寄稿2 創作人形の現在
はじめに+この文章へのお断り。
自分は編集者で、表現の現場で展覧会を企画し創作者に寄り添ってきた。ほとんど評論家的視線を持たない。この文章は、2003年頃から雑誌『夜想』とパラボリカ・ビスというギャラリーで、創作人形やファッションドール、ロリータ服の展覧会からイラスト、絵画と関わってきた現場のドキュメントとそこで感じてきたことに拠っている。評論家とはだいぶ異なる視点をしていると思う。できあがったところを見るのではなく、出きあがる過程に添っているからだ。立ち位置の違いは見える風景を変える。この風景も寛容に眺めていただければと思う。
創作者が、レベルを上げる瞬間があって(階段を上がるようにではなくジャンプする)その時の不思議な感覚に同席できる事だけを求めて仕事をしてきた。当然、作家たちの表も裏も嘘も本当も日常的に付き合うことになる。外から見たら存在しないものだ。時代が10年過ぎて、その流行の勢いが落ちたのでちらりとお話はするが、そんなこともあるのね、と読み流していただければ幸いに思う。
1978年に夜想という雑誌を立ち上げ、2号目が『ベルメール』特集。土井典に人形を作ってもらい雑誌につけた。押井守が欲しがったあの伝説になったレリーフベルメールイメージ人形だ。最初から人形には興味を持っていて、そして現在まで持ち続けている。
2000年頃にサブカルと呼ばれる文化が全盛となり雑誌を休刊した。本気で止めるつもりだった。ある時、街中でロリータを見たことで、再び雑誌心に灯が点灯した。2003年『ゴス』という特集で夜想は復刊を果たした。
1球体関節人形の現実
+ベルメールは今も影響力あるのか。
夜想の『ゴス』特集は、もともとはゴシック特集として組む予定だった。ゴシックに見えるゴスの流行に対して、本来のゴシックはこういうものだよと提示をしようとした。しかし現場で取材をしていると、知識的にも内容的にもゴシックとは関係性は薄いように思えた。言葉悪く言えばゴシックは後付け的な印象だ。むしろ突然変異的発生の時代性に魅力を感じた。『ゴス』に特集名を変更した。
旧夜想の価値観と美学と現実の流行とのギャップとの葛藤と試の10年がはじまった。2004年に組んだ『ドール』は、『人形』『ひとがた』を名乗ることはできなかった。今の人たちは人形をドールと言う。しかも語尾を上げて。呼び名が違えば中身も異なる。
以来、次々と旧夜想のタイトルを特集したが、ことごとく連続性よりも断絶、そして突然変異を新規性を感じた。見かけは近いが異種。耽美はお耽美。過去の美学なんてありはしない。
それでも連続性や芸術性を希求して最後の挑戦『ベルメール』の特集を組んだ。結果は衝撃的だった。
今の創作人形には、ほぼほぼ球体関節が付いているので、通り一遍のインタビューをすれば、ベルメールに影響を受けてと答えるが通例だが、こまかくベルメールについて聞けば、「イメージの解剖学」を読んでないのはもちろん、球体関節を介在してイメージを転換するなどということに理解も興味もない。人形学校を主催する吉田良によれば、今の若い子はベルメールは関係ないというところから始まっていると。吉田自身もいまさらベルメールに見るべきものはないと断言した。
現場でも、ベルメールとは口では言うが、現在の創作人形にベルメールは余り影響していない。
四谷シモン、土井典の世代はまさにベルメールに出会うことで人形が始まった。吉田良の世代は、二人を見ながらベルメールを見ていた。その後の世代は、とくに吉田良のピグマリオン人形教室を出た作家は、球体関節を使っていてもベルメールとは関係ない。
今の世代は、天野可淡の人形と吉田良の教えを受けて育っている。球体関節はもともとそこにあるものなのだ。日本は演劇でも美術でもダンスでも一世代前をカウンターすることで作品を作る傾向があり、歴史を創作に取り入れない。
今の作家に大きな影響を与えているのは一つ世代前の天野可淡だ。
+可淡の前に
[おおつかみ]
少し異なるところから、入っていこう。
ゴスロリのことだ。ゴスロリ服、はじまりは路上。手作りの服を着て原宿などの人の多いところに行く。昔の竹の子族の変形だ。中でロリータファッション、ゴシック(ゴス)ファッションが生れた。その両者は相容れないもの両極である。
それを雑誌が取り上げた。読者モデルのように定点観測した。雑誌の名前は『ケラ』。『路上』のケルアックから来ている。初期の初期にはケラックとサブタイトルが入っていた。手作りの路上ファッション、それはまさに文化の発祥だ。
