シンポジウム SFの初期時代──フランス語圏の影響
日時: 2018年10月20日(土)
場所:法政大学・市ヶ谷キャンパス・富士見ゲート棟G 401
① 13:00〜14:45
-「フランス語圏のSFの先駆者」 ジョルディ・フィリップ (国際文化学部教授)
-「フランスのサイレントSF映画と稻垣足穂・宮沢賢治」 岡村民夫 (国際文化学部教授、表象文化論学会会員)
-「不可能を通る旅」(ジョルジュ・メリエス監督)一部参考上映
② 15:00〜17:00
-「日本SF初期時代・フランスの影響」 長山靖生(日本古典SF研究会創立者、主書『日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで』)
-サイレント時代のフランスSF映画鑑賞 (澤登翠活弁つき)
ジョルジュ・メリエス監督、
「月世界旅行 Le Voyage dans la Lune」 (12分、1902)
「海底二万里 Deux cents milles sous les mers」 (10分、1907)
ルネ・クレール監督 、「眠るパリ Paris qui dort」 (39分、1925)
主催: 法政大学国際文化学部 共催:アンスティチュ・フランセ東京
2018年10月20日に法政大学市ヶ谷キャンパスで開催された、法政大学国際文化学部主催シンポジウム「SFの初期時代──フランス語圏の影響」について報告する。この催しのねらいは、フランス語圏の初期SF小説や初期SF映画が、どのように日本の表象文化に影響を及ぼしたのかを探ることにある。
国際文化学部教授ジョルディ・フィリップ(日仏の大衆文学研究)による基調講演「フランス語圏のSFの先駆者」からプログラムは始まった。17世紀から20世紀前半にかけてのフランスやベルギーのSF小説史が手際よく整理・概観される。シラノ・ド・ベルジュラック『別世界又は月世界諸国諸帝国』(1679)、ヴォルテール『ミクロメガス』(1772)、ジュール・ヴェルヌ『月世界旅行』(1865)、アルベール・ロビダ『20世紀の戦争』(1887)、ギュスターヴ・ルルージュ『火星の囚人』(1908)、J・H・ロニー兄『地球の死』(1910)、ジャック・スピッツ『ハエの戦争』(1938)等、フランス語圏の初期SF小説が、書影や挿画を豊富にプロジェクトしながら紹介された。特に重点が置かれたのは、ヴェルヌ以降、作家の想像力が、科学史・技術史や社会的事件の影響を受けたばかりでなく、その予兆となったり、テクノロジーがもたらす災厄に対する警告となったりしたという点だった。
続いて、筆者・岡村(表象文化論、日本近代文学研究)は、講演「フランスのサイレントSF映画と稲垣足穂・宮沢賢治」を通して、足穂(1900年生まれ)と賢治(1896年生まれ)を比較しつつ、日本文学におけるフランス初期SFファンタジー映画受容の一端を問題とした。彼らの文学における「宇宙」、「異次元」、「飛行機械」等の表象には、彼らが少年期(1900年代から1910年代前半)に観たジョルジュ・メリエスやパテ社のサイレント映画が深く影響したとする仮説を含む内容だ。当の足穂自身が、後年『銀河鉄道の夜』を読み、そこにメリエス の『不可能を通る旅』(1904)の影を見ている(足穂『浪花シリーズ(IX)赤いオンドリ』1965、『銀河鉄道頌』1970)。書き割りや照明めいていたり、擬人化されていたりする天体、電光嗜好、レンズ嗜好を彼らが共有していることから、SFを映画を媒体に受容した点には積極的な側面があったと考えられる。
休憩を挟んで後半は、まず、『日本SF精神史【完全版】』(河出書房新社、2018)を刊行したばかりのSF研究家の大家・長山靖生氏が「日本SF初期時代・フランスの影響」と題して講演し、明治初期から戦前にかけての日本文学におけるフランスSF小説の受容を、当時の世相と関係づけながら概説した。明治期、科学的・地理的知識欲や冒険への関心からベルヌの諸作品が和訳されたことや、ハレー彗星接近をめぐる不安が高まった明治30年代に松井松葉が『亡国星』を書いたこと、1920年代、横光利一『園』(1925)、川端康成『人造人間讃』(1929)等、新感覚派の純文学にSF的要素が散見することなどが話題となった。
そして最後に、日本でのサイレントSF映画の受容形態を来場者に追体験してもらおうという意図から、法政大学出身の弁士・澤登翠氏の活弁によって、メリエス 『月世界旅行』(1902)、同『海底二万里 あるいは漁師の悪夢』(1907)、ルネ・クレール『眠るパリ』(1923)が上映され、祝祭的雰囲気のうちにシンポジウムは幕を閉じた。
なお、一週間後の10月27日、共催のアンスティチュ・フランセ東京にて、フランスの古典的SF映画、ルネ・ラルー『ファンタスティック・プラネット』(1973)、クリス・マルケル『ラ・ジュテ』(1962)が上映され、各回、岡村が前説を務めた。両者に共通するのは、写真や切り絵という静止画像や、彫像、束縛、睡眠、死という主題が映画中に組み込まれ、SF的ストーリーと相関する点である。
(岡村民夫)