パネル9 音の境界
城一裕(九州大学)
パネル概要
前衛以後の現代芸術史を再検討しようとする近年の研究には、これまでマージナルなものとされてきた実践に光をあて、そうした実践が芸術における境界を問い直そうとしてきたことに対する関心を共有するものが少なくない──そうした境界の問題は音をめぐる議論においては特に頻出する。音はしばしば、人文学的知のシステムの境界に位置づけられたが、近年の学際的研究によってその見直しや音における境界を問う議論が進められてきている。こうした動向は当然、同時代の社会におけるさまざまな境界の再検討もしくは強化とも連動しているだろう。本パネルが扱うのは、境界を越えて普遍を目指した前衛運動の後に、またポストモダニズムにおけるフラットな多様性とは別のかたちで、境界の問題に取り組んできた作家たちの音をめぐる議論である。
金子智太郎は日本の美術家堀浩哉が1970年代に発表したメディアを用いた作品を、演劇との関わりをふまえて考察する。高橋智子はアメリカの作曲家ジュリアス・イーストマンの音楽語法をミニマル音楽の視点から検討する。中井悠はアメリカの音楽家デーヴィッド・チュードアの音楽における、ケージ的な「沈黙」と電子技術の特性の交差を分析する。とりあげられる作家たちはその知名度や現在の注目度に比べて、これまでふさわしい議論の枠組が構築されてこなかったために十分な考察がなされてこなかったと言えよう。こうした事情はこの作家たちが境界をめぐる問題と深く関わっていたことにも起因するはずだ。
堀浩哉によるメディアを用いた1970年代の初期作品──演劇との関わりから/金子智太郎(東京藝術大学)
1947年生まれの美術家、堀浩哉は1960年代末に多摩美術大学の学生運動に参加し、「美術家共闘会議」(通称美共闘)議長を務めた。美共闘解散後も彦坂尚嘉、山中信夫らとともに美術家集団「美共闘REVOLUTION委員会」を結成し、個人の制作と並行して展覧会の開催や機関誌の出版などを行った。こうした堀の初期の活動をめぐる議論はこれまで、美共闘として美術制度を批判する実践の考察と、1970年代末に本格化する絵画作品の考察が中心だった。それに対して、彼が1970年代半ばに取り組んだ、現在から見れば「パフォーマンス」と呼ぶこともできる、テープ・レコーダーやヴィデオを使用した作品についてはいまだ十分な議論がなされていない。これらの作品においては特に声の録音が重要な役割を果たしており、日本の戦後美術と音の関わりという文脈においても注目すべき実践である。
本発表はこのような堀の1970年代の作品について、写真、録音、映像記録にもとづいて詳細を明らかにし、また当時の彼の言説にもとづいて解釈を試みる。堀はこの時期、美共闘として制度批判に取りくみながら、色彩や直線といった基本的造形要素を再検討する作品を制作し、また先に述べたメディアを用いた作品を発表した。さらに堀は68年に自ら主宰する劇団をつくって演劇活動を始め、70年代には劇団「演劇団」の座付作家として脚本を執筆していた。パフォーマンスのかたちをとる彼の作品には演劇の要素も多分に認められる。そこで、本発表は堀の1970年代のメディアを用いた初期作品を主に彼の演劇における活動との関わりから考察したい。
オルタナティヴ・ミニマリズム──ジュリアス・イーストマンの音楽語法/高橋智子
ジュリアス・イーストマンJulius Eastman(1940-90)はニューヨークとバッファローを拠点とした作曲家、歌手である。近年、彼は「知られざるミニマリスト作曲家」として再発見され、彼の楽曲が演奏会や録音で取りあげられる機会も増えている。学術的な文脈とジャーナリズムの文脈双方において、L. M. ヤング、T. ライリー、S. ライヒ、P. グラスの4人がミニマル音楽の第一世代と見なされてきた。1980年代以降、より明確に調性を打ち出したD. ラングの楽曲をはじめとして、4人の様式から派生した様々なタイプのミニマル音楽がポスト・ミニマル音楽と呼ばれるようになった。ポスト・ミニマル音楽も含めた、アカデミックな背景を持つ一連の作曲家たちによるミニマル音楽を主流(メインストリーム)とするならば、《Evil Nigger》(1979)などのタイトルが付されたイーストマンの音楽は、もうひとつの、つまりオルタナティヴなミニマル音楽の一形態と見なすことができるだろう。イーストマンが従来のミニマル音楽史記述から漏れてしまっていた理由として、彼がブラック・アメリカンのゲイ男性であることが考えられる。先行研究ではこの2つの事柄、つまり人種とセクシュアリティに焦点を当てた議論が数多くなされているが、イーストマンの音楽をアメリカ実験音楽およびミニマル音楽の文脈に位置付ける作業が十分に進んでいるとは言えない状況である。本発表は作曲家の出自と属性の問題に終始するのではなく、主に反復技法をとりあげて彼の音楽に見られるミニマル音楽の特性を考察、解明する。
ネガティヴ・ミュージック──デーヴィッド・チュードアにおける沈黙の仮想性/極性/中井悠(京都市立芸術大学)
1980年代にデーヴィッド・チュードアが手がけた音楽は、この謎多き音楽家のアウトプットのなかでもとりわけ謎めいていることで知られている。そこにはピアニスト期における作曲家たちとの連携という論じやすい文脈も、自作を発表しはじめた頃に作られたRainforestのような分かりやすい原理も、自作楽器をフィードバック状に組み合わせ半自動的に音を産出するToneburstのような強度に満ちた音響もない。代わりにあるのは、市販のエフェクターを用いて音源を変調するというありきたりの方法論と、そうして生み出された、つかみどころのない作品群である。とりわけ1984年にマース・カニングハムのダンス用に作られたFragmentsは、制作を手伝ったサウンド・エンジニアですらその実態をまったく思い出せないほど存在感のない作品であり、残された録音から聞こえてくるのもパルス音に基づく貧弱な音風景である。この発表ではまずチュードアのメモや音源、楽器の回路レベルでの分析からFragmentsの特異な作動原理を解析し、その貧しさが意図されたものであったことを明らかにする。その分析を起点に、この時期のチュードアがいわば公衆の面前で密かに取り組んでいた音楽を(a)ケージ的な「沈黙」の仮想性(virtuality)と電子回路における極性(polarity)の交差から生み出されたものとして読み解き、(b)それをチュードア経由で英語圏にもたらされた「ヴァーチャル・リアリティ」というアントナン・アルトーの概念と絡めた上で、(c)1990年にチュードアが再びカニングハムの(Polarityと題された)ダンス用に作ったVirtual Focusという音楽の作動方式を分析する。全体を通じて目指されるのは、これらの音楽にまとわり続ける「謎めいた」見かけ自体の解読である。