科学と「ご褒美」
写真という技術は、決して短くはないその歴史において、いくつかの大きな変化を経験してきているが、中でも湿板から乾板への変化は、近年のフィルムからデジタルへの変化にも比しうるほどの、きわめて大きなものであったと言える。撮影者が自分で薬剤をガラス板に塗りつけ、それが文字通り湿っているうちに撮影から現像までを終わらせなければならなかった湿板に対して、乾板は、あらかじめ撮影可能な状態で売られたガラス板をカメラにセットすれば準備完了であり、現像もあわててその場で行う必要はない。ガラスがセルロイドに置き換わればそれはフィルムとなり、あとはコンパクトカメラの時代の到来を待つばかりである。要するに、シャッターをパシャリと押すことで一瞬を切り取る、というような「写真」の一般的なイメージの形成は、乾板の発明によって準備されたと言っても過言ではないのだ。
こうした重要な変化のすべてのきっかけとなったのが、リチャード・リーチ・マドックス(Richard Leach Maddox, 1816-1902)の発明である。感光剤をゼラチンでコーティングするというアイデアを彼が英国の写真雑誌に発表したのは、1871年のことであった。やがてこのマドックスの萌芽的なアイデアを元に様々な改良がなされ、1880年代には、製品化した写真乾板が広く普及することになるだろう。しかしこのような重要な役割を担ったにもかかわらず、写真史においてマドックスの仕事は正当に評価されているとは言い難い。ダゲールやタルボットには多くの紙幅が割かれても、マドックスと彼の発明には簡単な言及がなされれば良い方で、ときにはその名にまったく触れられないまま、写真の歴史が語られることもあるほどだ。
このような写真史におけるマドックスの軽視には、いくつかの要因があるだろうが、最大の原因は、マドックス自身が自らの発明を特許で守ろうとしなかったことにある。なるほど特許を取得しなかったのならダゲールも同じことである。しかしダゲールの場合は特許を取るよりも国に譲り渡したほうが得だという打算からそうしたに過ぎないのに対して、「自由に得たものは自由に与えよ」をモットーにしていたマドックスは、現代風に言えば自らの発明をオープンアクセス化して、人々の自由な応用に供することを望んだのだ。仮にマドックスにダゲールのような功名心があったならば、乾板が「乾板(dry plate)」などという無味乾燥な一般名詞ではなく、「ダゲレオタイプ」よろしく、マドックスの名を冠した固有名で呼ばれていた(そしてマドックスの名も今以上に人口に膾炙していた)可能性もあったのである。
もちろん特許とは自らの発明から正当な対価を得るために必要不可欠な制度であり、それを取得したからといって非難されるいわれはない。だからといって特許を取得することがそのまま称賛や歴史的評価と直結するのも自明のことではない。ましてやマドックスのように、対価を求めなかったために歴史的評価まで失うのだとしたら、理不尽極まりないことだ。しかし経済的な対価と称賛とが、とりわけ資本主義社会において結びつきがちであると指摘するのは、フランスの哲学者ダニ=ロベール・デュフールである。様々な称賛や追従やお世辞によって、人々の自尊心を安上がりに満たそうとする「ご褒美政治(politique de la flatterie)」が、そこでは繰り広げられるだろう。
こうした政治が現代の金融資本主義とどのように結びついているのかの分析は、デュフールの著作に譲るとして(Dany-Robert Dufour, Baise ton prochain. Une histoire souterraine du capitalisme, Actes Sud, 2019)、ここで少し考えておきたいのは、学問に与えられる「ご褒美」についてである。科学の様々な分野において、すぐれた業績を正当に評価するための取り組みがなされており、学会賞を擁するこの表象文化論学会もその例外ではない。誤解のないように急いで付け加えておけば、それらの学術賞は、いずれも厳格な審査基準に則って、多くの識者が少なからぬ時間と労力をかけて選考されているはずであり、いずれかの特定の賞の意義や価値について、ここで難癖をつけようなどという意図は微塵もない。しかしながら、一般論として、ある研究に与えられた賞が、その研究に対して、学術的な審級とは別の次元で真理の後ろ盾を与えてしまう可能性については、意識されておいてもよいだろう。
