研究ノート

王権と観者──17世紀後半から18世紀フランスにおける絵画言説史

村山雄紀

1.はじめに

本研究の目標は、フランスの古典主義時代から啓蒙思想時代にかけての絵画言説史を観者への「効果」(l’effet)というプリズムを通して分析することにある。そのことにより、従来は王権やアカデミーの論理に回収されがちであった当該時代における絵画言説史の布置を、タブローが観者に与える直截的な「効果」という受容の側面から再編成することを目指す。すなわち、タブローに対峙する観者のまなざしを王権やアカデミーのメカニズムに馴致させることなく、タブローそれ自体が観者に惹起する「効果」として論じること。そのための鍵となる人物が、古典主義時代において画家・理論家として活躍していたロジェ・ド・ピール(Roger de Piles, 1635-1709)である。本研究は、王権やアカデミーに奉仕するための絵画論から観者の反応を喚起する絵画論への移行を、ド・ピールを結節点に位置づけることで剔抉することを目標とする。先行研究においては、19世紀におけるボードレール、ユイスマンス、ゴンクール兄弟に継承されるような近代美術批評の祖型をドニ・ディドロの「サロン評」に見出すことが定説*1であるが、本研究はディドロの絵画論がド・ピールの影響下にあることを示すことにより、ド・ピールの絵画論こそが観者の身体的・生理的反応を重視する近代美術批評の嚆矢であることを明らかにしたい。換言すれば、ド・ピールの絵画論に光をあてることによって、絵画言説史におけるド・ピール〈以前〉とド・ピール〈以後〉の系譜を再検討することが本研究の目的にほかならない。本小論においては紙幅に制限があるため、ド・ピール〈以前〉の絵画論とド・ピールがもたらした変革について手短に論じることにする。

*1 Cf. Stéphane Lojkine, L’œil révolté: Les Salons de Diderot, Paris, J.Chambon, 2007; Michael Fried, Absorption and Theatricality: Painting and Beholder in the Age of Diderot, Chicago, The University of Chicago Press, 1988 [マイケル・フリード『没入と演劇性』──ディドロの時代の絵画と観者』伊藤亜紗訳、水声社、2020].


2. 従順な画家

ド・ピール〈以前〉のアカデミーにおいて最も影響力のある人物のひとりとして君臨していたのが、王政の首席画家を拝命していたシャルル・ル・ブラン(Charles Le Brun, 1619-1690)である。ル・ブランは、フランスの王立絵画彫刻アカデミーを統括し、王の栄光を表象・拡散するための芸術作品を次々と生産していたゴブラン製作所の総監督を歴任することで、王権の顕彰に最も貢献することのできる従順な画家として名を馳せていた。ル・ブランを首席画家にまで昇りつめさせた最大の要因は、ル・ブランの作品が王への忠誠を誓う明確な「意味」を備えていたからである。ル・ブランは王権と絵画を無媒介的に接続することによって、王権の顕彰に貢献する作品を生み出すことのできる稀有な画家であった。ル・ブランのこのような気質が最大限に発揮された作品が《アレクサンドロスの足元にひれ伏すペルシア王妃たち》(図1)である。本作は、王であるアレクサンドロスと従者であるヘファイスティオンがイッソスでの戦いの勝利後に、ダレイオス王の母と王妃が待つ天蓋を訪問する場面を描いた作品である。激戦に勝利した王の強さと、王にひれ伏す人々を描き出すことにより、王の栄光と臣民の服従を効果的に誇示することに成功している。この題材が選ばれた理由は、ルイ14世とアレクサンドロス大王を重ね合わせることで、王の栄光をアレクサンドロス大王に比肩するものとして顕示するためである。ル・ブランはこのエピソードを採用するにあたって、物語上におけるふたつの「瞬間」を選択し、それらをひとつのタブローに統合している。第一の「瞬間」は、母が王であるアレクサンドロスとそっくりな容姿をしている従者へファイスティオンを見間違えてしまい、へファイスティオンにひざまづく「瞬間」であり、第二の「瞬間」はそのような母の間違いに対して、王が右手を差し出す身ぶりによって寛容さを示す「瞬間」である。すなわちル・ブランは、激戦の勝利後にダレイオスの天蓋を訪問した王の姿を見間違えてしまう母と、母の間違いを許容する王というふたつの「瞬間」を選択し、それらをひとつのタブローに配置することによって、王の強さと寛容さを同時に描いているのである。別言すれば、ル・ブランはふたつの「瞬間」をひとつのタブローに配置することによって、王の強さと寛大さという「持続」的な物語を描き出すことに成功している*2