二つの相容れないファションを、『ケラ』はゴシック&ロリータと銘打って分けて展開していた。ファッションメーカーは、多くロリータ服を作り、『下妻物語』のヒットなども相まって、爆発的に拡がっていった。その頃に両者の混合はほとんどない。だって本当にゴスとロリは仲が悪い。服のデザインが尽きていく中で、二つを合わせてゴスロリ服を作り出した。ゴスロリと言うと語呂も良いので広まって言った。言葉が拡がれば服が売れる。メーカーはどう言われようと露出を優先する。ゴスロリは途中からは服の消費の現象になった。嶽本野ばらも途中からマーケッティングをしながら小説を書くようになった。可愛いの流行も商業が作り出した[文化風]である。
しかしそれでも十把一絡ではない。ファッションメーカーが作り出したロリータ服であっても、メイド喫茶のメイド服やコスプレと一緒にされたらユーザーはかんかんに怒る。メイド喫茶のメイド服は、ロリコンからお金を稼ぐ、言い方は酷いけれど分かりやすく言えば風俗の勝負服だ。それを着て海外で可愛い文化なんて言ってしまう、大臣が日本にいたみたいだけれども、まあまあ恥ずかしい。芸術にまで至らなくても文化でも、ちらりと立ち上げたら、あとははしこい人が流行を操りながら商売をする。消費化に至るまでが早い。青田刈り以前の感じ。
このゴスロリ現象と並行して、そしてそのユーザーたちが人形の動きを支えてきた。ロリータに人形は必須、彼女たちはそう言う。ゴスロリが流行った頃からの創作人形は、大いにその影響を受けている。ファッションドールの大半にも球体関節が付いている。完全に機能としての関節だ。ストッパーが付いていて人間の腕の可動域しか動かない。球体関節を使っている創作人形は、非常に創作的な意欲をもっていた2000年前半からだいぶ変わってしまっている。それはロリータ&ゴス服の事情と似ているところがある。芸術、文化を見たり語ったりする時に、当事者の言う事を鵜呑みにしない方が良い。自分の都合だったり、商売だったりすることが多いからだ。しかも言う事は刻々変わっていく。四谷シモンのように言う事が変わらない芸術家/人形作家とは状況が異なり、経済や現象にまみれている。
今の時代に大きな影響を与えた天野可淡/吉田良の二人、天野可淡は死んでそのまま創作的手の跡を伝え続けているが、たとえば吉田良は、自らをドールクリエーターと称して、ファッションドールの方へも目を向けている。吉田良の人形教本は、創作人形作家にもファッションドールのカスターマーたちにもバイブルのようになっている。器用な人なら何ヶ月かで見かけ人形のようなものを作ることが出来るようになった。じゃぁ人形ってどういうことなのかと、問わなければいけないのだが、まぁまぁそれは成されていない。
+天野可淡/男性から女性へ。
天野可淡の作品が創作人形の世界を変えた。女性作家であることと、感情を表現していることが、後継世代の表現のトリガーになった。可淡は、怒りとか悲しみとか、激しい感情すら人形に乗せて表現した。女子独特の感情もある。
パートナーだった吉田良のピグマリオン人形教室は、数多の作家を輩出したが、女性作家が大半で、なおかつ天野可淡の作品に魅力を感じている。影響を受けている。感情を表現する、作るときの感覚を反映する。等身大の気持ちを入れる。必然時代の流行も映っていく。ゴスの子たちの気持ちを反映するような作品も多い。だいたいがゴスの子たちが人形を習っていると考えた方が早いかもしれない。
でもそれは現場にいるとポジティブなこととして受けとめられる。若手の歌舞伎の女形が良く言われるのは、当代的過ぎてちゃらい。でもそれは時代時代に言われてきた事だ。今の若い女性の良くも悪くもを反映してこその女形だと見巧者は言う。人形の顔もそうだ。特に少女の顔は今であることが必要だ。過去の少女を描いても今。それが身体を介在して作る創作の原点だ。
今、創作人形の世界は、女性作家が女性の創作人形を作るのが主流になっている。購買層も圧倒的に女性が多い。ここが特に重要なところだ。少女の人形は男性のものから女性のものに、そして女性たちの表現するものに変わったのだ。そして彼女たちは男の視線に媚びていない。
ゴスの支持が多いのが三浦悦子とすれば、ロリータ文化の支持を受けてきたのが恋月姫だ。恋月姫の人形は、ロリコンの購買愛好対象にもなるが、圧倒的に女性から支持されている。
恋月姫の球体関節は、ベルメールよりも時代の古いビスクドールから来ているだろう。当時、普通に球体関節は使われてきた。そのビスクドールの販売にも係わっていた恋月姫、その形も構造も知り尽している。恋月姫は、シモンにも吉田良にも関係のないところから出てきている。人形の顔が作家と似ない珍しい作家でもある。人形を観客の器として存在させている。目はどこに焦点があっていない。ゆえに客は自分を見ていると錯覚する。媚びず客のために存在している人形だ。人形の中は空だ。
