シンポジウム 街頭で、劇場で、舞踊の60年代──アクション/リアクション(日本とフランスの比較を通じて)
日時:2019年2月27日(水)18時〜20時30分
場所:東京大学 駒場キャンパス 18号館4階 コラボレーションルーム1
予約不要・入場無料 ※パジェス氏の発表には通訳がつきます
シルヴィアーヌ・パジェス(パリ第八大学舞踊学科准教授)
「五月革命に踊る Danser en Mai 68」
宮川麻理子(千葉大学非常勤講師)
「《アルジェリアに行きたい》(1960年)──戦後のダンスにおける〈黒人〉の表象を巡って」
北原まり子 (早稲田大学文学研究科・パリ第八大学舞踊学科博士後期課程)
「舞台以外で起こったのか?Partout sauf sur scène?──日本のダンス60年代〈革命〉の場所」(日本語)
60年代の証言者 長谷川六(『ダンスワーク』編集長、舞踊批評)
司会 パトリック・ドゥヴォス(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授)
主催:2018年度京都大学人文科学研究所共同利用・共同研究拠点
国際共同研究加速基金(国際共同研究強化(B))「フランス演劇における公共性の諸相の再検討」
共催:東京大学表象文化論研究室
五月革命から50周年に当たる2018年末、フランスで論文集『Danser en 68 : perspectives internationales(68年に踊る──国際的展望)』*1が出版された。編著者の一人であるシルヴィアーヌ・パジェス氏(パリ第8大学准教授)によれば、当時のフランスの舞踊界では、ダンサーの地位向上を目指した運動はあったものの、政治的・実験的な作品が制作されることはほとんど無かった。他方、日本の同時期の「政治の季節」に関しては、68年の《土方巽と日本人──肉体の叛乱》を筆頭に、美学的な革新・実験の展開が指摘されてきたが、政治・社会運動との関わりは十分に議論されてこなかった。そこで、シンポジウム「街頭で、劇場で、舞踊の60年代──アクション/リアクション(日本とフランスの比較を通じて)」(2019年2月27日東京大学駒場キャンパス)ではパジェス氏を招聘し、60年代の舞踊について日仏の状況を比較検討した。
*1 Launay, Isabelle, Sylviane Pagès, Mélanie Papin et Guillaume Sintès, Danser en 68 : Perspectives internationales, Montpellier : Deuxième époque, 2018.
パジェス氏からは、「五月革命に踊る」というタイトルで、当時のフランス舞踊界の状況が語られた。美学的にはネオクラシック・バレエが依然優勢であり、モダンダンス(ドイツ表現主義舞踊)は忘れられ*2、アメリカの実験的なダンス(マース・カニンガム、ジャドソン・チャーチ)も広範囲な受容には至らなかった。68年には政治的テーマを含む作品が上演されたが(モーリス・ベジャール、ジャクリーヌ・ロビンソン)、そこに美学的な革命はなかったという。一方、五月革命に呼応する形でダンサー側から要求されたのは、ダンスのより広い認知、養成機関や専門の劇場の創設、社会保障の充実といった制度面の改革であった。パジェス氏は、これまで顧みられることのなかったこのようなダンサーたちの声に着目し、「ダンス行動委員会」等の組織の登場や、ダンスを広める試みが、結果的に80年代の文化制度(国立のダンス・センターの設立、カンパニーへの支援など)へ繋がっていくと指摘した。大学や他の芸術分野では「脱制度」が声高に叫ばれた五月革命にあって、それとは対照的な動きが舞踊の分野で見られたことは興味深い。
*2 この点については、翌日開催されたパジェス氏による講演会「戦後のフランスのダンス状況と1978年舞踏ショック」(慶應義塾大学三田キャンパス、共催:慶應義塾大学アート・センター)でより詳細に語られた。
続いて宮川が日本の戦後のダンスに見られた〈黒人〉表象について発表を行った。50-60年代にかけて登場した〈黒人〉の表象からは、敗戦後の日米の力関係や、人種差別の問題といった政治的側面がうかがえる。また暗黒舞踏の創成期の「黒塗り」に関わる重要なモチーフであり、さらなる検討が期待された。本シンポジウムの企画代表者・北原まり子は、「舞台以外で起こったのか?Partout sauf sur scène?──日本のダンス60年代〈革命〉の場所」という題で発表した。ここでは、わずかながら存在した日本のダンサーたちの政治運動(安保反対のデモへの参加や権利の要求など)が明らかにされた。予定されていた長谷川六氏(舞踊批評家)の登壇がご体調によりかなわなかったことは残念であったが、発表後には司会のパトリック・ドゥヴォス東京大学教授やオーディエンスを交えた活発な意見交換が行われた。
(宮川麻理子)