たとえばアラン・シュピオが指摘するのは、いわゆる「ノーベル経済学賞」の問題点である。正式名称を「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン銀行経済学賞」という、1969年に創設されたこの賞は、1974年のフリードリヒ・ハイエクの受賞をはじめとして、資本家にとって都合のよい、ネオリベラルな経済思想にお墨付きを与える役割を果たしてきたという。シュピオ曰く「本物のノーベル賞のよくできた模造品」であるこの賞は、「アルフレッド・ノーベルの威光を借りて自分で自分に優秀賞」を与えるものだった。このような動きは経済学者たちの「政治経済学」から「経済科学」への「鞍替え」を加速させる。すなわち、経済は「政治」ではなく「科学」に従うものだから、政府による経済への政治的な介入は最小限にすべきである、との考え方が、幅を利かせるようになったのである。こうした考え方が、受賞により「科学的規範」であるとの裏付けを与えられ、経済を政治によって統制しようとする福祉国家的な発想が、時代遅れとされることになった(アラン・シュピオ『フィラデルフィアの精神』、橋本一径訳、勁草書房、2019年、26-27、38頁)。
ある科学的研究は、たとえば予算の獲得のためなどに、自らが科学的に真で価値のある研究であることを、科学者以外の者に向けても示す必要にしばしば迫られる。受賞歴というのは、「真実らしさ」の指標として大変にわかりやすいものであるが、そういったイメージは、科学的真理とは別物の単なる演出であると割り切ることはできるのであろうか。他の研究よりも「真実らしく」見せることに成功した研究が予算を獲得し、結果としてその分野の研究が他の分野よりも進展することがあるとすれば、科学の「イメージ」はその科学の発展にとって本質的であるとも言える。科学の営みが科学者たちのコミュニティ内だけで完結することはありえない以上、科学は、自らの「見え方」の問題に、多かれ少なかれ直面せざるをえない。つまりそれは科学の「表象」の問題である。懸賞論文、博覧会などのメダル、さらにはノーベル賞に代表される科学賞……。科学に与えられる様々な「ご褒美」が、その科学の営みといかに本質的に結びついてきたのかを問う、表象文化論的な研究が必要とされていると言えよう。
受賞などにより「ご褒美」を受けることのある科学が、「ご褒美」を与える側となることもまたある。歴史記述が権力者にとって自らの権力の正当性を裏付けるための「ご褒美」としてしばしば機能してきたのは周知のとおりだが、それが「歴史学」となっても、この危険性をすっかり逃れたわけではないだろう。だとすれば、すでに数々の「ご褒美」を受けている者よりも、マドックスのような、不当にも評価を受けそびれているように見える者に光を当てたいと考えるのは、単なる判官贔屓の自己満足でしかないのかもしれない。しかしこれまでそこに光が当たらなかったのはなぜかを考えることは、その科学全体の価値基準を見直すことにも、つながりはしないだろうか。たとえばマドックスを軽視する写真史は、特許を取得するなどして自分で自分に「ご褒美」を与えることに首尾よく成功した者たちのステータスを、単に追認するだけのものに、成り下がってはいないだろうか。
オンラインで開催された表象文化論学会第15回大会において、特別インタビューに応じてくれたつのごうじさんもまた、これまで大きな「ご褒美」の類とは縁遠いキャリアを送ってきたミュージシャンである。そのことをもってして、アニソンをはじめとする日本のポピュラー音楽における彼の仕事の意義が過小評価されるとすれば、それは不当であることが、このインタビューを通じて少しでも理解いただけたことを願う。「劇伴」と呼ばれるジャンルを得意とした彼にとって、音楽とは常に映像とともにあるべきものであったが、そのためにこそ彼の音楽はしばしば、「添え物」という位置づけに甘んじることにもなった。しかし音楽が映像から切り離された、独立したものとして理解されるようになったのは、19世紀以降の録音技術の発展の結果にほかならず、そのような音楽理解は決して普遍的なものでもない。20世紀後半からのミュージック・ビデオの興隆、さらには21世紀以降のYoutubeの時代を迎えて、かつての「添え物」が、むしろ先進的な音楽のあり方として見直されるための準備が、ようやく整いつつあるのだ。