アメリカ哲学史 一七二〇年から二〇〇〇年まで
本書は、Bruce Kuklick, A History of Philosophy in America, 1720–2000(2001)の翻訳である。日本語で読めるアメリカ哲学の通史としてはこれまで、H・G・タウンセンド『アメリカ哲学史』(市井三郎訳、岩波現代叢書、1951年)やモートン・ホワイト『アメリカの科学と情念──アメリカ哲学思想史』(村井実ほか訳、学文社、1982年)などがあった。ジョン・E・スミス『アメリカ哲学の精神』(松延慶二+野田修訳、玉川大学出版部、1980年)は通史ではないけれども、(「プラグマティズム」ではなく)「アメリカ哲学」というカテゴリーの探究へ日本語読者をいざなう本として特筆に値するだろう。しかしこれらの本はいまや古書でしか流通しておらず、アメリカ哲学の歴史を見とおすことの(日本語読者にとっての)難易度はながらく高止まりしていた。したがって、本訳書刊行の意義は、『アメリカ哲学史──一七二〇年から二〇〇〇年まで』というシンプルなタイトルがすでに十分伝えているはずだと、訳者のひとりである筆者は信じている。
本書に登場する主要人物を、訳者たちは巻末42–44頁の「主要人物表」においてリスト化した。生年順に並べられたこの表の筆頭は、1703年から58年まで北米植民地で生きたプロテスタントの牧師、ジョナサン・エドワーズである。アメリカ哲学の起点にエドワーズを据えるというのは、実のところきわめてオーソドックスな哲学史観であり、もちろんこれを批判することもできよう。しかし日本においては、残念ながら、この哲学史観がオーソドックスであることもあまり知られておらず、まるでアメリカ哲学史がプラグマティズムの誕生とともに始まったかのような言説もときおり見受けられる。ゆえに、(筆者が本書に寄せた「訳者解説」でも述べたとおり)本書のなかでもとりわけ稀少価値が高い第1部「アメリカにおける思弁的思想 一七二〇―一八六八」は、ぜひとも日本で広く読まれてほしいと思う。いっけん共通点などほとんどなさそうな1720年のアメリカ哲学と2000年のアメリカ哲学とを歴史記述によって繋ぐという偉業を、著者ククリックはおそらく、エドワーズの現代的重要性を確信していたからこそ完遂しえたのだろう。そして、筆者の見るところ、この重要性は2020年現在もまったく失われていない。
(入江哲朗)