〈ポスト3.11〉メディア言説再考
本論集には、編者による序文が付されていない。これは、例外的とまでは言えないにしても、アンソロジーとしては少しく不自然だ。「律儀」な読者は、これから何が語られようとしているのかが今ひとつ不明瞭なまま、とつぜん第1章を読み始めることになるのだから。この構成は、本書の性格を直截に表しているように思える。
『〈ポスト3.11〉メディア言説再考』は、ミツヨ・ワダ・マルシアーノが2016~2017年度にかけて国際日本文化研究センターで主催した共同研究「3.11以後のディスクール/「日本文化」」の成果をまとめたものである。「メディア言説」というこの多義的な語には、メディアを介して/に対してとり交わされる言葉たちという字義通りの意味のみならず、それらの言葉によって語られる対象それ自体も包含される。2011年3月11日以降、「日本」そして「日本文化」はどのように変化したのか。何が問題で、そのためにどのようなことがなされるべきか。話題は、災害遺構や映像アーカイブといった記憶/記録メディアをはじめとして、依然としてわれわれの主たる情報源としてあるマスコミ、美術・写真・文学といった諸芸術、20世紀的娯楽メディアの王道とも言える映画からツイッターやインターネット動画、マンガ・アニメーションに至るまで、多岐にわたる。
「ポスト3.11」的なるものに対する各論者のスタンスは、当然のことながらそれぞれに異なる。その点が本書の魅力とも問題点とも言えるだろうが、とりわけ「問題」であるという事実のうちにこそ本プロジェクトのアクチュアリティがある。序文の不在に端的に示される、「本書全体を貫徹すべき主張」の確信犯的な欠落ぶりは、さまざまな意味において、否応なく読者を鼓舞することだろう。広義のサバイバーズ・ギルトに動機づけられているはずのこのアンソロジーに対し、「問題提起の書」などという収まりのよいラベルを貼る気にはなれない。不安といらだちと優しさを例外なく湛えながらも未だ「完成」してはいないとも考えられる各論考に対し、安易な同意ではなくむしろ建設的な批判が加えられることを、執筆者のひとりとしての私は願う。
(長門洋平)