カドミウム・イエローの窓 あるいは絵画の下層(叢書言語の政治)
バルザック『知られざる傑作』のなか、一枚のタブローをまえに、フレンホーフェルは「一人の女」を見て、ポルビュスとプッサンは「絵具の壁」しか見ない。これは晩年のウィトゲンシュタインをとらえたアスペクトの謎と別のものではない。本書『カドミウム・イエローの窓』(原著1984)でダミッシュは、モンドリアンからポロックをへてルーアンまでの現代絵画における抽象をめぐって、その同じ謎に踏み込んでいく。
タブローが絵画に見えるとは──「絵具の壁」が「一人の女」になるとは──いったいいかなる事態なのか。このアスペクトの転換の生じる場(ダミッシュが「アンフォルム」と名指すもの)そのものを捉えようというファンタスムが、現代絵画における抽象の動向を駆動したのであった。そうして、描かれたものが何かに見えるという具象性が、すべて剝ぎ取られるにいたる。しかしダミッシュによれば、そこにはなおもタブローを絵画にする「主題」が出現する。「絵具の壁」の下層に「女がいる」と言わしめるものが出現する。それどころか、抽象こそがかえって絵画の「主題」──絵画の「主体」にほかならないものとして──いっそう前景化しさえする。「絵画の主体」という本書にあらわれた問題機制は、爾後の著書『パリスの審判』(1992)、『ピエロ・デッラ・フランチェスカによる幼年時代の思い出』(1997)、そして未完の『オルヴィエート・マシーン』までを貫く、ダミッシュの「精神分析的イコノロジー」の端緒となった。
(岡本源太)