翻訳
風景の哲学 芸術・環境・共同体
水声社
2020年2月
複数名による共(編/訳)著の場合、会員の方のお名前にアイコン()を表示しています。人数が多い場合には会員の方のお名前のみ記し、「(ほか)」と示します。ご了承ください。
副題が示す通り、おおよそ三つのテーマを論じたこの風景論は全部で9つの章から構成される。そのうち、第8章「風景と国家の現代」はもっとも短いが、現代の風景に対する著者の考えが端的に記されている。それは、2008年版の「文化財および風景法規」第131条で表明された、風景をイタリアという国の「ナショナル・アイデンティティの表出」とする法的・理論的姿勢への厳しい批判である。「美しき土地」、「大陸の庭」、「この上なく美しい地」と賛辞を送られてきたイタリアの領土——それを、あたかも「国家の偉業」のごとく持ち上げる考えは、時代遅れであるばかりか逆行的でさえある。理論的に考えれば、上述の法規がこうした時代錯誤に陥るのは、風景をあくまで「表現=表出」とみなすからであろう。対して著者ダンジェロは、風景を「そこに生まれた者や住まう者だけではなく、それ以外の何者かによって経験され、生きられた歴史と文化」の「担い手」であると解する。風景のほうが、わたしたちに働きかけてくる。風景のこの行為遂行性をわきまえる者の眼にだけ、現代の風景の姿が開けてくるだろう。
(鯖江秀樹)