徹夜の塊3 世界文学論
本書は、ロシア・東欧文学を中心に亡命文学の歴史と作品を論じた『徹夜の塊 亡命文学論』(2002、サントリー学芸賞受賞)、文学、思想、美術など幅広い分野におけるユートピア的想像力について考察した『徹夜の塊 ユートピア文学論』(2003、読売文学賞受賞)と合わせて三部作を成すシリーズの最終巻である。
本書の広がりを知るために、まずは構成を紹介したい。
はじめに
Ⅰ 世界
1 世界文学へのアプローチ
2 理論と歴史
3 翻訳とアダプテーション
II 響き交わし
III 詩と世界
IV 辺境の地詩学
V 中欧の星座
VI 世界文学クロニカ
解題を兼ねたあとがき
各章の内容は以下の通りである。「I 世界」では、「世界文学とは何か」という本質的な問題が、理念、実践、歴史的展開など広範な視点から論じられる。「II 響き交わし」には、外国文学の受容や影響に関する論考が収められ、直接的な影響関係を持つ作品、作家をめぐる比較文学的研究のみならず、「世界の文学で同時多発的に生じる呼応関係(710頁)」に着目した多彩な研究に触れることができる。「III 詩と世界」は、ロシア東欧の詩や、谷川俊太郎、荒川洋治などの日本の詩人についての文章から成り、「IV 辺境の地詩学」では、ヨーロッパから見た「辺境」であるエストニア、リトアニア、チベットの文学や美術が対象となる。「V 中欧の星座」では、ブルーノ・シュルツや、ミルチャ・エリアーデ、スタニスワフ・レムなど20世紀中東欧の作家達が織りなす世界が描き出され、「VI 世界文学クロニカ」は、大江健三郎、リービ英雄、多和田葉子、池澤夏樹などの現代日本文学についての評論を収めると同時に、「ポスト・ガルシア=マルケスの世界文学──絶望的な多様性に楽しく向き合うことの勧め」、「越境する文学」等、文学史、文学論的な論考を収めている。
本書の功績は、著者自身も「はじめに」で書いている通り、「世界文学というのは名作の目録を解説することではなく、自分の外に広がっている世界の多様な文学に向き合う自分なりの読み方のことだ」という認識のもとに、無数の作品、作家、現象、主題から成り立つ世界文学という広大な宇宙を旅するための視座を示していることだ。大航海時代に南半球に旅した船乗り達が、船旅の途中で見つけた珍しい生き物を象った星座を作り上げ、それがその後の船旅における貴重な目印となったように、本書は、世界文学を旅する拠り所となる新たな星座、パラダイムを作り出した。「世界文学とは「あなたがそれをどう読むか」なのだ」と沼野氏が語るように、世界文学の捉え方には様々なバリエーションがあるはずだが、本書はそのための技法や視点、実例を鮮やかに指し示してみせた。
それらの一つ一つの星座(本書に収められた論考)の方法論は多元的なものである。優れた比較文学的論文(「村上春樹とドストエフスキー──現代日本文学に対するロシア文学の影響をめぐって」)、19世紀から20世紀にかけて活躍したロシアの画家、思想家、探検家ニコライ・レーリッヒに関する美術史・文化史的論考「レーリッヒの謎」、日本文学を海外に発信することの意義と方法を論じた文化交流政策にも関わる論考「日本文学の海外普及対策への提言──新たな世界文学の時代に向けて」、豊富な実例に基づいた翻訳論(「なぜ古典新訳は次々に生まれるのか?」)、東欧、中欧文学研究、日本文学研究など、本書は文化のジャンルや方法論を軽やかに越境しつつ、世界文学を様々な視点で照射していく。
また、本書の巻末近くに収められた論考「「三・一一後」の世界文学を読むために」や「あえて文学を擁護する」において発せられる、社会における文学の意義、文学や言葉の力に対する信頼についてのステートメントは、文学・文化を考える上で、また、文学・文化研究の役割について考える上でも必読である。さらに言えば、本書で直接的に言葉で語られているわけではないが本書自体が物語るのは、同時代の作家の良き理解者、翻訳者、研究者として作家達に伴走する文学研究者が、文学という営みそのものを支え、言葉を通じて世界に働きかける存在となり得ることである。
なお、本シリーズの前二作の『徹夜の塊 亡命文学論』、『徹夜の塊 ユートピア文学論』は、それぞれの領域で書き溜められてきた新しいテクストを大幅に追加し、新版として近刊の予定である。旧版も文学、文化、歴史、社会、思想について考えるための重要な書籍で、困難な時代における文学の可能性を力強く示すものであったが、新版はそれをはるかに上回るものとなるだろう。三冊合わせて座右の書として参照したい。
(鴻野わか菜)