翻訳

ジャック・デリダ(著) 亀井大輔、加藤恵介、長坂真澄(訳)

ハイデガー 存在の問いと歴史(ジャック・デリダ講義録)

白水社
2020年5月
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歴史とは何だろうか。歴史家は歴史資料の検証において、普遍的に妥当するとされる矛盾律や因果律をア・プリオリに前提することで、客観的歴史なるものを恣意的な虚構から区別し浮かび上がらせようとする。とはいえ、そもそも資料の収集という行為自体が、理性的に推論する歴史家の参与をあらかじめ要求する。ハイデガーが『存在と時間』(1927)で示唆するように、指輪の譲渡という出来事を、或る金属の地点Aから地点Bへの物理的な移動と捉えたところで、それは歴史にはならない。指から指への金属の移動という出来事が歴史として生起しうるのは、死へと向かって有限な生を生きる現存在が、この出来事を、かつて存在した可能性を取り戻すという仕方で自らの可能性として受け継ぐことによってのみである。この贈与の出来事は、人と人との間で交わされる誓いの意味、さらにはそもそも存在するということの意味を理解することによってのみ、歴史となる。

デリダは60年代半ばに行われた本講義において、このような歴史の生起を記述しようとするまさにそのときに「息切れ」にいたるハイデガーの様子を仔細に辿る。彼は、『存在と時間』第一部第三篇以降が未刊となった背景を、歴史の発生という現象の捉え難さのうちに見据え、同著作の第一部第二編第五章・第六章の歴史と時間性をめぐる問いを、ハイデガーの同時代の著作や後期著作の問いと呼応させつつ浮き彫りにする。そこであらわになるのは、歴史概念の新たな相貌である。

(長坂真澄)

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2020年10月20日 発行