ジョルジョ・ヴァザーリと美術家の顕彰 16世紀後半フィレンツェにおける記憶のパトロネージ
16世紀、美術家の伝記集『美術家列伝』を出版したことで知られるジョルジョ・ヴァザーリ。美術様式の変遷を発展史的に提示した記述を最初に試みた人物として、ヴァザーリが無二の存在感を誇り、高く評価されてきたことは、周知の事実である。
著者がここで試みるのは、ヴァザーリが時の支配者コジモ一世・デ・メディチのもとでおこなったあらゆる活動について丁寧に再検討を加えながら、とりわけ「美術家を顕彰する」というヴァザーリの意図に光を当て、その背景にあったメディチ家の戦略、ひいては「16世紀フィレンツェの文化的・社会的・政治的事情が複雑に絡み合う」さま(p.13)を浮き彫りにすることである。筆者は、『美術家列伝』を「美術家の墓碑が立ち並ぶ紙の上での建築」でありながら「記憶のパトロネージ」を実践するための装置であったと指摘する(p.91)。
美術家が亡くなる際に、いかにその業績が讃えられ、生の記録が永遠化されてきたのか、そのためにヴァザーリが考案し採用した手法を辿ると、ジョルジョ・ヴァザーリという人物が抱いていた芸術そのものへの深い敬愛はもちろんのこと、時代を読む卓越したセンスと手腕に改めて驚かされる。本著を通底するのは、美術家たちの死と記憶をめぐる問題に対峙しようとしていたヴァザーリの態度を俯瞰で捉えながら時代そのもののダイナミズムの中に位置付けようとする基本姿勢であり、これを持って著者は、「美術史の父」という曖昧な枕詞の「呪縛」からヴァザーリを解き放つことに成功している。
個人的には、ミケランジェロの死をめぐる記念事業について、遺体の取り扱い方法から葬儀の様相までを再考察したII部第1章「ミケランジェロの死」、そして、ヴァザーリが実施した作品の保存や展示の実践を分析するIII部にとりわけ惹き込まれた。後者では、古代美術に明るい緻密な鑑定家、展示空間を緻密に構成するキュレーター、そして、画家たちの素描を「美術史を可視化することを目的に(p.234)」集めていたコレクターとしてのヴァザーリの姿が多層的に立ち現れる。加えて、蒐集した素描の一部を塗りつぶしたり改定さえしていたという、ある種「介入者/修復家」としてのヴァザーリの姿もまた、見え隠れするのである。これら素描集にヴァザーリが描き加えた「装飾枠」に「聖遺物入れ」の機能を見出す著者の眼差しをもって、注意深く練り上げられた周到な「美術家の顕彰」の全体像が明瞭に示される。
ジョルジョ・ヴァザーリとコジモ一世・デ・メディチの間で固く結ばれた絆の縦糸を、美術家たちの数奇な生の横糸が潜り抜けることで織り成された、16世紀後半のフィレンツェの記憶は、どこまでも色鮮やかでスリリングだ。美術史、社会学、美学などを自在に横断しつつ、ある一定の視点に偏ることなく、この綾を紐解いていく著者に導かれながら、当時の鳴動を存分に味わうことのできる一冊になっている。
(田口かおり)