*2 ル・ブランの画法が物語上のふたつの「瞬間」を配置することによって、王の偉大さ を叙述するための「持続」をタブロー上に導入していることについては、以下の拙稿 を参照されたい。村山雄紀「読むことと見ること──シャルル・ル・ブランの画法と その批判」『表象・メディア研究』 第 11 号、2021 年、63-84 頁。

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図1《アレクサンドロスの足元にひれ伏すペルシア王妃たち》

そしてル・ブランが「瞬間」としてのタブローを「持続」としての物語に変換するうえで重視していたものが「素描」(le dessin)の理念にほかならない。ル・ブランが主導するアカデミーの教育プログラムにおいては、「人物素描」が中心的な科目として編成され、アカデミー以外の場所で「人物素描」の授業を講じることは禁止されていた*3。そこでは、「素描」がアカデミーの独占物とされ、「色彩」(le coloris)は「素描」の二次的な身分として埒外に追い出されていた。ル・ブランは絵画の機能を「素描」に限定することにより、「色彩」をアカデミーの圏域から外部へと締め出し、王権とアカデミーの発展に貢献するものとしての「素描」を神格化したといえるだろう。すなわち、ル・ブランの画法においては<素描-叙述-王権>の三要素が短絡していたのである。

*3 Nikolaus Pevsner, Academies of Art, past and present, Cambridge, Cambridge University Press, 1940 [ニコラウス・ペヴスナー『美術アカデミーの歴史』中森義宗・内藤秀雄訳、中央大学出版部、1974年、86-87].


3. ド・ピールによる改革

前節ではド・ピール〈以前〉の絵画論においては、<素描-叙述-王権>の三要素が重視されていたことを、ル・ブランの画法を通して確認した。本節においては、ド・ピールの改革がもたらした影響について概観したい。つまりド・ピールが、ル・ブランによって主導された<素描-叙述-王権>に抗することで、何を奪還しようとしたのかについて考察する。

まずは、プッサンを模範とする「素描」派とルーベンスを理想とする「色彩」派で繰り広げられていた当時の色彩論争において、ル・ブランが「素描」派の牽引者であったのに対して、ド・ピールこそが「色彩」派の急先鋒であったことを確認しておく必要があるだろう。結論を先に述べれば、ド・ピールによるアカデミー改革の目論みは、ル・ブランが顕揚する<素描-叙述-王権>に対して<色彩-効果-観者>の回路を復権することにほかならなかった。ド・ピールは絵画における<色彩-効果-観者>を強調することにより、王権やアカデミーの内的論理を瓦解させ、教条主義的な磁場に還元されることのない、タブローそれ自体が内包する潜勢力を取り戻そうとしたのである。ル・ブランの画法が抑圧してきた観者のまなざしが真に解放されるためには、アカデミーの改革者であるド・ピールの登場を待たなければならなかった。ド・ピールの参入によって、絵画の宛先は王権から観者へと移行することになる。ド・ピールはル・ブランの画法を以下のように批判している。

ル・ブランの絵画にはいくつもの謎des énigmesが存在する。観者le spectateurはそのような解明にわざわざ取り組みたくはないne veut pas se donner la peine d’éclaircirだろう*4

*4 Roger de Piles, Abrégé de la vie des peintres, Paris, premier imprimeur du Roy, 1699, p. 516.

