矢印アートは何を目指すのか?
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絵画や彫刻作品には矢印アートと名付けていいような作品がある。例えばパウル・クレー、カンディンスキー、ジョアン・ミロの抽象絵画にはしばしば様々な形状や色彩を持った矢印が登場する(図1)。また荒川修作の図式絵画にも、縦横に矢印が描かれている。さらに、グラフィックデザインの領域へ目を向ければ、古くはロシア構成主義によるポスター*1や、現代のビジネスプレゼンテーションに使用されるクリップアートやストックイメージ(図2)にも頻繁に矢印記号が現れる。あるいはパブリックアートの例としては、渋谷区がスポンサーとなっている「渋谷アロープロジェクト」がある。災害時の避難場所を示すサインとしての矢印を、「シブヤらしくクリエイティブに」デザインすることによって、「矢印・サインをアート化し、来街者の方々の意識に残るようにする」*2ことを目的として渋谷駅周辺に屋外展示している(図3)。
*1 河村彩『ロシア構成主義―生活と造形の組織学』(共和国、2019年、199〜265頁)に見られる図版を参照。
*2 渋谷アロープロジェクトhttp://shibuya-arrow.jp[2019年8月18日閲覧]
矢印記号とは、「指し示しの記号」あるいは「運動の表象」と考えることができるが、絵画はこれら2つの機能を実現するための高度な技法を発達させてきた。運動を表現するための身体描写や空間構成、注視点を誘導するための構図上の工夫などが、そうした技法の例であろう*3。しかし考えてみれば、芸術家が作品の中に矢印を描くということは、相当不思議な行為ではないか?「矢印は運動記号もしくは指示記号であり、本来絵画とは運動性や指示性としてそれらを間接的に表現することであったのに、技士の用いたローテクの味もそっけもない記号で代置してしまった」*4と磯崎新が指摘しているように、アーティストは矢印をキャンバスに描きこむことによって、様々に洗練された技法のこうした蓄積を無効にしてしまっているのではないだろうか?なぜ芸術家は作品内に矢印を描きこむのか?
*3 絵画における運動の表象については、以下を参照。E. H. Gombrich, “Moment and Movement in Art,” Journal of the Warburg and Courtauld Institutes, vol. 27, 1964, 293-306。J. E. Cutting, “Representing Motion in a Static Image: Constraints and Parallels in Art, Science, and Popular Culture,” Perception, vol. 31, 2002, 1165-1193.
*4 磯崎新「矢印作家アラカワは何故ニューヨークでと不遇なのか」『現代思想』、1996年8月、391頁。本文献を教示していただいた小田原のどか氏に謝意を表する。
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作品の中で矢印記号を大量に描きこんだ画家としてはパウル・クレーが代表的であり(図4)、彼が描いた矢印についてはまとまった量の先行研究が存在する。矢印が描きこまれたクレーの絵画作品は373点以上にのぼる*5。また、その多くが1918年から33年の間、つまりクレーがバウハウスやデュッセルドルフで教えていた時期と概ね重なることが指摘されている*6。
*5 田中暁「パウル・クレーの矢印」『エクフラシス:ヨーロッパ文化研究』第6号、2016年、129頁。
*6 Mark Rosenthal, “Paul Klee and the Arrow,” unpublished Ph. D. dissertation, University of Iowa, 1979, 73.
