パネル6 Ut architectura poesis ──建築の文法と修辞学
日時:2019年7月7日(日)13:30-15:30
場所:総合人間学部棟(1B05)
・建築史の視覚的記述──その支持体と配置、そして解体/小澤京子(和洋女子大学)
・ダンテウム再読──話者のみえない『神曲』として/北川佳子(FLOT/S 建築設計事務所)
・皇帝の署名──バルセロナ・パヴィリオンの修辞学/後藤武(株式会社 後藤武建築設計事務所)
【コメンテーター】桑木野幸司(大阪大学)
【司会】戸田穣(金沢工業大学)
「Ut architectura poesis」── 詩は建築のようにと題された本パネルでは、19世紀前半のジャン=ニコラ=ルイ・デュランの書物と、20世紀前半のジュゼッペ・テラーニとルードヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエによる2つの建物を通じて、建築と修辞学、建築と文学との関係を再考する。
小澤京子「建築史の視覚的記述 その支持体と配置、そして解体」は、J.-N.セル=ダジャンクールの『記念物による美術史』(1823)とJ.-N.-L.デュラン『比較建築図集』(1799-1801)という2つの書物を比較し、両者における建築の図像の配列の差異に注目する。歴史上の数々の建物から指標となる建物を選びだし、それらを平面上のグリッドに配置するという点で両者は似ている。ともに建物およびその細部の形に注目し様式(style)あるいは類型(type)に基づいて、建物を配列している。けれども、両者がそれぞれの書物を編んだ動機、そのために取られた方法は大きく異る。
まずセル=ダジャンクールの『記念物による美術史』の特徴が2つ指摘される。ひとつはヴィンケルマンに影響を受けた、発明から衰退、衰退から革新、革新から現在までという時代区分による歴史記述。もうひとつは、このようなクロノロジカルに連続した歴史を書く上で、その欠損を埋めて、完全な歴史(une histoire complète)を形成しようとしたこと。ここで書物は美術館になぞらえられ、また図表の扱いには『百科全書』の影響が認められる。一方、デュランの『比較建築図集』おいては、対象となる建物をその文脈から切り離し、同一縮尺でひとつの図表(tableau)にまとめている。この図表の一覧性によって、建物が相互に比較可能となり、各用途に応じた建物の「類型」が明らかになる。一方でこの図表は設計のための基礎ともなる。図表の上で、建物はさらに部分(partie)、つまり互いに等価で交換可能な要素へと分解され、設計においてはそこから新たな配列(disposition)によって再構成される。小澤氏は図表のこのような特質を「無歴史的で均質な基底面」と呼び、新しい建築の図表現の可能性がデュランの『建築比較図集』によって開かれたのではないかと指摘している。
北川佳子「ダンテウム再読──話者のみえない『神曲』として」は、イタリアの建築家ジュゼッペ・テラーニがピエトロ・リンジェーリと1938年に計画した《ダンテウム》を主題とする。『神曲』ではその中心に話者であるダンテが存在するが、《ダンテウム》において話者は不在である。詩から建築への翻訳において生じるこの不在性は、これまで指摘はされながらも、その意味が考察されたことはなかった。
北川氏は、テラーニの方法として抽象的・幾何学的表現をあげ、『神曲』と《ダンテウム》の各空間の照応関係を辿っていく。また『神曲』のなかでの生者ダンテと亡者ウェルギリウスとの対比が、重さと影、実体の有無によって表現されていることを指摘する。報告は、テラーニの初期スケッチにみられる壁と柱の関係を注意深く分析しながら、テラーニの抽象化の方法を明らかにする。テラーニの初期スケッチでは、この計画は壁の建築として構想されていたが、最終的には柱の建築へと変更された。擬人化された柱が実体としてのダンテを表現し、あるいはガラスの列柱の透明性と上昇性が、天国篇の世界の無重力性を表現する。一方で、壁や天井といった面に穿たれた開口部から差し込む光に導線の行き先を指し示されて、来訪者はダンテの道行きを追体験することとなる。また柱と柱の間を経巡る《ダンテウム》の回遊性と反復性によって、来訪者がこの建築空間を身体化していくのだと論じる。
ルードヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、1929年のバルセロナ万国博覧会に際してドイツ館として《バルセロナ・パヴィリオン》(1929)を設計した。後藤武「皇帝の署名──バルセロナ・パヴィリオンの修辞学」は、この建物がヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの戯曲『ファウスト』の一幕を上演する空間として計画されたものだということを様々な状況証拠から推理していく。