三浦悦子の人形も恋月姫の人形も、[必要あって]買われている感じがする。うまく伝えられないが、恋月姫の人形を母娘二人して来て、選んでお迎えし父親はそれを知らなかったりもする。父親が現実に存在しているのに母子家庭にもらわれていく。どうしてもその子がいないとという必要感が伝わってくる。自分の少女時代を補完するとか、そんな言葉では言い表せない、何か家庭にある空洞を埋めるかのような感じがする。
三浦悦子もまた必要によって迎えられる人形であった。この子が身体を切っているから、顔が似ているから、私明日から切らなくてすむかもしれないと、言う人もいた。カップル二人でベイビィを迎えるようにする人もいる。人形でなく形代という呪物として機能している。それは女性が作る女性の身体ということと関連がある。女性作家が心置きなく、自由に感覚を表現できるメディアでもある。お迎えする方も、何かを晒けて向かってくる。そこが今の人形性だ。
女子が女子の人形を作る。それは澁澤龍彦が少女について見る感覚からはだいぶ隔たったところにある。例えば、人形の写真をとるとき写真家が男性だと、どこかに性癖のようなものがでる。潜在的に持っている。自由にできる少女的なイメージ。つい。そうしたことから自由な写真家が野波浩だ。多くの女性の身体を撮影してきたからかもしれない。吉田良ですら男性の視線から自由ではない。非常に加虐的なイメージになる。女性が作る女性の人形は、男の視線のために[いる]のではなく、女性のために[ある]のだ。男性が見落としがちなもっとも重要な変化だ。創作人形は、女性作家にとって言いたいことを、表現したいことを、隠れている形而下的なことを表出するメディアである。
2『人形論』金森修
+メディアとしての人形/人を写す鏡
人形の写真に写るのは、人形ではなく撮影者の性。ヒトガタというだけあって。人の何かを写すのだ。同じように人形を論考すると、その人の無意識の本音、しかも性的なことも含めての人間的嗜好性が映し出されるからだ。人形はある種の創作意図によって存在するが、それとまったく関係なく愛でられ求められる存在であって、しかもそれを持たないと人形ではないところがあって、作る、見せる、見る、思う、もつ、愛する、というような様々な段階で変貌が起きる、それぞれで鏡像現象が起きないと魅力的な人形ではないと思っている。だから人形の見方、想い方に正解は存在しない。もちろん真理も。
金森修の『人形論』は、ちょうど自分が今の創作人形に触れはじめた頃に使っていた文献や感覚に良く似ている。本を読んで最も興味をもつのは、フランス哲学や生命に関する思想史をやっていた金森修がこの時期に至って、人形に向かったことだ。デカルトの研究と関係あるのか、想像もつかない。どうして向かったのかというのが一番の興味であり、それが隠されている金森修の『人形論』は魅力がある。
建前で論考されている論の、無意識の本音の、そこを吐露している様に感じる。申訳ない感想だが、そこに書かれている人形のいろいろよりも、そうして人形にアプローチする金森修の思考の過程に興味を抱く。おそらく自分もそうだったように、現代の人形にアプローチ続ければ、ここに書いてあることは変化していくと思う。だいぶ資料を使った他の人の眼が入っている。人形を見たり論じたりするのは、自分の眼しか必要ない。他の人の論じているのは、何かの事実とかではなく、その人の見たい見方を語っているだけなのだ。
コーダー
装幀家のミルキィ・イソベが中川多理の人形を表紙に使っている。本文ではほとんど出てこない。ミルキィ・イソベは装幀でものを言う作家だ。もっと見て欲しかった、論じて欲しかったとミルキィ・イソベはそう願っているように思う。自分も強くそう思う。資料はいらない見れば良い感じれば良い、愛すればよいのだ。中川多理は、たとえば物語をモチーフにすれば、物語の全体を人形に反映する。
ある大物作家が、鏡花の作品をモチーフに人形を作る時、映画になったあのシーンが良いからそれで作ろうなどど、ビジュアライズ優先に、イメージ優先の、瞬間切り取りをするフィギュアのような感覚と、中川多理は対極にある。小説の内容に立ち入って、そこに自らの表現特質を合わせ込むという姿勢をしている。
中川多理が皆川博子、山尾悠子というような幻想的な書き手から高い評価とコラボレーションを求められるには、そうした作への踏み込みがあるからだ。解釈でなく人形そのものをもって切り込む中川多理の作品を金森修がじっと見て文章を書いたらどんなことが生れるのだろうか。良い評論からは何かが生れる。今はかなわぬことではあるが、それは時代と人形界にとっても重要な事件になったに違いない。
今野裕一(『夜想』編集長/パラボリカ・ビス主宰)