ポストヒューマン 新しい人文学に向けて
「ポストヒューマン」という言葉が、しばしば聞かれるようになって十数年経った。言い換えれば、「ポスト」の接頭辞を与えられたこのキャッチーな用語が、一人歩きし始めて十年は経ってしまったと言うべきだろうか。ポストヒューマン/イズムの冠された書籍や学術会議は、哲学や現代思想の領域にとどまらず建築や芸術学、情報分野など多岐に亘っている。なぜこの用語がこれほど多分野にまたがって使用されるのだろうか。それはもちろん、この語の解釈の多義性による。単純にいってしまえば、「ポスト・ヒューマニズム」として、「ヒューマニズム」から出てきた新たな思想・主義、もしくはその終焉を指すのか、もしくは「ポストヒューマン・イズム」として、「新たな人間」または「人間以後のもの」といった、人間なるものが置かれている状況を指すのか、ということである。本著はこのような現状にいま一度「マッピング」を施そうとするものだ。
第一章は、反ヒューマニズムでも新–人文主義でもなく、それらへの反省を踏まえた上で「ポスト」のあり方を探求するものであり、第二章は、このような状況から出てきた「動物の権利」や「ゾーエー」といったキーワードから現状を読み解いていく。続く第三章からは、技術の発展から出てきた「ポストヒューマン」が生み出しうる「非人間的/非人道的」な状況を概観する。最後の第四章は、ともすれば古典的な人文主義の牙城ともなりがちなアカデミズムや「大学」がこれからいかなる態度をとるべきか、を模索するものである。
著者であるロージ・ブライドッティは、彼女曰く「第二次世界大戦後の混乱期に知的・政治的な成熟期を迎え」た世代である。であるがゆえに、反ヒューマニズム的な熱狂も、その内在的矛盾をも俯瞰的に眺め、これまでの「ウィトルウィウス的人体図」に表象される「人間像」を単に「否定」するのではく、ポスト植民地主義やフェミニズムが紡いできた多様性について振り返りつつ、この像を「アファーマティヴ」に解体してゆく、という態度を貫いている。ゆえに、本著は否定や批判を押し付けるのではなく、われわれが拠って立つところの地層について、新しい読解可能性を提示する。本著によって、われわれはこれまでの歴史や議論の積み重ねについての新しい地図作りの第一歩を踏み出したのである。
(福田安佐子)