状況証拠その1:ゲーテの自然学への関心。なかでもゲーテ形態学における「メタモルフォーゼ」の原型概念。その2:パヴィリオンが位置する広場グラン・プラザ・ラ・フエンタ・マジカとパヴィリオンとの配置上、構成要素上のアナロジー。その3:パヴィリオンに認められるイギリス風景式庭園の設計手法。その4:ゲーテ『ファイスト』第2幕第1部「回遊庭園:朝日」との照応関係。すなわちグラン・プラザの8本のイオニア柱とパヴィリオン内部の8本の十字柱。敷地入り口にある水盤に敷き詰められた玉砂利。パヴィリオン内部の緑色大理石の表面を走る波打つ蛇紋。ゲオルク・コルベの彫像《朝》。皇帝の纏う真紅のドレープ。左右対称につきあわされた縞瑪瑙の赤金色の壁。そして署名の間として設計されたこのパヴィリオンに置かれたバルセロナ・チェア。最後に、基壇と上部の流動する空間というミースのユニバーサル・スペースの二項対立構造が、『ファウスト』のもつドラマツルギーの構造 ── 地中に眠る地下資源とその仮象として地上に舞う紙幣 ── を再演する。これらの状況証拠から、従来フォーマリズムの観点から理解されてきたバルセロナ・パヴィリオンが、物質のメタモルフォーゼを生みだす修辞学的な空間であることが主張される。多種多様な物質のメタモルフォーゼは、媒質となって濃密な物語を語りだすのだ。
コメンテーターの桑木野幸司氏からは、まず西洋文化史における建築と修辞学の伝統についての簡潔なまとめが行われ、各報告についてのコメントが加えられた。建築と修辞学を比較をする際には2つのアプローチがある。ひとつはテクストを算出することを目的とする修辞学という知識体系と建築を構想するシステムとのあいだの広い意味でのアナロジー。ふたつめは、個別具体的な建築空間と文章表現の比較という狭い意味での修辞学に関わる事柄である。
古代から、単語の組み合わせからなる文章は、石やブロックといった部材から組み立てられる建築と類比的に論じられてきた。そこから逆に建築もまた修辞学のように何かを表現しうる、すなわち建築をひとつのテクストとして理解するという態度が生まれる。事実、アルベルティ以来、建築理論は修辞学の基礎の上に立ち、建築設計は弁論の作成に、また建築家は詩人や弁論家に喩えられてきた。構造体としてのテキスト。あるいは語る建築。
桑木野氏は、自身の専門に引き寄せつつ、近年関心を集めるエクフラシスの概念の重要性と、そこでの視覚芸術と言語という異なるメディア間での創意(インヴェンション)について、さらに建築的記憶術のような、西洋文化史における建築的思考について概説した。
以上のような前提をふまえて、小澤氏の報告で扱われたデュランの図集を、修辞学ではコモンプレイス・ブックに代表されるトポスの学問の伝統の中で捉え直した。同一のタイポロジーの併置・比較・差異の強調によってあらたな組み合わせ(disposition)をもたらすというデュランが図集で行った操作とは、トピカ的な組織化にほかならない。であるならば、デュランの書物が真の創造性を発揮するのは、異なるタイポロジーの各データ間での新たな関係性が示唆されるときではないか。また修辞学という実践的な技術とのあいだのアナロジーを考えるならば、デュランの書物がどのように使われたのか、またそのタイポロジーはどのような基準で選ばれたのかとの問いがあった。小澤氏からは、デュランの著した2つの書物『比較建築図集』と『建築講義要録』の差異を説明して、前者は未だ歴史書としての体裁を残したものであり、エコール・ポリテクニークでの教科書として編まれた後者において、芸術から工学へと移行する時代の書物が出現したと位置づけた。これらの書物が設計行為その他の実務においてどのように用いられたかの解明は今後の課題とした。
北川氏の報告には、まずダンテの『神曲』がイタリア人にとっては馴染み深くそのさわりは諳んじることもできるテクストであることに今一度注意が促された。だとするならば、ダンテウムの空間は『神曲』という作品の具体的な表現であるよりは、各個人の内面にある『神曲』のイメージを投影する抽象的な空間であるべきだったろうと指摘する。『神曲』は、現世へ帰還したダンテがその記憶を記述したという体裁をとっており記憶術の観点からも興味深い対象である。そう考えると《ダンテウム》は『神曲』の世界の空間化なのではなく、ダンテの精神の構造を建築化したものではないか。つまり、北川氏が最初に提起した《ダンテウム》におけるダンテの不在性は、むしろダンテの遍在性として考えるべきではないかと問いかけた。北川氏は、ダンテの不在性よりも、遍在性を主張する立場には同意を与えつつも、《ダンテウム》という建築空間が与える『神曲』を巡る心理的効果については今後の課題とした。
