数理と哲学 カヴァイエスとエピステモロジーの系譜
ときに「フランス科学認識論」とも呼ばれるエピステモロジーはフランスの現代哲学を特徴づける系譜のひとつである。金森修の尽力もあり、代表的なエピステモローグとしてはガストン・バシュラール(物理学や化学)やジョルジュ・カンギレム(生物学や医学)が比較的よく知られているだろう。とはいえエピステモロジーが関わるのは自然科学だけではない。まさに本書が出発点とするジャン・カヴァイエスは数学をみずからのフィールドとした。しかも、対独レジスタンスを組織・展開して1944年1月に無名戦士として銃殺されたこの哲学者がその理論を鍛えあげるにあたってはフッサール現象学──このオーストリアの哲学者はまず数学者としてキャリアを開始したのであった──の批判的受容が大きな役割を果したのである。
それゆえ、ミシェル・フーコーが主体の哲学(現象学)と概念の哲学(エピステモロジー)のあいだに引いた分割線は、第一部で示されるカヴァイエスの数学的経験の哲学のもとで、両陣営が相互に折り畳まれ、重ね合わされるようにして問いなおされることになる。この「経験」という観点からの問いなおしは、数学のエピステモロジーとフランス現象学との緊張関係の検討(第二部)を経て、従来のエピステモロジー理解では周縁に位置づけられるジルベール・シモンドンやジャン=ピエール・デュピュイに光をあて(第三部)、さらにはチャールズ・S・パースの記号論を用いた探偵小説理論の提示にいたる(補論)。
だが、道具立ても対象もエピステモロジーとは無関係にみえる補論は蛇足ではないのか?──この疑問に対しては、たとえばバシュラールに典型的に認められるようなエピステモローグたちの大胆な柔軟さ(あるいは複雑さ)を思い出すとともに、さらなる展開が望まれるこの理論がまさに「経験」の生成を捉えるという問題意識に貫かれていることを強調しなければならない。そこにはエピステモロジーの裾野を広げるひとつの可能性がたしかに秘められている。
(宇佐美達朗)