ジャック・デリダ 死後の生を与える
本書は端的に言えば、デリダ思想に「死後の生を与える」もの、彼の思索を彼の死後にも「生き延び」させるものである。ではなぜ生か。どのような意味での生か。
まず本書が提示する生は、デリダという思想家の伝記的な生に限られない。それゆえ、彼の伝記的生のみに着眼したとき陥りがちな安易な解釈は退けられる(動物愛好家の理論的退行に見えるものは、人間をも貫く動物的生を明かすための戦略であり、アガンベンとの個人的確執に見えるものは、デリダ的友愛論による応答である)。
また本書が提示する生の議論は、生哲学の拓いた領域内に限られないのみならず、デリダが生を主題化した議論にも限られない。それゆえ本書の議論は、生の主題と近しい動物や犠牲をめぐる議論にのみでなく、翻訳論や言語論にも、ひいてはデリダが未だ十分に展開していなかった労働論にさえ、現代の生を再考する契機を積極的に見出すのである。
こうして、デリダの伝記的生にも、彼によって主題化された生にも限定されない本書の議論は、デリダ〈について〉論じるだけでなく、デリダ〈とともに〉思考する。彼〈とともに〉ある以上その思考は、彼の死後になされるという時系列的順序を要件としない。彼の事実上の生死にかかわらず、仮に今も存命中だろうと権利上、彼の生きる生・論じる生が、すでにその誕生から死にとり憑かれ、彼の思索が痕跡として他者たちに読まれ、また書き直され続けるということ──デリダとともに思考する本書は、このことを提示し、また実践する。それゆえ本書は、デリダ思想に「死後の生を与える」ものなのである。
(島田貴史)