つれづれ草(批評の小径)
自動筆記を思わせる幻想的な詩篇から、歴史フィクションや、記憶の曖昧さを頼りにした散文詩を経て、モンテーニュやジュベールやレオパルディを範とするシンプルな断章形式に辿りついたジェラール・マセの『つれづれ草』シリーズ(原題は『パンセ・サンプル(シンプルな思索)』)。全3巻中2巻の邦訳が同時刊行された。そこでは人間、動物、世界、読書についての自由な思索が溶溶と流れてゆく。
断章形式の現代文学には、断章間の切断にアクセントが置かれているものと、繋がりの妙にアクセントが置かれるものとがあり、例えば、パスカル・キニャールの『最後の王国』シリーズは前者に、ジェラール・マセの『つれづれ草』は後者に属しているといえるだろう。一つの主題に対して繰り返しさまざまな角度からアタックを仕掛け、主題を深く深く掘り下げていこうとするキニャールに対して、マセのエクリチュールはブリコラージュさながら、目にしたもの、経験したもの、読んだものを鷹揚にとりあげては繋げてゆく。材料は「思い出と引用」。そこには「一握りの雪や、藁くずと灰、羽毛と糊」も混ざっている。旅――言うまでもないけれど、読書もまた旅のひとつだ――で得た膨大な知識や経験を重苦しく積み上げるかわりに、「一握りの雪や、藁くずと灰、羽毛と糊」を挿入することで、『つれづれ草』のエクリチュールは「思索」のごとく流れてゆく。