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フロイトのイタリア――旅と芸術と精神分析
岡田 温司
もう20年以上も前からずっと頭のどこかに引っかかっていたにもかかわらず、これまでちゃんとまとめて調べたり考えたりする機会がなかったテーマがある。フロイトとイタリアの関係である。この精神分析の生みの親が大のイタリア通だったことは比較的よく知られている。鉄道恐怖症や経済的事情など、さまざまな困難を克服しながら、生涯で20数回も長靴の半島に足を踏み入れているのである。
とはいえ、話はそれほど単純でもない。というのも、フロイトのなかで長らく、イタリアへの憧れと恐れ、欲望と禁止がせめぎあっていて、やっと決心がついたのは1895年の夏のこと、つまりすでに40歳を迎えようとする頃だったからである。それからというもの、第一次世界大戦が勃発するまでほぼ毎夏、まるでこの「自然と芸術が一体化した」国を知的に征服しようとでもするかのように、徐々に半島を南下していくことになるのだが、それでも永遠の都ローマ――ROMAはAMOR(アモル、愛)の町でもある――へのためらいはなかなか払拭することができないでいた。『夢判断』のなかで著者自身が「一連のローマの夢」として自己分析を試みているのが、ほかでもなくその心理的葛藤である。
さらにおもしろいのは、『ヒステリー研究』のフロイトから『夢判断』のフロイトへと変貌を遂げる1890年代の後半に、つまり精神分析がまさに誕生せんとしていたその時期に、いくつかの象徴的な出来事が重なっていることである。なかでもイタリア旅行の開始はおそらくもっとも重大な意味を持つもので、これにフリースとの文通、父親の死、古物コレクションの開始などが加わる。こうした連鎖はただの偶然の一致、運命のいたずらに過ぎないのだろうか。フリースへの手紙には、何度もイタリアへの思いが吐露され、「まずイタリアが必要です」という聞き捨てならないせりふまで飛び出す始末。
というわけで、ここのところわたしの日課は、イタリアとの関連が深いフロイトのテクスト、旅行先から家族に送られた手紙や絵葉書、さらにフリースはもちろんフェレンツィやアブラハムらと交わされた多くの書簡などとの格闘が中心になっている。これまで単に、数あるトピックのひとつとしてしか語られてこなかったフロイトのイタリア旅行は、実は、その思想の形成と展開にとって、想像以上に重要な意味を持つのではないか。同様に、古代のさまざまな神々の小彫像からなるその膨大なコレクション――多神教的で偶像崇拝的という点でユダヤのタブーが二重に侵犯されている――や、初期から晩年のテクストまでを貫いて頻出するお好みの考古学的メタファー――微妙にニュアンスが変化していく――も、精神分析という言説にとって、単なるエピソードに終始するどころか、むしろその根源と本質にかかわるテーマなのではないか。そんな予感を抱きながら。
2007年9月
岡田 温司(京都大学)