先行研究によれば、クレーの矢印に「造形的・力学的側面」と「精神的・象徴的側面」があり、前者は「力の方向を指し示す」機能と関連し、後者は「何らかの精神性・象徴性」を担う機能であるとされる。例えば上向きの矢印は「精神的自由を希求する人間、さらに言えば芸術家のロマン主義的憧憬とそれに向かう努力の象徴」ということになる*7。
*7 池田祐子「揺れ動く指標―クレー芸術における“矢印”の問題をめぐって」『美學』第169巻、1992年、46〜48頁。
ちなみに、お前たち矢よ!天かけるがよい。お前たちがあまり早く疲れてしまわないように、自分を形づくれ。お前たちは命中し、目標に到達するように。よしんばお前たちが疲れてしまって、致命傷が与えられないようなことになろうとも!*8
*8 パウル・クレー『造形思考(下)』土方定一・菊盛英夫・坂崎乙郎訳、筑摩書房、157頁。
こうしてクレーは矢印を運命と戦う人間存在そのものに擬える。クレーの矢印記号は人間が外部環境や運命に抗いながら、より遠くを目指す力やエネルギーを表象する役割を担っている。
ではクレーはなぜ矢印を力とエネルギーの表象として採用したのだろうか?ある論考は、クレーが制作していた時代背景として、「機能的矢印が社会の中で一般的に用いられるようになっていく」ことを指摘し、これらの矢印を絵画の中に転用したのだと主張している*9。また、クレーの矢印は建物の塔の形象に起源があるとする主張もある*10。
*9 田中前掲書、136頁。
*10 Rosenthal, op. cit., 17-23.
いずれにしても、矢印という図像でなければ表出し得ない何かがあったに違いない。ここでは、クレーの有名なフレーズ「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、見えるようにすることにある」*11が手掛かりとなるだろう。クレーは、芸術教育の目的に関して、数学や自然科学と同じように、事物の背後にある法則性を認識することが重要なのだと主張していた。
*11 パウル・クレー『造形思考(上)』土方定一・菊盛英夫・坂崎乙郎訳、筑摩書房、162頁。
代数、幾何、力学の問題が、印象的なものに対し、本質的なものへ、機能的なものへと向かわせる教育の契機となっている。人々は事物の表面の背後にあるものを見ることを学び、事物の根本を捉えることを学び、その下を流れているものを認識することを学び、可視的なものの前史を学ぶ。深く掘り下げることを学び、実態をあらわにすることを学ぶ。分析すること、検証することを学ぶ。*12
*12 同、150頁。
古典力学のダイヤグラムでは、矢印は力のベクトル表現(向きと長さによる空間座標)として使用される。バウハウスでのクレーの講義では、絵画における運動や力の表現に関して、矢印によるベクトル表現を用いたダイヤグラムが使われた。例えば、クレーの講義ノートの随所に、古典力学におけるベクトル合成や、位置の変量のベクトル表現のようなダイヤグラムが現れている(図5)。
クレーの絵画は、こうした科学的なダイヤグラム要素(矢印)が組み込まれることによって、目では直接みることができないような法則性の存在を我々に印象付ける。つまりそれは、現実に矢形の物体が視覚的に認識されたことを示しているのではなくて、目に見えないプロセス、あるいはそのプロセスを作動させている法則の存在を示している。
クレーが矢印を最も多く描いた時期が、彼自身が芸術教育に従事していた時期と重なることを思い起こすなら、矢印を描くことによって、事物の背後にある法則性を見えるようにすることの実践を、彼の生徒や観衆に示そうとしていたのであろうことは想像できる。つまり、クレーにとって矢印は力とエネルギーの表象であったが、同時にそうした力とエネルギーの作動プロセスには一定の法則性や秩序が存在することを示すものでもあった。矢印という図像によって、クレーは、自らの抽象画の中に科学的な法則性の印象(あるいは目的論的な秩序の存在の印象)を生み出そうとしたのではないだろうか。