ド・ピールによれば、ル・ブランの画法がもたらすものは絵画の「解明」に過ぎない。ル・ブランが想定する観者は、「素描」が提示する「謎」を解読することのできる目利き(le connaisseur)や愛好家(le amateur)に限定されており、そこでは「解明」を不得手とする「公衆」(le public)の存在は排除されている。「解明」に興じることができるのは、王権に庇護された教養ある宮廷人であり、そこでの絵画は王権やアカデミーの理念に奉仕するための道具に堕落してしまいかねないだろう。ド・ピールの絵画論が重視することは、ル・ブランのように、「素描」によって「謎」を画布上に張り巡らし、「解明」に長けた階層に向けて作品を喧伝することで、王権とアカデミーの権力装置へと観者のまなざしを馴致させることではない。ド・ピールが優先することは絵画における「解明」ではなく、「公衆」に訴えることのできるような「非-意味」的な要素である。この「非-意味」的要素こそが、ド・ピールが「素描」と対比することで顕揚する「色彩」による「効果」である。ド・ピールにとっては、「素描」が王権やアカデミーと直截的に結びつくような「意味」を生み出すものであるに対して、「色彩」はそのような「意味」とは無関係に出来する「非-意味」的な「効果」であった。

本物の絵画la véritable peintureは私たちを驚かさせnous susprenant、私たちに訴えるnous appellような絵画である。つまり、効果による力la force de l'effetによって、私たちを絵画に近づかせるものであり、それはまるで私たちに何かを語りかけているかのようである*5

*5 Roger de Piles, Cours de peinture par principes, Paris, Gallimard, 1708(1989), p. 8.

ド・ピールが「本物の絵画」に認めることは「私たちを驚かせ」「私たちに訴える」ような「効果による力」を秘めた絵画である。「素描」は王権やアカデミーの顕彰に役立つ「意味」を構築し得るが、それだけでは観者への「効果」を生み出すには至らない。「色彩」という「非-意味」的要素が作用することによってはじめて、観者は「絵画に近づく」のである。ド・ピールの改革がもたらしたものは、ル・ブランの画法によって王権やアカデミーの理念へと縛りつけられていた観者のまなざしを、タブローそれ自体へと連れ戻すことであった。


4. おわりに

以上のように、ド・ピールの絵画論においては王権やアカデミーの顕彰から観者の受容へと移行する契機を明確に見出すことが可能である。ド・ピールが志向する絵画の宛先は王権やアカデミーではなく観者に向けられている。ド・ピールの絵画論は画家-タブローの二項関係に閉ざされたものではなく、つねに第三項としての観者のまなざしが介入している。ド・ピールの独自性は、古典主義時代において王権やアカデミーの顕彰ではなく観者の受容を重視した点にあるだろう。美術史家ギーター・メイが述べるように、「ド・ピールは古典主義時代の理論家よりも啓蒙思想時代の理論家との方が親和的であった」*6のである。本研究が目指すのは、ド・ピールの先駆性を介して浮かびあがるフランスの古典主義時代から啓蒙思想時代にかけての絵画言説史における連続性/不連続生の析出である。このことにより、観者のまなざしを王権やアカデミーの権力装置から引き離し、タブローそれ自体と対峙する観者の身体的・生理的反応を取り戻すことになるだろう。

*6 Gita May, «Diderot et Roger de Piles», PMLA, Vol. 85, No.3, 1970 May, NewYork, Modern Language Association, 1970, p. 454.

村山雄紀(早稲田大学)

掲載図版

(図1) Charles Le Brun, Les Reines de Perse aux pieds d’Alexandre, 1661, 298×453cm, Paris, Palais de Versailles.

出典

(図1) Les Collections Château de Versailles http://collections.chateauversailles.fr/ (最終アクセス日2021/05/09)

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2021年6月30日 発行