監獄の回想
これは教育の物語であり、啓蒙の物語である。よそものにすぎなかったアナキストが、理不尽と無理解と暴力が支配する監獄のなかで、自らの思い上がりや思い込みを学び捨て、人間的に成長していく。14年におよぶ虜囚生活のあいだ、ほかの囚人たちと連帯し、彼らのために、自ら信じるもののために、普遍的な正義を求めていく。死の影がつきまとう暗鬱な物語の底のほうから、輝かしく燃えさかるアナキズムの熱と光があふれだしてくる。
1912年に出版された『監獄の回想』は、アレクサンダー・バークマン(1870‐1936)の主著にして処女作である。翻訳で550頁近くにおよぶ大部の本書は、著者の母国語ではない言語──監獄のなかで学び取り、磨き上げていった英語──で書かれており、文体練習を思わせる生硬さがあるが、執拗なまでの現在形の使用のせいもあって、奇妙なまでの実験性をただよわせてもいる。
ユダヤ系ロシア人にしてアメリカ移民である著者のごく私的な記憶、ロシアにおけるニヒリズムやナロードニキの伝統、彼の同胞となるほかの囚人たちの生い立ちや生きざま、監獄の外の世界の人々や出来事と交錯しながら進んでいく『監獄の回想』は、集合的なものの記録でもある。閉ざされた空間のなかで繰り返される反覆的な出来事の物語であり、釈放される友人たちとの喜ばしい別れ、監獄のなかで苦しみながら命を散らしていく友人たちとの悲しみに充ちた別れの物語でもある。監獄制度の非人間性の告発書。
そして、理想論や抽象論にすぎなかったバークマン自身のアナキズムの血肉化の記録である。たしかに、『監獄の回想』のなかで語られるアナキズム論は、依然として断片的なものにとどまってはいる。しかし、本書それ自体が、アナキズム的な生の例証であり、アナキズムの烈しさ──その知的誠実さと感性的拡がりと倫理的な純粋さ──の表象にほかならない。バークマンの教育と啓蒙の物語は、読者をさまざまに触発せずにはおかない。
『監獄の回想』はあなたをアナキストにはしないかもしれない。しかし、かならずや、あなたにアナキズムの歓びと美しさを伝えるはずである。
(小田透)