オペラ/音楽劇研究の現在 創造と伝播のダイナミズム
本書は早稲田大学オペラ/音楽劇研究所に所属するメンバーによる論文集である。幅広い地域・時代をカバーしており、編者の一人である佐藤英が述べるように、現在のオペラ/音楽劇研究の「可能性の多様さ」(「まえがき」)を示すものといえるだろう。なお、同研究所は『キーワードで読むオペラ/音楽劇研究ハンドブック』(アルテスパブリッシング、2017年)を刊行しているが、同書では現在のオペラ/音楽劇研究におけるトピックが項目別に論じられており、本書の関心ともつながっている。
特定の編集方針にしたがって編まれた論文集ではないことから、全体にわたる要素を取り出すことは控えたい。ここでは副題にある「創造」と「伝播」の二点について、多少自由に筆者なりの紹介を試みたい。
古代ギリシアの神話世界を題材にした初期オペラやバロック期の「魔女もの」オペラを引くまでもなく、オペラ/音楽劇はしばしば存在しない、あるいは存在してはならないものを舞台上に出現させてきた。本書に収められた論考群を読んで改めて思い至るのは、舞台上に創造/想像されるそうした「存在しないもの」たちの様態がいかにも多様だということである。いくつかの例をあげるなら、フランスのバロック・オペラでは「ミュゼット」という楽器を使用することで、神話上の風景である「パストラル」が出現する(中村論文)。明治期の西洋化とともに、もともと日本には存在しなかった「プリマ・ドンナ」という女性像もまた、ときに日本的な変形を経て移入され、可視化される(大西論文)。さらに言えば、現代では本来「台本」では想定されていない「回想」形式によるオペラ演出がなされてしまう(新田論文)。
神話世界に属するがゆえに、あるいは外国文化に属するがゆえに、あるいは「台本」上、存在しない(はずの)それらは、しかし舞台上に出現させられることで、ときに社会の欲望を映し出し、ときに社会との間にコンフリクトを引き起こすだろう。筆者が教えられたのは、そうしたことの総体のうえにこそ、オペラ/音楽劇の多様性も存在するということである。
オペラ/音楽劇が社会の中に伝播してゆくとき、そこには媒介者が存在する。世界を股にかけ活動する「ロシア大歌劇団」(森本論文)、ナチス政権下の「ラジオ放送」(佐藤論文)は社会とオペラ/音楽劇をつなぐ存在ないし仕組みといえるだろうし、北米における児童向けの「創作型プログラム」(大野論文)はそもそも創造行為のなかに社会を巻き込む営みともいえるだろう。本書は、そうした媒介者を比較することで、それらが置かれた社会のあり方をも考察するきっかけを提供してくれる。
このように様々な論考を収めた本書は、オペラ/音楽劇研究の持つ多様な可能性を提示する格好の一書となっている。
(岡野宏)