世界の他化 ラディカルな美学のために
バタイユから出発して、バタイユとともに思考する。
それによって著者自身の哲学とバタイユ思想の新たな解釈を提示した本書は、訳者あとがきで触れた脱構築思想との関係や「アリストテレス左派」としての哲学的なバタイユ読解以外にも様々な展開可能性を有している。
ここでそのひとつを紹介すると、原著の刊行から10年ほど後に書かれた日本語版への序文では、「オブジェクト指向哲学」や「思弁的実在論」といった日本でも注目されている潮流との関係が指摘されている。それらとは対照的な部分があると留保しつつも、マンチェフは「オブジェクト指向哲学」や「思弁的実在論」の台頭以前から、自身もまたブリュノ・ラトゥールらと同様に「オブジェクト」や「モノ」について問うてきたのだと主張する。
たしかに本書では、実体としての主体とは明確に異なる「
興味深いのは、『エロティシズム』や『宗教の理論』などで明らかに人間と動物を区別しているように見えるバタイユの思想もまた、これらの潮流と間接的に結びつけられている点である。バタイユを思考の同伴者とするマンチェフは、いったいバタイユのどこにそのような読解の糸口を見出したのか。『ドキュマン』だろうか。
私たちの思考を駆動させる多くの問いを提起する本書に、ぜひ触れてみてほしい。
(横田祐美子)