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「アーティストにとって矢印は非形象主義の記号性を代表していたので、今世紀の中期には誰もが使いはじめてもいた。ネオダダでもパフォーマンスの際に矢印のボディペインティングをやったりした」*13という磯崎新の証言があるように、現代アート作品における矢印の使用はもはや珍しいものではなくなってしまった。そもそも、二十世紀後半になると矢印記号は我々の日常生活の至る所に観察される現象になった。矢印記号は数だけでなく、形状においても多様なものが大量に設置されている。案内標識(サインシステム)の矢印が正確に機能するために、国際規格(それらは客観的な心理実験の結果に基づいて策定された技術的なガイドラインである)が作成されるほどになっている*14。現代のアーティストにとって、矢印はもはや、世界の背後にある不可視の法則を表す記号ではなく、現実に形や色を持った〈モノ〉として、日常生活を取り巻く視覚環境の一部を構成している要素なのである。
*13 磯崎前掲書、391頁。
*14 International Standard Organization, ISO 7001:2007 (E) Graphical Symbols (Public Information Symbols)。太田幸夫『ピクトグラムデザイン』柏書房、1987年、121〜123頁。
同時に、これらの現代の矢印記号は、スピードやモビリティを称揚するグローバリゼーションと新自由主義の理想に、人々を駆り立てる装置ともなっている。例えば、ジリアン・フラーは、空港に設置された矢印サインのうちに、現代の、あるいは未来の都市生活における管理と制御のシステムを認めている(図6)。
未来はハイコントラストの背景にフルティガー・フォントで書かれている。そのシンタックスは断片的で、その発話内行為(illocutions)は圧倒的な行為拘束型(exercitive)であって、そこには至る所に矢印とピクトグラムが置かれている。この原都市(proto-city)は、情報であると同時に建築であり、記号であると同時に行為であり、案内であると同時に指示でもある。矢印は、データ/人々/機械/取引/教育訓練などの複数の領域を横断するようなトラフィックへと、運動を変調させる。それは、管理社会の道具であると同時に修辞でもあるのだ。*15
*15 Gillian Fuller, “The Arrow—Directional Semiotics: Wayfinding in Transit,” Social Semiotics, vol. 12 no. 3, 2002, 242。
確かにクレー自身も矢印が抑圧的な力の象徴として描かれうることは理解していた。実際、クレーは矢印に関する講義を、古代の武器としての矢の議論から始めているのであり、いくつかの作品において強大な力が人間を襲うイメージを矢印で表現している(図7)*16。しかし今日、矢印記号が抑圧的であるのは、(クレーの絵にあるように)矢印が個人の外部からの暴力を表現するからではない。現代生活に遍在する矢印においてはむしろ、自発的なエネルギーの発露がそのままシステムへの隷従となるようなパフォーマティヴィティを、矢印記号が発動させてしまうからなのだ。
*16 池田前掲書、49頁。Rosenthal, op. cit., 152-153。
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クレーの時代から大きく変容した矢印環境のなかで、現代の矢印アートは何を目指しているのだろうか?
よシまるシン(1972〜)は、身の回りによく見る図解やダイヤグラムのパロディーを提示してみせる(図8)。マスメディアで取り上げられる芸能ネタやサブカルチャー周辺のキーワードを矢印で接続し、曼荼羅のように複雑で巨大なダイヤグラムを制作している。加えて、この曼荼羅的ダイヤグラムの前に作家自身が立ち、ライブで解説をするというパフォーマンスをする。これはほとんどマネジメントセミナーなどでビジネスモデルのプレゼンを行なっているようなものだ。ここでのアイロニーは、まったく重要でないことがらを、華麗な色彩で巨大なダイヤグラム絵画として提示するような、そうした図解の精神に向けられていると言えるだろう。一見すると科学的な法則性の印象を与えるダイヤグラムというイメージ形式の中に、大袈裟な権威的身振りが潜んでいることを揶揄してみせるのである。
