリアをスタートさせた頃から持ち合わせていた多メディア性を晩年に開花させた。松房子が、1961年の写真集『ラ・コート・ダジュール・ダジュール・ダジュール』から2009年のインスタレーション《浜辺》まで、ヴァルダの作品にみられる、静止画像と動画像の二つの極の漂いを説明したように、ヴァルダは映画の枠を超えるような映像の形態に関心を寄せ続けていた。それは、原田麻衣が論じた、個人的な思考が書かれるように撮られた「エッセー映画」の形式と呼び合うものといえる。というのも、ノラ・M・アルターが指摘するように、エッセーの蛇行的で非目的論的な性質は、映像のループというインスタレーションのひとつの特徴と対応するからである*1。本書の意義は、このような、映画作家でありアーティストでもあるヴァルダの作品世界を、ほぼ全てのフィルモグラフィーを網羅することで浮き彫りにしたことだろう。また、魚住桜子によるロザリー・ヴァルダへのインタビューが所収されていることも特筆に値する。ロザリーは、ヴァルダとドゥミの製作会社「シネ・タマリス」の運営者としてヴァルダの創作活動に関わったが、女性を励まし続けたひとりの女性として母親を捉え、シスターフッドを表明する言葉は感動的であるし、日本との関係で言うと、岩波ホールの高野悦子との交流も語られている点も貴重である。本書では、児玉美月が『歌う女・歌わない女』を出発点に、ヴァルダのフェミニズムを読み解いているが、フェミニストとしてのヴァルダという点を真正面から取り上げた「シモーヌ vol.4 特集:アニエス・ヴァルダ」も併せて読まれたい。
*1 Nora M. Alter, The Essay Film After Fact and Fiction, Columbia University Press, 2018, p.292.
(東志保)