最後に後藤氏の報告には、従来抽象的・普遍的と考えられていたミースの建築が、きわめて現象的、感覚的な空間として捉えらていること、そして庭園の世界と関連づけて理解する点に大きな関心を示した。時間とともに変化していく自然の素材をもってする庭園という芸術を、石と鉄で翻訳するという視点である。具体的には庭のグロッタとの対比に注意を促した。後藤氏の報告においては風景式庭園と比較されていたが、そもそもグロッタはイタリアの庭園におけるメタモルフォーゼの建築化であり、ミースの空間はむじろ幾何学式庭園とのアナロジーが有効なのではないかと提起した。また建築のモダニズムにおける、文学作品の翻案の事例は他にもあるのだろうか。これに対して後藤氏からは、グロッタについては自身も注目しており、イギリス風景式庭園のグロッタとバルセロナとの類似性を考えていたが、イタリアの幾何学式庭園については想定外で今後の課題としたいと応答があった。また文学作品の翻案としては、きわめて稀な例としてイワン・レオニドフが翻案したカンパネッラ『太陽の都』をあげた。ミースの自然学への関心とレオニドフの比較解剖学への関心には通底するところがあり、検討してみたいテーマだとした。
会場からは田中純氏から後藤氏の報告にコメントがあった。現在のバルセロナ・パヴィリオンは1986年の復元で、石材の左右対称構造がかなり強調されており、創建当時の状況とは異なることがまず指摘された。そして、今回後藤氏が指摘した地上と地下というミースの建築の構造については、岡崎乾二郎氏が、ベルリンの新ナショナルギャラリーの地下構造について、ゲーテの花崗岩のメタモルフォーゼとのアナロジーを論じている。地上において様々なメタモルフォーゼを可能とするようにみえるミースの建築空間が、かえって地下に眠るみえないものへの想像力を喚起する。後藤氏の報告にあった地上における様々なメタモルフォーゼの解釈には賛否があるだろうが、そうしたメタモルフォーゼの解釈を誘発してきたミースの建築の構造をこそ問うべきではないだろうかと問題提起がなされた。
本パネルでは、建築と修辞学の関係を巡って、19世紀前半と20世紀前半を対象に3題の報告があった。小澤氏からは、古典的な修辞学の伝統の上にあった建築を巡る言説が近代的な建築学へと準備されていく重要な転換点として、ジャン=ニコラ=ルイ・デュランの仕事が提示された。そして北川氏と後藤氏からは、『神曲』と『ファウスト』という文学作品の翻案としてテラーニとミースの建築が提示された。一般にモダニズムの建築は叙述的な力をもたないと考えられる。本パネルでは《ダンテウム》と《バルセロナ・パヴィリオン》が、建築と叙述の関係 ── さらに建築と記憶、あるいは記念の問題 ── を考える上で重要な例として示された。建築において何が可能か、その可能性を最大限広く、そして深く再考していかなくてはならない。
戸田穣(金沢工業大学)
パネル概要
物質の構築術としての建築は、記憶術が刻印されるメディウムとして、記憶が作動する劇場としてとらえられてもきた。18世紀フランスの建築家クロード=ニコラ・ルドゥーは建築を語るものとしてとらえ、幾何学形態をアルファベット文字に準えて体系化し、語る建築を生み出そうとした。18世紀以降西欧では、言語芸術との類比の中から建築の文法体系化と建築の修辞学が構築されていった。
このパネルは、建築の文法体系化と修辞学的実践の系譜を辿り直すことを通して、語る建築の可能性の中心を摘出しようとする。小澤京子は、ジャン=ニコラ=ルイ・デュランが取り組んだ建築の文法体系化に新たな解釈の光を当てる。デュランは、建築のコンテクストを剥奪して大胆な図的表現へと抽象化することを通して、建築の制作学としての文法を生成させようとした。建築の修辞学的実践は、文学テキストの建築化という局面において最も充実した成果を生み出した。北川佳子は、イタリア合理主義の建築家ジュゼッペ・テラーニによる未完の「ダンテウム」計画の修辞学を明らかにする。後藤武は、ミース・ファン・デル・ローエによるバルセロナ・パヴィリオンの建築の中に、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテによる戯曲『ファウスト』の表象を見出す。
物質としての建築が言語に準えられた時、そこにはどのような事態が生起していたのか。この建築の詩学/制作学の問題を探ることが、このパネルの目的である。
建築史の視覚的記述──その支持体と配置、そして解体/小澤京子(和洋女子大学)