小田原のどか(1985〜)の試みは、長崎の爆心地に戦後24ヶ月間だけ建てられていたという高さ5メートルの矢形の標柱にヒントを得た、床面に突き刺さったような下向き矢印の立体作品である(図9)。一見するとこの作品も、クレーの《見舞われた場所》と同様に、戦争の暴力性の表象のように感じられるかもしれない。しかし、小田原は原爆の犠牲となった人々と街に対する慰霊のモニュメントをめぐる論争を綿密に調査したうえで、純粋に「ここ」を指し示す標識として、この矢印を制作している。小田原は、風向計などの測量で使われる矢印は「中立的な記号であり、武器を象徴するものではない」と指摘し、「矢形の標柱には、暴力の主体、その不在を示唆する抵抗の意志を感じ取ることができる。しかし同時に、速度や位置を測る即物的な記号としての矢印を読み取ることもできるのではないだろうか。」*17と主張する。
*17 小田原のどか「長崎・爆心地の矢印―矢形標柱はなにを示したか」日本記号学会編『「美少女」の記号論―アンリアルな存在のリアリティ(叢書セミオトポス12)』新曜社、2017年、211頁。
実際に近づいて作品を見るとき、矢印記号は細いネオン管で制作された枠だけで構成されており、さらに床面に突き刺さっているように見えた矢印は、実際には天井から細いワイヤで吊り下げられていることに気づくだろう。大きく太い矢印に見えたものは、細いネオン管の枠をワイヤで宙吊りにしたものに過ぎないわけである。こうした脆弱性や不安定性を持たせることにより、矢印は抑圧的な力の象徴としての契機を持ち得なくなる。
小田原の作品で興味深いのは、この作品そのものは原爆投下という歴史的事実を記録し指し示す記号(インデックス記号)ではなく、かつて長崎にそれを記録するモニュメント(矢羽型標柱)が存在したという事実の類像記号(アイコン記号)であるという点である。つまりこの作品は、過去を指し示し記録するという身振りそのものを主題としている*18。
*18 指し示しの身振りそのものについての問いを発する作品であるから、この作品は原爆にまつわる場所に展示される必要はない。実際、東京のギャラリー(アーツ千代田、2005年)、閉校になった京都の小学校(『still moving』展、2015年)、名古屋の雑居ビル(あいちトリエンナーレ2016)、愛知県豊田市の鉄道駅(あいちトリエンナーレ2019)など、様々な場所に展示されてきた。
このことは、この作品における矢印の形状の特異性からも指摘できる。すなわち、その矢先はまるで地中に埋まっているように見えるために、その先端部が可視化されていない。つまりこの作品は矢印とは言っても肝心のアローヘッドが無く、矢羽と矢軸が見えるのみなのだ。案内標識の国際規格によれば、矢印の指し示し機能にとって重要なのは矢の先端(またはその延長)が明確に対象物と接して可視化されていることである*19。然るに、小田原の作品の矢形記号が何を指し示しているのかを、矢印の形式から厳密に確定することはできない。こうして、この矢印の巨大さも手伝って(作品は人の背丈ほどの高さがある)、作品を観る者の注意は、指し示す先の対象物よりも、指し示しという行為それ自体の意味へ差し向けられることになる。「あたかも不在の中心をめぐるように。結論は絶えず先送りされる。同一化や還元を避けるがゆえに」*20と評されたように、小田原の矢印は、思考の対象を指示・特定するのではなく、思考の場をひらくことを試みていると言えるかもしれない。
*19 Transportation Research Board (National Research Council), TCRP Report 12: Guidelines for Transit Facility Signing and Graphics, 1996, 38.
*20 金井直「代わりとしてのモニュメント、モニュメントの代わり」白川昌生、金井直、小田原のどか『彫刻の問題』トポフィル、2017年、91〜92頁。
よシまるシンや小田原のどかの作品が矢印というモチーフにおいて問うのは、「何かを指し示す」というのはどういうことか、という問いである。その問いは、矢印による指し示しが孕んでいる権威的あるいは暴力的な契機に対する警戒感を伴っている。そして問いの答えは、中立性・客観性へのナイーヴな依拠によるのでなく、抑圧的あるいは暴力的な力の表象としての矢印の記号作用と対峙し、時にはその裏をかくような狡猾さによって探求されるべきものでもあるだろう。