西洋においてはとりわけ18世紀後半以降、建築の歴史を整理し体系化するために、様式史と類型学の二つが盛んとなった。様式(style)も類型(type)も、ともに建築物の外観が備える形式に着目し分類や系統化を行うための概念であるが、前者は変遷を通時的に捉える際に、後者は共時的な比較と分類を行う際にもっぱら用いられてきたと言えるだろう。同時に、この時代には建築書のみならず、事典類においても美術史においても、図版の果たす機能が重要視されるようになっていた。
本発表では、図(視覚的なイメージやダイアグラム)によっていかに建築物の歴史の記述や、分類と体系化がなされるのかに焦点を当て分析を行う。具体的には、平面上へのグリッド状の配置という点で共通する二つの例、J.-B.セルー=ダジャンクール(1730-1814年)の『記念物による美術史』(全6巻、1823年刊行)と、J.-N.-L. デュラン(1760-1834年)による建築書『比較建築図集』(全2巻、1799-1801年刊行)および『建築講義要録』(全2巻、初版1802-1805年刊行)を比較する。セルー=ダジャンクールが図版において「完全な歴史」と「巨大な美術館」を目指したのに対して、デュランの配置は、建築物を最小単位である「部分」へと分解し、その組替え可能性を設計技法へと結びつけるものであり、建築をいわば「無歴史化」している。この二者の図的表現の背景と前提条件を対比的に明らかにすることによって、デュランの図的表現の「無歴史性」と分類学のロゴスを浮かび上がらせるのが、本発表の目的である。
ダンテウム再読──話者のみえない『神曲』として/北川佳子(FLOT/S 建築設計事務所)
1938年にジュゼッペ・テラーニとピエトロ・リンジェーリが計画したダンテウムは、ダンテ『神曲』を構成的、幾何学的に翻案した建築といわれている。未完に終わったこの建築に関しては一次史料や再現の模型、透視図等のイメージが纏う不在性、つまり人が介在しえない場であることが指摘されている。本発表の目的は、ダンテウムのこの不在性の内容を探ることであり、詩との決定的な違いである話者/ダンテの不在に着目する。『神曲』では、訪問者/話者のダンテが現世で体験し見聞きしたことが鮮やかに描写され、また魂の世界で彼は重さや影、実体があることが強調され、読者に臨場感を与えている。ところでダンテウムでは初期スケッチでウェルギリウスが巨大柱に、報告書で猟犬が一枚岩にみたてられる。したがってテラーニは、訪問者が『神曲』のリアルな描写を建築で体験するように、具象的に表現されたダンテを含む人物、情景の物質性を区別なく記号に還元し、抽象的な視覚表現に変換したといえるだろう。森を暗示する円柱群、床と天井の重力や螺旋運動、行先を誘導する壁、浮遊感を与えるガラス円柱の間を巡り、建築に潜む話者/ダンテは訪問者の身体に浸透し、新しい建築言語とともに彼の理想の帝国へ導く。本発表は、テラーニが話者/ダンテ非顕在の場で彼の世界観を訪問者に伝えるために行なった、『神曲』に描かれた物質性の抽象化、建築への変換とその表現-修辞を示していく。
皇帝の署名──バルセロナ・パヴィリオンの修辞学/後藤武(株式会社 後藤武建築設計事務所)
1929年のバルセロナ万国博覧会ドイツ館としてミース・ファン・デル・ローエによって設計されたバルセロナ・パヴィリオン。近代建築史上最も謎を身に纏うその建物の設計意図の核心に迫ることを、本発表は目的とする。バルセロナ・パヴィリオンには、イギリス風景式庭園の設計手法が適用されている。物語の表象空間だった西洋庭園が参照されているならばそれは、何らかの物語の表象空間だったのではないか。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテによる戯曲『ファウスト』第二部第一幕「回遊庭園:朝日」。皇帝にメフィストが働きかけ、地下に眠っているはずの鉱物資源を担保に紙幣を発行する署名を行う場面だ。署名のための玉座を中心とした部屋は、地中海の波紋が突如として開かれた海中に現出する。そこに海の女神も現われる。バルセロナ・パヴィリオンは、ドイツとスペイン国王との署名の場として計画された。スペイン国王の署名のためのバルセロナ・チェアが、古代ローマ皇帝の玉座をモチーフとしてミースによって設計された。堅固な建材としての緑色大理石、縞瑪瑙、色ガラスは、その静態的な様相の背後で水や針葉樹の葉脈たちと類似関係を取り結び、物質のメタモルフォーゼを示唆する。意味性を排除したフォーマル・システムとしてこれまで記述されてきたバルセロナ・パヴィリオンは、物質のメタモルフォーゼが生み出す修辞学的空間だった。本発表は、「真理」の建築家ミースが物質に潜在するメモリーを利用して物性の多義的な修辞学を実践する様子を暴き出す。